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現場感を伝えたいこの頃

「農地はどこへ向かうのか」という記事でいろいろ都会と地方の見え方の違いなんかも書いてみましたが、

いま関心があることの1つに、「若い世代の想像力」というのがあります。


『誰も農業を知らない』という本で書かれていたことで、あー、ほんとそうだなと思ったのが。


昔は、都会でも「農家の息子・娘」がそれなりに居て、

農業界の変化や状況、作業の大変さややりがい、その年の事情など、友だちや同僚と話すことで、

都会の人もそれなりに想像がしやすい田舎の世界があったと。

要するに遠く離れていても、心理的な距離感はそれほど離れていないわけですね。


それが、その人たちが都会で住み続けて家庭を築き、その子ども世代になると、

「親の実家が農家だった」くらいになるので、想像できない。


農家数も減っているので当然その親類なども減っていて、都会で農業や田舎のことをしゃべれる伝道師みたいな人も減っている。


ほんと、そーだなと。(2回目)


僕ら、海外の途上国で道徳的に問題があるはたらき方を強いられている人たちが作ってくれたものが激安で日本に流通している、とニュースで見ても、いまひとつ実感がわかないですよね。

それが、その国の出身の人が友人にいたり、その国に行って見てきた人の話を直接聞いたりすると、もっと身近に想像できたりすると思います。


そういうのと似たようなことになっていると思います。


ですが、鳥取にいて、意外に近所で、

「農の現場に触れたい」

という若い人が居るということに最近気が付きました。


どこの地方もそうかと思いますが、今は中途半端に都市化していて(←失礼)、意外に地方都市でも、農との距離感が遠いのですよね。


2050年には世界人口の7割が都市住民になるんですって。

(大丈夫なんかパンデミックは)


話が逸れましたが、

せっかく若いうちにいろいろな世界を見たいと思っている人が居るのなら、

それに応えたいなと。


もうほんと、最終的に田舎で住んではたらくかどうかなんて、分かんなくて良くて。


都会に行ったとして、現場感を周りの人に伝えられるだけで、

だいぶこの心理的距離は縮まるのではないかと。


心理的距離縮めて、農業をどうにかしたい、というよりは、

多様な世界を想像できるやさしい世の中に、ちょっとでもなると良いなと。


いま、いろんなモノやサービスが「過剰品質」だなと、思っています。

「良い状態」に慣れ過ぎると、それが普通で、もっと。となる。

ちょっとダメだと、クレームになる。


そういうのって、想像力とかリスペクトが足りてないんじゃないかなーって思うのです。


で、それは、やはり想像できるための機会に恵まれていないというか。


同質の環境に居た方がラクで心地良い、という人は多いでしょうから、ますます自分と違う世界とは遠ざかる。


「虫食いの無い、きれいなお米」がスーパーに並んでいるのは、簡単なことではないんですよね。


作ってみて分かりましたが。


たとえば、6畳くらいの面積で取れるお米って、だいたい20万粒くらいあるんですけどね。

(初めて6畳で計算しました笑)


20万粒もあって、虫食いがゼロなわけ、無いじゃないですか。


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