『相模原津久井やまゆり園事件』から7年、私たちはスタンダップコメディアンになった!(笑)
何度も言うけれど、うちの次郎があの日『相模原津久井やまゆり園』に居たら刺されていた。次郎は自分の名前を言えないからだ。
これは、次郎が殺されるかもしれない問題なのだ。
現に、その後も、あちこちで知的障害者は、支援者に殺され、親に殺され、そして、小さな記事で、加害者に信じられないくらい軽い刑罰が下ったことを知る。
京都で重度の知的障害のある息子を手に掛けた事件では、加害者の母親に執行猶予が付いた。殺人で執行猶予が付く例など他にあるだろうか?情状酌量などいらないから、親が子どもを殺す前に助てくれよ!ほっとくなよ社会!
この母親だって、今更優しくされたって、大事に育ててきた息子は帰ってこない。自分が犯した罪も消えない。苦しいだけの人生が待っている。
そもそも、『相模原津久井やまゆり園事件』はヘイトクライムだから、犯人の名前や犯行動機は流布してはならないのに、そんなことすら学ばないで、未だ同調する人の口を止めることすら出来ない。支援者や親が追い詰められていく状況とは違い、なにも知らない無知な人々が、不満の矛先を弱い者に向けるヘイトは止まる様子もない。
へイターに告ぐ。
人の命の価値など語るな!値踏みするな!人の命に干渉するな!
ただひたすら自分の命を燃焼することだけに、集中しろよ!
この7年、私はたったひとつのことを願っていた。
次郎のところに誰か遊びに来てほしかった。
コロナ禍もあり、しかたないことではあったけれど、コロナ禍だったからこそ、知的障害者とその家族は、本当に大変だった。やっと最近「もとのサービスが受けられるかも?」と喜びあっている。白髪を増やし、禿を増やし、必死で子どもを守ってきたことが見えているだろうか?
だから私は、人に期待することをやめ、急速に進化を遂げなければならなかった。
だから、前に前に出続けてきた。
目立つところに、人目に付くところへ、陽の当たるところに居続けた。
なぜって、犯罪は人目を偲んで行われるから。
人目に付くところに居る限り、安心出来た。
だから、私たちはスタンダップコメディアンになった(笑)
そこが最も明るい場所だったから。
ステージに立つ私は、よく「度胸がありますね」と言われる。
だって、次郎が殺されるよりよほどマシだもの(笑)
だれにも負ける気がしない(笑)
先輩方の命掛けのステージ(命掛けで人を笑わせるなんて最高かよ!)を見るにつけ、これは、本当に命をかけてする仕事だと思うようになった。
私の残りの人生を、スタンダップコメディにかけようと思っている。
最期に、「相模原津久井やまゆり園事件」を考えるのなら、私と次郎のスタンダップコメディを見てほしい。殺されるかもしれない息子とどうやって生きて来たかを聞いてほしい。
内心「私たちを呼んでくれよ(笑)」と思っている。
出会えば変わると思うのだ。
出会えない社会だから、変わらないままなのだ。
声をかけてください。