見出し画像

幸せの在処

後悔のない人生を送りなさいと誰かが言っていた。後悔のない人生。それって何だろうか。私なりに考えてみたことが何度かあった。そう簡単に答えは出ない。ただ、30代前半になりわかったこと。幸せの在処は自分の心の中にあるということ。だから、幸せになりたいと思うより幸せを見つけられるかが大切なのではないかと。ほんの少しの幸せでもいい。それを発見したとき、私たちは足元に咲いた小さな花を見つけたときのようなそんな気持ちになるのだろう。当たり前に思えることも幸せの一部と思えたらそれこそ一番幸せに近づけるのかもしれない。なかなか難しいことではあるが。
私は、自分で自分自身の人生を振り返ってみたときに小さくても幸せと感じたことが過去にあったことを実感できたらいいと思う。だけれども人生悪いことばかりではないと理解し、ただ毎日を必死に生きるしかないと気付くのが私は遅かった。何故それが遅くなってしまったのか。それこそ人生最大のミスなのか。
25歳ぐらいのとき小さな薬局に勤めていた。大学卒業後、フリーターとなり、右往左往していた私。やっと得ることができた正社員の地位は思ったものと違った。給与は手取り20万に届かない。正直なところ、最初に就職した中学校の臨時任用教員の給与の方がずっとずっと高い。その代わり、休みはなく責任は重かったが、給与明細を見て私はただのないものねだりをしていたんだと気付く。ため息をつく日もあった。業務はシフト制でかなりの激務だった。小さな薬局なので人員も最小限で受付と事務を行う私の仕事が遅れると後の人の仕事に支障が出た。日夜マニュアルや仕事のメモを読み続け、頭にインプットしても疲れで抜けてしまう。仕事の日は慌ただしく、休日は何もできない日も多かった。体力が持たないのだ。連勤かつシフトが不規則だったこともあり、常にだるいような何かがのしかかってくるような感じがした。そんな私にもささやかな楽しみがないわけではなかった。恋人はいないし、おひとりさま。高校や大学の友人とは交流があまりない。だから一人で喫茶店やカフェを過ごす時間にお金を割いたのだ。初めは表参道や青山辺りのお洒落なカフェが好きだったが、友達のSNSを見た影響もあり、レトロな純喫茶を愛するようになった。非日常空間、とでも言えばいいのだろうか。前述した小さな自分の幸せはそこには確かにあった。一人きりでも構わなかった。
とにかく私はコーヒーを嗜むのが好きだった。販売の仕事で食品売り場担当だったこともあり、飲食には関心が強かった。家のリビングでコーヒーを飲むには雰囲気はイマイチだなあと思い、会社までの定期の範囲内で様々な純喫茶に行くようになった。主に行き先は都内だ。純喫茶は東京にはかなりあるし、そもそも職場が都心部にあったので好都合だ。しかし、職場近くには近寄らないようにはしていた。単に職場の人間の顔を見たくないという理由だった。人間関係にはすっかり疲れていた。私にとってレトロでどこか懐かしい内装と見た目がかわいらしいメニューのある喫茶店はオアシスといえた。こっそりと楽しむオアシス。平日休みがあったので、営業のサラリーマンに混じって青山一丁目にある純喫茶にいた。タバコの臭いがほのかにする店内は昭和じみた歴史を感じる内装だった。古いと言ったら失礼だが、新しくはない。だが、昭和っぽさやレトロを感じるのは平成の世の人間には新鮮なのだ。すみません、と言うとチャキチャキとした話し方の女性店員が注文を取りに来る。

「ホットコーヒー一つ。それから皐月御膳も」

「ホットコーヒーと皐月御膳どちらもお一つずつでございますね。かしこまりました」

女性店員の話し方がなんとなく温かみがあり、ホッとする。皐月御膳、は私のお気に入りだった。内容は喫茶店にはよくあるワンプレート形式のメニューだ。しかし、二、三度訪れたこの店では皐月御膳は比較的慣れ親しんだメニューだったので頼んでいた。
皐月御前は実にシンプルである。みずみずしい野菜のサラダ、カリカリのトーストはバターの香りがするし、殻のついたゆで卵が一つ添えられている。特にサラダのドレッシングは自家製かは分からないが何ともクセになる味でリピートしたくなるものだった。ホットコーヒーは味はイマイチだが、多分豆の好みだ。とりあえず価格が安いので頼んでいた。スジャータを入れたかったが、付いていないのはいつもだ。ブラックで飲むのは苦手だけれど仕方がない。いただきます、と小声で言った。熱いコーヒーをちびちび飲む。香りと苦味が広がる。やはり、ブラックコーヒーは少しえぐみを感じる。さて、皐月御膳だ。こちらはモーニングからランチタイム限定メニューだった。今は通年あるが元々は夏季限定だったと、雑誌に書いてあった。ゆで卵の殻を割り、一部分を剥くとつるりとした白身の部分が顔を出した。黄身はしっとりと半熟でオレンジ色をしていて、私好みの美味しいゆで卵だ。卵の味をゆっくり味わう。黄身がいつも通り、しっとりかつほろほろだ。ほっぺたが落ちる。
あきらかにカリカリした食感がしそうな見た目のトースト。持つと温かい。ちょうどいい塩気のあるバターが満遍なく塗られていて、口の中にほのかにパンの甘みを感じる。

"幸せだ"

ゆで卵、トースト、サラダの順番で食べすすめていると周りのサラリーマンがカレーを頼んでいた。昼時はカレーを頼む人が多い。メニューをよく見ないので、カレーは何があるか分からない。チキンカレーだったような気はするが。私は相変わらず、ゆで卵、トースト、サラダである。この順番である。サラダのドレッシングがいつものようにおいしい。解放された。会社の上司や先輩の嫌味も、通勤の辛さも、心の疲れからも。そんな日曜だ。

"毎日こんなんだったらいいけどそういうのってメリハリないよなあ"

コーヒーの苦手を感じながらそんなことを考えた。

"あともうちょっとだけここにいよう"

ただ一瞬でいい。幸せの在処を見つけた、そんな気がしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?