「花街の剣の舞姫」第四話

 紫禁城からそう遠くない歓楽街の奥に花街がある。紫禁城周辺に高位貴族の邸が立ち並び、外側に向かって商店街が広がり、一番外側に一般庶民の家が並んだ三層構造になっている。
 王城を中心に、北東部の歓楽街が花街・遊里だ。身請けされることがない限り、遊女は花街の外へ行くことはできない。一生にあるかないかの経験を、この短期間で二回もしてしまった。

 半刻ほど馬車に揺られて着いたのは、武闘会のときとは違う門だ。

「後宮へはこっちの門を使った方が早いんだ。内廷に直接繋がっているからね」

 桃真は腰帯に提げた佩玉を門番兵に見せると、固く閉ざされた門がゆっくりと開いた。透き通る蒼い珠が連なり、群青の組み紐で編まれた佩玉は素人目から見てもかなり高価なものだろうことがわかる。
 高貴な人々が暮らす内廷に立ち入るのだから、身体検査くらいされるだろうと思っていたのに拍子抜けだ。あっさりと中へ入ることを許される。

 門を潜ると、ざぁっと風が吹き抜けた。
 花の香りに振り向くと、鮮やかな色彩の桜がポンポンと花を咲かせていた。

「桃真様って、もしかしてだいぶ偉い人なんですか?」
「ただ家柄が高いってだけだよ。僕自身は偉くもなんともないさ。さて、春桜宮は後宮の東にある。桜妃様が待ちくたびれているだろうから、少し急ごうか」

 男女の性差とはとても憎たらしいものだ。体格差も違えば、歩幅の大きさだって違ってくる。
 桃真は桃花よりも頭二つ分背が高く、その分足も長い。桃真の一歩は桃花の三歩と同じだった。
 小柄で華奢だが、剣舞をやっているので体力には自信があるが、足の長さはどうにもならない。広がりつつある距離に、置いていかれてしまうと不安な気持ちから、先を行く桃真の袖をつい掴んでいた。

「まっ、てください」

 目を瞬かせた桃真は、肩で息をする桃花に気づいて苦笑いをこぼした。

「申し訳ない。早かったね」
「あ、足の長さを考えてください。わたしは貴方より小さいんだから」

 自分で言って悲しくなった。容姿抜群な姐さんたちに比べて、チビで華奢で、胸も平べったい。これから成長期が来るんだと信じている。
 なだらかな曲線を描き、柔らかく豊満な肉体が美しいとされている中で、桃花の体つきは貧相であった。筋肉がつきにくく太りにくい体質で、もともとそんなに食べるほうではないが、いくら食べても肉がつかないので内儀も困り果てていた。
 太らない体質を姐たちは羨ましいというが、桃花にしてみれば豊満で女性的な体の姐たちが羨ましかった。どっちもどっち、ないものねだりである。

 十七歳だという桜妃も凹凸のはっきりした体つきをしている。妃をなんて目で見ているんだと言われるかもしれないが、心の中だけなので許してほしい。花街にいると、つい体型に目が行ってしまうのだ。
 愛らしい顔つきに、出るとこ出て、引っ込むところは引っ込んだメリハリのある体つきは同年代から見ても羨ましい。

「桃花さん! お待ちしていましたわ!」

 宮の前に、侍女を数人連れて桜妃が待っていた。記憶に違わない愛らしい顔に羨ましい体つきである。

「桜妃様、お招きいただき感謝申し上げます。三か月という短い間ですが、お世話になります」
「うふふっ、夏なんて来なければいいのにと思ってしまうわ」

 淡朽葉に黄を重ねた山吹の衣は春の花が咲き誇る鮮やかな季節に似合っており、すがしい色合いだ。
 腰まである黒髪を半分だけ結い上げて、巾でまとめて玉の簪をひとつだけ挿した簡素な姿は、御妃様というよりはいいところのお嬢さんのようだ。しかしよくよく見れば、裳には透かしの刺繍が描かれており、上衣も一等級の生地が使われている。
 後ろに控える侍女たちは、梔子色の裳に白い上衣を着ていた。黄家の姫君である桜妃にならい、黄色を基調とした色使いのもので揃えているのだろう。武闘会の時も、黄色の衣を身にまとっていたのを覚えている。

「まずはお部屋にご案内いたしましょうね、そのあとにお茶会をしましょう! 私、ドキドキして昨日はなかなか寝付けなかったのよ」
「お茶会には僕もぜひ参加してよろしいでしょうか?」
「あら、蒼様はお仕事があるのではなくって?」
「今日のために急ぎの仕事は全て終わらせてきましたから、お心遣いに感謝いたします」

