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ひだまりの家

雨があがったよ
お日様が出てきたよ
青い空の向こうには
虹がかかったよ

車のステレオから流れる曲。聴き覚えはあった。おそらく、教育番組の曲。私たちの仕事、そう、運転手のKさんと組んでしていた仕事は銀色のワンボックスカーに乗って障がいのある子どもたちを送り届ける仕事。
9年前になる。フリーターをしていた。新卒では就職はできなかったからだ。ちょうど私は教員を目指しアルバイトしながら教員採用試験の勉強を行っていた時期だった。イタリアンカフェのホールをしていたが、店主から睨まれることも多く辟易していた。そんなときに舞い込んできた求人があった。それが私と子どもたちとの出会い。
私がその求人を見たのはとある広告だった。
"放課後等デイサービスひだまりの家。未経験者OK。時給1000円より"
放課後等デイサービス、というものに馴染みがなかった私は初めて耳にしたとき、介護関係かと思ったが簡単に説明するとそこは'.障がいのある児童のいる学童保育"であった。さっそく面談に行った。自宅からバスに乗る。ひだまりの家は山の中のような場所に佇んでおり、特に子どもの声は聞こえなかった。面接時に現れたのは経営者の男性だ。白髪混じりの髪型がふわりとしていて、優しげな印象だった。そして面接として話をするうちに採用された。なんとなく手応えはあった。資格は教員免許のみだったので臨時指導員という扱いのアルバイトだった。
ところで先程Kさんが運転する送迎バスに乗っていて、私は流れていた曲を少し口ずさんでいた。幼い子どもは歌が好きだ。いつもその曲や他に教育番組で流れるような曲が流れていた。
メインで見ていたのは発達障がい児だ。彼らはおとなしく車に乗っていられるかというとそうではない。介助とまでではないが、指導員が見張って送り届けるのが一日の最後の仕事だ。私は、これは、人生の汚点とも言えるのだが、あまり責任感を持てていたか分からなかった。社会人としての常識が足りない部分もあったし、節度がなっていないという評価もあったと思う。
Kさんは様々な職員の中でもフランクに話せる一人だった。いや、今思えば失礼な態度だったかもしれない。Kさんは優しい人だった。真剣に仕事に向き合っていた。観察眼のある人で私は本気で凄い人だと尊敬していたし、どこか父親のように感じていた。Kさんはいつも白髪混じりの髪を長く伸ばし結んでいた。どこか変わってる風貌だなと思ったが、様々な人とフラットに話せて人間関係のいざこざもさらりと受け流せる人だった。子どもの扱いもプロだった。心酔していた、Kさんに。私はKさんと仕事を組むことが多かった。私の仕事能力は未熟だし、ベテラン風なKさんとあえて組まれていたのだろう。Kさんはこう言った。

