詫び状なんて書くつもりないから。
向田邦子の「父の詫び状」というタイトルを聞くとなんとなく自分の父を想起させる。確かあれも随筆集だったか。私が随筆を公開するようになってだいぶ期間が経っていたものの、家族のことは書いていなかった。なんとなく目を逸らしていたのだ。
私の父は何というか悲しきリアルを背負っていた。哀愁ではない。ユーモアもない。ただ、彼の人生を辿ればああひとの人生とはこのような山や谷があるのかと考えさえられるはずだ。
父は、というよら彼は、と言おう。彼は都内近郊とは言い難い距離の田舎に生まれた。関東のとある場所。長男だった。彼には一人、姉がいたため実質末っ子だった。甘やかされて育てられたのだなというのを私の家族の誰かが何度も言っていたが正しくは違った。彼の父親が働かずして飲み食いするばかりの人でなしだったために母親の愛情は彼に向けられた。
「おっかあ」
しんとした暗い茶の間で母親を呼びつける自分の父。彼はそれを見て何を思ったか。私も祖父であるその人の横暴で粗野な人間性には恐怖と反抗心を持っていた。少しでも刃向かえば酒を片手に暴れ出してもおかしくない人間だ。祖母はそれに言いなりで、お金の生計も裁縫の内職で彼女が中心となって行っていた。たまに泊まるのがイヤだった。祖父が怖かった。幸い、祖父は自らの孫である私を利口だと褒め称えたものの利口でなくなったらどうなるんだと怯えた。夏の夜は寝室に蚊がいて蚊帳を張って眠るのもイヤだった。蚊帳が邪魔くさいのだ。
「理穂はすーぐ布団を蹴るから夜中寒くて寒くて」
祖母は私が泊まるとよくそう言った。
祖父は結局のところ私を叱る素振りはしなかった気がするというかあまり記憶にない。
祖父はちゃいなまーぶるという飴玉のようなお菓子や大きめのカラフルなこんぺいとうを好んで食べていてたまにくれた。こんな父方の祖父との記憶を思い出すと、彼つまり私の父に見えたその人は、孫から見たら別人であったのかもしれない。
薄暗い茶の間に古い時計が鳴り響いていたのは彼が幼少の頃からなのだろうか。荒屋にも見える古い家は代々続いたもので祖父は婿入りだったそうだ。そうだ、彼はたしか夢を絶たれていた。母から聞いたのだ。
彼は勉強もスポーツも秀でていた。特に野球に打ち込んだ。巨人の星など野球漫画はかなり読み漁った。小中とイジメにはあったが、不登校になることはなく地元で随一の進学校の高校に入学。ヤンキーの嫉妬心から目をつけられていじめにあっただけで本人は堪えていたのか知らない。ただ祖母は可哀想だ、可哀想だと慰めつつも、出来たことは最大限に褒め称えたらしい。彼の気は大きくなっていった。高校では自称野球部のエース。野球にのめり込むあまり勉強の成績は落ちていたが、大学に行きたいという思いはあったようで突拍子のないことを言って東京に出たがった。俺は東京の美大を受ける、などの内容だったので両親は唖然としたという。彼は美術ができないわけではなかったが、デッサンの練習など美大を受ける対策をしていなかったし、なんせそんな理由どころか長男を東京に出すのは許さないというのが両親のスタンスだった。
真剣な夢化はさておき、彼の上京する夢はここで潰えた。
「おめぇは学校を卒業したら就職しろ」
彼は抗わなかった。基本的に親の言うことは聞いてきた人間だ。これを私は大人になってから知った。彼の配偶者である私の母によって。
彼は高卒でとある企業の今で言う総合職に就職する。そこは今では大卒でないと入ることのできないのが当たり前の、華々しい企業の営業マンだった。おかげさまで私は贅沢はさせてもらった。流行りのゲームは買い与えられ、週末はドライブだ外食だ。持ち家が当たり前の地方でボロのアパートに住んでいたのは納得が行かなかったが、彼が持ち家を建てたくないのだから仕方がないと母は憤慨していた。彼は趣味がなかったのでよくパチンコをしていた。家族内はそれをよく思わなかったが、彼から渡された口止め料の1万円札を握りしめてコンビニのお菓子や友達とのプリクラに使っていた。家庭を顧みない、仕事ばかり、たまのギャンブル。彼の妻の口から付いて出る彼の姿は子供ながらに悪い人に写り、私は父親に感謝のできない娘になってしまった。
これに関してはいまだに悔やんでいる。彼が存命のうちに感謝の気持ちを言えたらいいが、何かと折り合いが悪く喧嘩腰になったり泣いたりしてしまう。
高校生のときだった、彼は突然会社を辞めた。仕事をなくし、乗り回していた外車は売り払ってしまった。
平日、土日にかかわらず真昼間になっても布団でうずくまっている姿を見た。頭痛や倦怠感もあるようだった。自分の父親を亡くし後ろ盾が一人いなくなった私の母は不安そうにしていたが、仕事を続けるしかなかった。ここでかなりの暗雲が立ち込めてきていた。
そしてある日、突然彼は消えた。私が大学の進路を決めるか決めないかのときだった。
三者面談で担任は気難しい顔でこう言った。
「大学進学はしますか?」
私は大学に進学したかったし、母親もさせたかったが、経済的に苦しすぎた。
父は消えた。いなくなった。どこに行ってしまったのだろう。
うちには妹もいる。妹は高校進学を控えている。
母の稼ぎでは私の通う公立高校の学費も支払うのはやっとだった。家庭内の貯金はなかった。彼が投資に使ってしまっていた。投資は失敗した。起業ビジネスも失敗した。お金が消えた。彼は消えた…。
衝撃だった。ガスや電気が止まり、母親の勤めていた会社はやがて傾く。アパートの家賃が支払えなくなってしまって、周りにも夜逃げだと言われ。こんなことになるなら私学なんか、大学進学なんかと何度思ったか。
大学進学はした。しばらくして父が何をしているかわかった。日雇いで食い繋いでいたようだ。彼を憎む気持ちがあった。何をしているのか。なぜ戻って来ないのか。なぜこんな思いをしなきゃいけないのか。
しかし、社会人になり幻聴が聞こえて辛い時に頼りたくなった。彼に、父親に。
「パパ…」
泣きながら電話をした。電話番号は知らなかったので母に打ってもらった。
「大丈夫かぁ」
尻上がりの変な話し方は相変わらずだ。ありがとうも憎む気持ちも何も言わずにただ、パパの一言しか発せなかった。彼をパパと呼ぶのはいつぶりだったろう。憎い気持ちも親を見つめる子どもの気持ちも何もかもごちゃまぜで…。
電話のあと何度も何度もしゃくりあげて泣いた。幻聴がまだ聞こえていた。怖かった。娘として見放されるのだろうかという気持ちはなぜ起きなかったのかわからないが幻聴が怖くて精一杯だった。彼はあのときどう思ったのか。
「パパ、来月にうちに来るらしいよ」と妹。何気なく放たれたその言葉にビクッとした。
私は彼が好きだったキョンキョンの対談集の文庫本をたまたま読んでいた。
「また、すき焼き食べるのかな?初夏だしバーベキューとかないかな」と笑う。彼は今穏やかな日常を取り戻し、時たま私たちに会いに来る。家族団欒ってやつが好きなのだ。
彼に詫び状でも書こうか、と思った。しかしやめておこうと思い留まり、この随筆を私はしたためた。
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