時間富裕層
実は私と私の妹はどちらも働いていない。いや、厳密には妹はプー太郎じゃなくて父の小さな会社に所属している。
妹は2年ほど前仕事をやめた。営業マンだった。ノルマがきつく大変そうなのは知っていたものの、追い詰められるほど仕事が嫌になってあっさり辞めてしまうとは思わなかった。でも、私にとってはこれはいいことだった。妹はASDの私と向き合う時間を作ってくれた。私の発達特性をとことん調べて、食事や服薬の管理をしてくれる。申し分ないどころか申し訳ないくらい世話になっていた。
常日頃妹が言っていることがあった。それは、時間富裕層という言葉。時は金なり、と考えたらわかることだと。私が無職であるというのを嘆いて泣いていると妹がそう口にした。
「お姉ちゃんさあ、私たちは限りなく時間というものに恵まれてるんだよ。時間富裕層なんだよ」
この言葉は私の中でかなり新しかった。発想も何もかも。
「たとえばお姉ちゃんがさ、Aに時間使いたいって思ったら好きなようにできるけど世の働き人は労働に時間を拘束されて、お金は手に入るかもしれないけど時間はないよね。それを考えたら私たちは時間というカテゴリでは富裕層じゃない?」
さすがだ。一端の営業マンをしていただけあって、わかりやすく、説得力がある。時間富裕層、いい響きではないか。この発言により泣いている時間も笑っている時間もかけがえのない時間なんだと気付かされた。
今でも姉妹仲は基本的にはいい。時折すれ違う時もあるが、家族なんてそんなもんだ。そして、何かというと私はその時間富裕層というキーワードに支えられている。大丈夫、時間は有限だけど焦らなくていい。世の中の人の中ではいくらかゆったり時間を使える身分なのだから、齷齪せずゆったり生きようじゃないか、と。
余談だが、私はイラストをあげるアカウントを持っており、妹のこれらの発言をネーム化まで進めた。"ちびちゃんは時間富裕層"というタイトルで。