「ここは立ち上げたばかりだからね。まだまだ経営が成り立つか分からない。でも、周りに自然があるからそこは強みだと思うよ。それで利用を決めてくれる人もいるし」

「そうですね。私は仕事は楽しいです。子どもたちと触れ合えて、何がもらってる気がして楽しいんです」

「その気持ちは大事だね」

Kさんとこんな会話をしたことがあった。周りからは仕事をナメていると思っていると思われただろうが、Kさんはそんなふうには言わず、ただ仕事に対してはかなり厳しかった。なかなか褒めてはくれない。今思えばもっとアドバイスを聞いたり、質問したりしてみたかった。しかし、今現在ではKさんは現場を離れて裏方に回ったと聞いている。
子どもたちは様々な障がいがあった。発達障がいがメインで、他には言葉が話せない子や意思表示ができない子、すぐ噛み付く子。ほんとうに十人十色だった。ひだまりの家はある程度の人気はあったと思う。やはり、施設を取り囲んでいる自然が子どもたちに与えてくれるものが大きいことが一番の売りだった。ただ、まだまだこれから経営を成り立たせなくてはいけないという段階にあるらしかった。人間関係は正直に言うと割と厄介だった。パートの女性の指導員側と運転手の男性側で意見が割れることがあったし、経営者と現場で仕事の認識や価値観がずれてしまうことがあった。私も若いなりにひしひしと感じていたが、いじめなどはなかったし、まともな人が多かったように感じる。実際のところみんながみんなそう感じたかというと話は別だ。
仕事のスケジュールは大まかなところは毎日同じだ。12時過ぎに出勤する。フロアの清掃やおもちゃのアルコール消毒をしてから、いよいよ子どもを迎えに行く。行き先は平日なら特別支援学校、休日なら子どもそれぞれの自宅を回る。子どもたちの顔と名前、障がいの内容がしっかり頭に入っていて大事な時にパッと出てこないとやっていけない職業だったので私もそれはさすがに必死に覚えた。大学時代の塾講師のバイトで記憶力は鍛えられていたので、なんなくこなしていたが。
よく覚えていた子にちーちゃんがいた。ちーちゃんと呼ばれていただけで正式には"ち"から始まる名前だ。そのちーちゃんはベビーシートのようなものに乗っていていつも指をしゃぶったり、黒くてかわいい瞳をあっかんべーするみたいにしたりしていた。Kさんは運転しながらもちーちゃんの様子を事細かに見ていた。ちーちゃんはかなり身体が小さいが小学生だった。低学年ではなかったと思う。彼女はよくひだまりの家を利用していた。
あるときKさんが言った。

「ちーちゃんは意外と下ネタとか異性の話が好きなんだよ。俺が言うと笑ってる」

驚いた。Kさんのことだからひどい下ネタは言うことなく節度あるものだったが、確かにちーちゃんは喜んでいた。Kさんは子どもをよく観察している。

「まあ付き合いがそれなりに長いからな」

ちーちゃんと私も声をかけてみる。するとこちらを向いて声を上げて笑っていた。

「結構気に入られてると思う」

「ちーちゃんにですか?」

「笑ってるし」

あー、あーと声を上げながらちーちゃんは片目をあっかんべーをしている。それから小さな指をくわえてよだれまみれにしていた。無論、私もよだれまみれになるのであまり汚したくない服は着なかった。
勤務中に私はちーちゃんの食事介助やおむち替えの手伝いはよく頼まれた。ただこんな話を聞いて複雑な気持ちになった。

「ちーちゃんはネグレクトされている疑いがあるの。あまりにも預けすぎてる」

経営者の奥さんがそう言っていた。彼女は聡明できれいで優しくて。私は彼女を尊敬していたし、大好きだった。ちーちゃんのそんな話を聞いて私は悲しかった。確かに障がい児の親の子育ては大変だ。放課後等デイサービスに預ければ、親の手が空き、自分の用事を済ませたり、個人的な時間も取れる。いくら自分の子どもでも付きっきりは気が休まらないだろうし、ましてや障がい児となれば苦労はかなり多いはずだ。確かにちーちゃんはかなりひだまりの家を利用していた。ちーちゃんの送り迎えは大概私が担当した。シートベルトをきっちり締めてあげたり、激しく動いたときは少し抑えたり、なるべく熱心に声もかけた。

「ちーちゃん、今日はいい天気だね」

「ちーちゃんかわいいね」

ありきたりのことを言うだけだが、ちーちゃんの反応が多少あったので嬉しい。ちーちゃんには人を叩くクセがあった。気に入らない相手には特にするらしい。私も最初のうちは少しだけ叩かれていた。

「叩くのはだめだよ」と毅然とした態度で言い続けるしかない。その労力をいくら注げるかが教育や障がい者支援への熱意にかかわるのではないか。
そのうち私は特別支援学校の教員になりたいとすら思うようになった。もちろん特別支援学校の実習経験があってこそだが、ひだまりの家での仕事も影響した。だが、かなりのお金が必要だ。そのうち諦めることにはなったが、社会貢献が多くできる仕事や障がい者支援の仕事に関心は持ち続けることとなった。
私は今、分岐点にいる。PSWを目指すか、一般事務しながらWEBデザインの仕事をするか迷っている。どちらも未経験で勉強が必要だが、自分が心の病気になって尚更障がい者支援に関心を持っている。自分に何かできたら、心の病に悩む人たちが少しでも楽になれるような提案をできたら私の人生自体も変わるんじゃないかと期待している。もう会えないと思うが、Kさんに言いたい。ありがとうございました、と。

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