 バチバチと見えない火花が散っている。
 どうすべきか戸惑っていると、侍女のひとりが声をかけてきた。

「桜妃様の侍女頭を務めております、珀怜ハクレイと申します。お部屋へご案内いたしますね」
「え、でも、あの、」
「あのお二人は放っておいてかまいません。いつものことですので」

 きっぱりと言い切った珀怜に「はぁ」と曖昧な返事をして、彼女に着いていく。振り返れば、活き活きとした表情で桜妃と言葉を交わしている桃真がいた。
 桃花に対する桃真は、ほかの女人に対する表情とは違う顔をしており、胸の奥がもやもやとした。

 姐さんたちの部屋よりも広い室内に、桃花は所在なさげに佇む。客間というだけあり、豪奢な造りの部屋は大華の座敷のようだ。
 天蓋のついたふかふかの寝台は、幾重にもうすぎぬが重なっている。まるで深窓の姫君が暮らす一室で、六畳一間で生活をしていた桃花には広すぎた。

「こちらの部屋を好きにお使いください」
「……あの、もう少し狭い部屋はないんですか? 広すぎて……」

 苦い表情の桃花に、珀怜はにっこりと笑って「ありません」と告げた。

「桃花様は桜妃様がお招きしたお客様でございます。侍女・召使い一同、誠心誠意おもてなしさせていただきます」

 梃子でも譲らない気持ちが見えて、早々に諦めた。

 卓子に荷物と布でくるまれた愛剣をそっと置く。ずっしりとした重みの、本物の剣だ。ただし、刃は潰されているが。木でできた剣で舞うこともあるが、本物の方が手にしっかりと馴染み、心を預けることができた。小柄な桃花のために、内儀が用意した特注品である。
 誂えられた調度品以外者のない部屋は、殺風景でどこか寂しさが感じさせられる。
 春が終わるまで三か月もあるが、それまでこの広い部屋で過ごすのかと思うと気が滅入りそうだった。

 春桜宮には侍女頭の珀怜を含めた侍女が十三人と、宦官が八人仕えている。四妃の中では少ない方だが、侍女たちはみな桜妃が故郷から引き連れてきた者たちだ。
 黄家で召し抱えていた侍女で、気心の知れた者たちであるからこそ少人数でも宮の運営が回っている。桜妃も改めて人数を増やすつもりはなかった。

 後宮とは白花の園であり、毒花の群生地でもある。政略と策謀が渦を巻き、美貌だけでは生き残ることができない、まるで蠱毒のような箱庭だ。
 現在皇后位についている姫はおらず、四妃、六夫人、九嬪の十九人の姫が陛下の御心を射止めようと日々切磋琢磨している。より夜渡りの多い姫が御子を授かり、皇后となりうる可能性があるのだ。
 最も皇后に近いと囁かれているのが後宮の南に宮を持つ葵妃。次いで桜妃であった。

 後宮に滞在するとなって、下手な厄介ごとに巻き込まれぬようにと基本的な情報は美美が、細かい内情は桃真が教えてくれた。
 ――紅家には気を付けろ、という茶総大将の忠告を覚えている。
 皇后第一候補の葵妃が紅家直系の姫君だった。なるべき葵妃には近寄らないようにと言われたが、桜妃と葵妃は犬猿の仲のようなので、その心配もいらないだろう。


「桜の花が舞う中で、貴女の剣舞が見れたら最高でしょうね」
「え、今ですか」
「さすがにそんな無茶は言わないわ。それに、これからいつでも貴女の舞が見れるんだもの! とっても楽しみなのよ」
「その時はぜひ僕、と主上も呼んでくださいね」
「もちろん、主上はお呼びするに決まっているじゃない」

 とってつけたような「主上」に、桜妃は鼻を鳴らした。
 ふたりのやり取りは、近所の子供のじゃれあいを見ているような気持ちになる。侍女たちは苦笑いだし、どう反応するのが正解なんだろう。
 
 美しく咲き誇る桜の庭を見渡せる東屋で、煎餅を茶請けに花茶をいただいく。
 春を司る宮でもある春桜宮には春の花、特に桜が多く、長く花を楽しめるようにと長咲きの桜が宮を覆うように植えられている。
 花茶には桜の花びらが浮かべられ、大変風流である。あたり一面を覆う桜並木は満開で、色が濃く、池に浮かんだ花びらが絨毯のようでとても美しかった。

