吐き出されるよな、吸い込まれるよな
今日、大学が丸一日休みだったので久々に人がたくさんいる場所に行った。起きるのが遅くなってしまったので、課題を終わらせて、家事全般を済ませてから、家を出るときには午後5時をこえていた。
最近、洗濯物をため込んで干すことが多く、ハンガーの数が足りないな、とずっと不便に思っていた。私はそのハンガーだけを求め、人通りの多い時間帯にわざわざ街の中心部に足を運んだのである。
南口を出ると、空はすでに暗く、ドラッグストアや家電量販店の電飾が煌々と、歩く人々を照らしていた。スーツを着た人、たばこを吸う人、地雷系の人。いろいろな人がいるのに、皆同じように見えてくる。明かりのないところからあるほうへ、ベルトコンベアみたいに動いていく街。
よく小説や詩で、建物からどっと人が押し寄せながら出て行くのを「吐き出されるように」と喩えることがある。たしかにそういう風に感じることもあるかもしれない。でも「吐き出される」側にいると、私は逆のことを考えてしまう。
吐き出されたら、楽かもしれない。ぎゅうぎゅうに詰め込まれたものが外に放出されるのだから、密度が広がり、暗くて狭い場所にはなかった新しいものが見つけられるかもしれない。
私が「吐き出された」とき、感じるのは匂いだ。なぜか分からないけれど、駅の構内は匂いがしない。人があれほど溢れかえっているのに、近くにいるのに、無臭。
ニコチン、香水、生ゴミ。そういう匂いが、人いきれと渾然となって街から立ちのぼってくる。匂いを嗅ぎ分けていくと、ビルとビルの間の暗闇に何か潜んでいるような気がした。まるでそこへと吸い込まれるように、私は彷徨っていく。
気がつくと、目の前にはエメラルドグリーンの大きな看板が立っていた。
「ニ ト リ」
ああ、そうだ。ハンガーを買いに来たんだっけ。
本来の目的を思い出した私は、いつも使っている角が丸くて使いやすいハンガーの購入を済ませると、素早く店をあとにした。もと来た道を戻ろうとしたが、いまいちどこを通ってきたか思い出せない。適当にまっすぐ歩き、角を曲がると目抜き通りのような場所に出た。駅の方角を確認しようとしたが、その通りが直接駅の大きな出入り口に面していたので、その必要はなかった。
遠くの信号が青色に光る。押し広げるように通りの向こうから流れてくる人の波。それは確かに「吐き出される」ように見えた。
ぼぅーと突っ立っている私の腕には、中身のハンガーと不釣り合いの大きなレジ袋がぶらぶらと提がっていた。
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