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"理解のある彼くん"とバカにされても

"理解がある彼氏"という言葉がある。いわゆる精神疾患や発達障害当事者の著作物に登場する交際相手や配偶者のこと。どうしても気にしてしまうその言葉。私はその言葉に取り憑かれて、ためらいながらこの文章をしたためている。
私にとって遅い春だったと思う。恋をするのに早いも遅いもないのかもしれないが、私の感覚では、遅い春だった。
恋について考えるのは恋してない時だけなのかもしれないとも思う。恋の始まりがいつからで終わりがいつからかなんて考えたくもなくなる。
時は9年ほど遡る。とにかくがむしゃらにというよりは八方塞がりな場所で足をジタバタさせた20代。特に20代後半は人生に暗雲が立ち込めていた。自分の準備不足や勉強不足がたたり、新卒で採用もされず、私学教員の正採用にもありつけず。フリーターになり不安を抱えながらくすぶっていた。恋愛もする余裕も暇もなく朝から晩まで仕事をしてしばらくして、私はなんとか正社員の仕事にありついたのだがうまくいかず、ストレスで出社拒否をするようになってしまったのだ。理由は男性上司と不倫しようとしていると噂を立てられたせいだった。それだけではなく人間関係のストレスから通勤電車で幻聴が聞こえるようになった。テレビからは幻覚が見えた。恐ろしい日々だった。会社を抜け出し、メンタルクリニックに駆け込んだあと人生が壊れたような気がした。そんな苦しい思いを経て、なんて悲劇的に自分を語るつもりはなくても聞いてる側には壮絶な人生に思えるらしい。
ただ、私の出会った彼は、理解があるという対岸からものを見ている人間という感じを受けなかった。だからと言って医療関係者や精神科デイの利用者と付き合ったとか、そういうことではない。むしろそちらは私自身がよく思わなかった。
今時あるあるかもしれないが、彼とはSNSの趣味アカウントである夏に出会った。私自身知識がないわけではなかったのでSNSがきっかけで危うい関係だと思ったし、歳もいくつか離れていたし、付き合いが続くとは思わなかった。
初デートの待ち合わせは新宿に近い場所にあるとあるエスニック料理屋だった。彼は話題に少し困まりながらナシゴレンを食べていた。こちらをじっと見ながら、"笑顔がかわいい"と言ってきたので赤面した覚えがある。男性にかわいいと言われることに慣れていなかった私の心はかなり浮足立った。付き合う約束はLINEでしかしていなかった。財布を含め金銭管理を親に徹底されていた私は簡単に彼に会えなかったのだ。わずかなお小遣いを少しずつ貯めて交通費だけは捻出した。彼には事情を話していた。しばらくはその事情で通話しかできないが、それでもいいなら、と。やっと会えたとき嬉しくて仕方なかった。少年の幼さの残っているような、でもどこか不思議な包容力のある彼を見て早く抱きしめたいと思った。しかし、私はしばらくしてとある壁にぶつかった。デートから帰宅し、ふと思った。統合失調症とうつを診断された私は彼に釣り合わないのではないかと。せっかく光が差してきた気がしたのに真っ暗な穴に落ちた気分だった。

"大切に思えば思うほど私が相手じゃいけない気がする"

それでも付き合いは続けたがやはりその考えが浮かんだ。働いていないことや病気のこと、さまざまなコンプレックスが浮き上がり、自分を攻撃してきた。時には私が泣き崩れてしまうまで。

「あのさ、私、病気だし、働いてないしこのまま付き合っていていいのかな」
とついにLINEで伝えた日があった。彼の返事は、いいんだよの一言だった。涙が溢れた。今思っても"理解のある彼くん"というラベルで一緒くたにされてもいいような存在ではないと思っている。とにかくその一言で私は受け入れられた気がしたのだ。
"理解のある"とか"理解のない"とか知らないけれど''大切"には違いないその存在をずっと大切にしたいと。"理解のある彼くん"がいてラッキーな女という見られ方を自分がされてもいい。自分の"大切"はバカにはさせない生き方をして守るから。私はもう十分自分がバカにされようとがむしゃらに泥臭く生きてやろうというエネルギーをもらった。"理解のある"では言い表せないかけがえのない存在に。

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