「桃花さんはいつ頃から剣舞を始められたの?」
「物心つく前から、ですかね。わたしは、姐さんたちのように詩も詠めなければ、楽器も苦手だったので」
「剣舞以外は? 扇舞などはやられないの? 剣舞も大胆でとっても格好良かったけど、扇舞なども見てみたいわ」
「できることにはできますが……剣舞の方が性に合ってて」

 ズイズイと遠慮なしに質問を矢継ぎ早にしてくる桜妃にタジタジだ。それこそ「なんで? どうして?」と聞いてくる小さい禿を相手にしているようだった。

「お、桜妃様はどうして後宮に入られたんですか?」

 なけなしの頭を捻り、敬語を絞り出しながら間を見て尋ねる。質問攻めから解放されたいのに、桃真を見ても助けてくれないし、侍女たちが間に割って入ってくれるわけもない。

「――主上にね、一目惚れをしてしまったの」

 頬を舞い散る桜のように色を染め、ふんわりと笑んだ桜妃はとても美しかった。

「一目惚れ、ですか」
「そう。実はね、私、そこの男と婚約者同士だったのよ」

 思わずぎょっとして桃真を見た。
 素知らぬ顔で桜を眺めているが、頬が引き攣っているのが丸見えである。
 四家から王家へ嫁がせることも、四家同士で婚約させることも珍しくない。桃花には縁遠い話だが、後宮内ではそうもいかない。

「親が決めた婚約だったから、恋情や愛情はなかったのよ。あ、親愛はあったけれどね。幼馴染のようなものかしら」

 内緒話をするようにクスクス笑う桜妃にドギマギしてしまう。
 恋愛ではなくとも、元婚約者が遊郭に通い詰めてただの舞い手に熱を上げているのだ。もしかして、これはお招きではなくお呼び出しだったのでは? ゾワリと背筋が粟立って、白い顔がさらに白くなる。

「元婚約者を取られた腹いせに貴女を呼んだわけじゃないから安心して。純粋に、私は貴方の舞がとても素晴らしくて、独り占めしたくて呼んだのだから。――続きだけれど、蒼様が殿試に合格をしたお祝いの席で、主上とお会いしたのよ。ちょうど、桜の美しい季節だったわ」

 黒い瞳に映った桜は、過去へ思いを馳せ、ここではないどこかを見ている。きっと、脳裏には陛下のお姿が描かれていることだろう。
 ざぁ、と風が吹き、花びらが頬を撫でていく。美しい桜の季節だった。

 * * *

 蒼桃真の印象は、穏やかな気質のお坊ちゃんだ。
 礼節と外交を司る礼部に所属する一官吏で、礼部侍郎補佐であり、官吏となってからは本人の高い能力もあって出世街道をとんとん拍子でゆっくりと進んでいる。
 顔良し、性格良し、頭良しの三拍子そろった蒼青年には常日頃から膨大な量の釣書が届いている。

 パチ、パチ、と白と黒の石を打つ音が室内に響く。茶のお供は蒸し饅頭だ。

「随分と、あの娘に入れ込んでいるようだな」
「コロコロ変わる表情が小動物のようで可愛らしいんだ」
「あぁ、昔からお前、猫やら犬やら好きだったもんな」

 ふたりきりの室内で気安い会話が飛び交う。
 さらり、と肩から輝く銀髪を流し、切れ長の瞳にはどこかぼんやりとする桃真が映った。

「俺の妃も、熱を上げていて困っているのだがな」
「黄家は芸術家気質だからね。素人目から見ても、桃花の舞は素晴らしいんだ。目の肥えた梨李紗にしてみれば、それ以上に素晴らしく見えるんだろう。まったく、桃花を見つけたのは僕なのに……」

 王の執務室の窓辺の卓子で碁を打つ桃真の相手は、この部屋の主である国王陛下その人であった。王とその配下だというのに緩やかに流れる時間と穏やかな雰囲気に、昨日今日の仲ではないのが伺える。

 桃真が殿試に受かったのは四年前、十五歳の時。生家の老害共にうんざりして、さっさと家を出るためになんとなく受けた国試に合格してしまい、その次の会試にも合格、果ては殿試に第二位の榜眼で合格。
 試験が簡単すぎたのか、それとも桃真が優秀すぎたのか。当時はこんなちゃらんぽらんが受かってしまって大丈夫なのかと自分自身で心配になった。
 王と――鳳黎ホウレイと出会ったのは国試の会場だった。
 不自然なほどに黒い髪を結わえたやたら顔の良い青年・鳳黎が受験者に絡まれているのを助けたところからの付き合いになる。当時はまさか鳳黎が次期国王陛下で、さらに三元(国試、会試、殿試のすべてで主席を取った者に送られる呼称)をかっさらっていくとは思いもしなかった。

