「よその地で大人になっていくわが子」子育てエッセイ⑧
―神奈川の長女と福岡の次女―(2010年9月記)
2007年春の日、東海大学に進学した長女と一緒に、住民票移動の手続きのため、神奈川県の秦野市役所へ向かう。日曜日だが移動の季節ゆえ、役所の窓口は開いており、親子連れが数組順番を待っていた。
持参の書類を娘が封筒ごと差し出すと、受付の女性は、都城市の企業広告が印刷されたにぎやかな封筒を興味深そうに見入っていた。秦野市からは何やらたくさん詰まった大きな封筒をもらう。
娘はこれから秦野市民のひとりだ。
東海大学前駅から工事中の通りを抜け、桜が風に揺れる夕闇の路を帰宅した。途中、24時間営業のダイエーで食材を買い込む。
ダイエーも商店街もこぢんまりとしているが、さすが大学の街、人通りに活気がある。都心へは電車で1時間くらいの所だが、ほどよく田舎で住みやすそうだ。
市議会議員選挙が近いらしく、候補者が街頭演説を行っていた。2年後この地で成人し、投票に行く娘の姿を想像する。
秦野市の封筒には、広報誌をはじめゴミの分別、防災マップ、観光案内ほかたくさんの情報が入っていた。ピーナッツが名物らしいが、私も娘もあまり好きではないので、そこだけがちょっと残念である。
〝環境にいい市〟をめざして、ゴミの分別がやたらと細かいのには驚いた。都城で燃やせないゴミ扱いの多くが、ここでは資源ゴミ。
大きな袋を買って、紙類・燃やせない・危険物・プラスチック類など仕分ける。〝プラ〟と表記があれば、納豆のパックやポテトチップスの袋も洗ってプラゴミ用の袋に入れる。
めんどうだが、エコロジーに貢献しているぞ! という自己満足感に支えられ、娘と一緒にゴミの分別を楽しむ。慣れてしまえば、どうという事もない。
数日後、観光案内に載っていた隣り駅の鶴巻温泉に出かけた。施設は新しく、地場の野菜やみやげ物も売っている。露天風呂には木組みの屋根があり、住人らの憩いの場として親しまれているようだ。
が、湯の肌あたりに満足できない私たち。温泉に恵まれた都城ゆえ、いかに都城人が泉質にまでうるさいかを実感したのだった。
娘の初めての一人暮らしの地、どんな所か私も見ておきたい・・・と、娘が授業に出ている間は、公共施設や店などを歩いて探索した。
アパートの左右下の住人に2人であいさつに行き、〝日向夏玉ねぎドレッシング〟を差し上げた。
後日娘より、「お隣りさんから赤い房飾りをいただいたよ」と報告が。留学生だったようだ。
1週間ほど滞在し入学式も出席したが、あと2日延ばし、東海大で開かれたドコモモジャパンの総会と、建築家・山田守の作品群の見学会に参加した。
ドコモモは都城市民会館の保存運動でお世話になっているモダニズム建築に関するNGO。これから娘の日常となるキャンパス内を、専門家の解説つきで巡るなんて、なんとありがたいタイミングだろう。二重の喜びだった。
さて、高校の卒業式の頃は気胸で入院していた長女。しっかり食べて無理をしないようにとお願いし、後ろ髪を引かれる思いで私は帰郷した。
翌年の2月は、次女が美容専門学校に進学し福岡へ引っ越す。長女の時と同じく、転出届は父親と都城市役所に行き、転入届は私と一緒に博多区役所に行ったが、かなりの混みようだった。
博多区からもらった封筒の中身で驚いたのは、広報誌がまるで新聞のような形状である事だ。しかも、娘のアパートに毎回誰かが届けてくれるのだ。
町費として月200円が家賃と共に引き落される仕組み。自治会に入っているわけではないので、役回りや地域行事のお誘いは来ない。学生であっても、ゴミや防犯街灯など地域にはお世話になっているから、その代金というところだろう。
博多区のゴミ分別はとてもシンプル。都城では燃やせないゴミの多くが、燃やせるゴミとしてバンバン出せる。きっと高能力の焼却炉を有しているのだろう。しかし、なんだか罪悪感に襲われる。エコロジー重視の秦野市とは大違いだ。
一方、夜間にゴミが収集されるのは良いなと思う。夜12時までにゴミを出せばいいので次女にも好評だ。深夜2時くらいに収集車の音がし、朝の街はスッキリしている。夜間作業の人件費は高くつくだろうが、カラスの被害を受けないし、観光地博多として街の美観も保てることだろう。
わが家の娘たちは、秦野市、博多区それぞれの地の住人として大人になっていく。長女は、秦野市で人生初の選挙権行使をした。衆議院議員総選挙で民主党が与党となった2009年夏の選挙だった。
次女は、今年(2010年)の夏にあった参議院議員選挙で、「博多小学校の敷地内にある公民館で投票したよ」と話す。
娘たちよ! ゴミの分別ほかいろいろ、その地の決まりどおりに、ズボラせずしっかりやっているだろうね?
■2012年、都城市山田町にクリーンセンターが完成し、ゴミの焼却処理能力が格段にアップ。博多区のように、燃やせるゴミの範囲が広がった。