「確かに、彼女の舞は素晴らしかった。まるで命を削るような舞だ。粗いところもあるが、洗練されており見る者を魅了する舞だ。もう一度彼女の舞を見たいと、一部の武官たちが遊郭に通い詰めているそうだぞ」
「当の本人は桜妃様に囲われてしまっているというのに」

 その声音はどこか残念そうだった。
 桃花を見つけたのは桃真である。お気に入りのおもちゃを取られた子供のような、拗ねた表情に鳳黎は片眉を上げて驚く。
 桃真という男は、飄々としていて、何にも執着をしない男だ。好きな食べ物は食べられる物であればなんでも。好みの女は、来るもの拒まず去るもの追わず。蒼家というだけで近づいてくる者は多い。それだけ、蒼家という氏は大きな影響力を持つ。
 礼部の机だけでなく、邸の卓子にも未開封の釣書が積み重なっている。

「なぁ、お前、いつになったら本気を出すんだ?」
「僕はいつでも全力だよ」
「お前が本気を出していたら、さっさと吏部侍郎にでもなっているだろう。寝言は寝てから言え。そしてさっさと昇進して俺の側近になれ」
「……またその話かい」

 指で挟んだ碁石をパチン、と打つ。

 若くして、桃真ほど優秀な官吏はいない。礼部の侍郎補佐としてくすぶっているのがもったいないと常日頃から鳳黎は思っているのだ。
 桃真の能力を活かすには人事を司る吏部や、司法を司る刑部がぴったりだろう。穏やかで綺麗な完璧すぎる笑みを浮かべた裏側は底なし沼のように闇が深い。
 切れ者と名高い吏部尚書か、合理主義の刑部尚書か、どちらが先に桃真を引っこ抜くだろうかとひそかに賭け事にされているのは当人の知らぬことである。鳳黎にしてみれば、いっそ中書省に来てくれた方が呼び出しやすくて良いのだが、きっと本人は拒否をするのだろう。

 飄々としていて、柔和な笑みが標準装備。容姿端麗で頭の回転も速く、女官だけでなく下吏からの人気も高い。ついでに家柄も高い。意外と寂しがり屋で、物にも者にも執着はしない主義。
 そんな桃真が、熱を上げている舞い手に、鳳黎がきょうみを引かれないわけがなかった。
 舞踏会の時に一度だけ顔を合わせたが、印象に残っているのは国宝にも勝る美しい蒼い瞳。見惚れてしまうのも頷ける美しさだった。
 一度挨拶に行くべきかと思案して、パチン、と石を打つ。

「……参りました」
「考え事などしながら俺の相手をするからだ」

 最後の饅頭を手に取って、さっさと立ち上がる。思い立ったらすぐに行動だ。今日の公務はもういいだろう。税を上げるべきだの、俸禄を上げるべきだのと阿呆な法案ばかり上がってくる。税を上げれば民から不満の声が上がる。
 幸なことに今年は米も野菜も豊作で、干ばつ被害もない。大きな水害に見舞われることなく、何事もないまま一年が過ぎて欲しいものだ。
 上着を手にした鳳黎を不思議な目で見る桃真にニヤリと口角を上げる。

「桃真の愛しい舞姫に会いに行こうじゃないか」

 完全に面白がっている王に深く溜め息を吐いた。

 桃真は王様に仕えているわけでも、国に、民に仕えて官吏をやっているわけでもない。ただ実家から抜け出したくて、自立しようと思い官吏になった。官吏になれば決まった額の俸禄が入るし、礼部侍郎補佐という立ち位置はそれなりに楽で気に入っている。
 こうして碁に付き合うのだって、自分自身の息抜きもあるが、紫鳳黎というおとこを気に入っているから付き合ってやっているのだ。
 行くぞ、という王様の言葉に僕は礼部の所属なんだけどなぁ、とぼやきながらも「はい、主上」と立ち上がった。
 進士たちには主上の側近と思われているが断固違うと拒否したいのに、周囲の扱いもだんだんそんな風になりつつある。そんな適当でいいのか。
 ただ、桃花に会いに行く口実が増えたのは喜ばしいことである。 


第五話


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