見出し画像

あなたは誰かに「生意気だ」と言われたことはありますか? あなたは誰かを「生意気だ」と思ったことはありますか?

あなたが誰かから生意気と言われた、その誰かとはどんな関係だっただろう?
あなたが誰かを生意気と思った、その誰かとはどんな関係だったろう?

私が考えつく限りの関係を列挙してみたい。『○○→△△』というのは、『○○が△△を「△△のくせに生意気と思った」』という文章を簡略化したものだ。

先輩→後輩、上司→部下、先生→生徒、男性→女性、年上→年下、大人→子ども、親→子、健常者→障がい者、支援者→被支援者、裕福な人→貧乏な人、国会議員→県会議員→市会議員、高学歴の人→低学歴の人、社長→社員、経営者→労働者、正規雇用者→非正規雇用者、(工業)先進国の国民→(工業)後進国の国民、大企業の社員→中小企業の社員、、、などなど。


こう考えていくと、上下関係が生意気という感情を引き出しているとも言えるのではないか?要するに、自分が上だと思っている人間が、下だと思っている人間に抱く感情だといえないか?自分より下だと思っていた人間が自分に意見などしてきた時に、生意気と感じるということではないか?

関係は単純なものではないから、年上だけど部下だとか簡単には言えないとは思う。けれど、どうして生意気という感情が出てくるのか?ということを、立ち止まって考えたい。特に自分が誰かを生意気だと感じたとき、自分はその人の事をどう思っているのか?ということを自分に聞いてほしい。

本来、矢印(→)で示した関係に上下関係はないはずだ。しかし上下関係というのは依然としてあって、民主的な社会の運営を邪魔している。だれもが平等だという前提に立って、だれの意見も排除しないなずの民主主義を大きく歪めている。下と見られている人間が意見すると生意気だと言われる。言わないまでも、意見することをありとあらゆる手段で妨害してくる。

女性が声をあげること、障がい者が声をあげること、子どもが声をあげること、どれほど生意気だと叩かれ続けているだろうか?

声をあげたことを生意気だと言われ、声のあげ方がダメなのだと言われ、態度がダメなのだと言われ、そもそもその存在が気に入らないと言われる。要するに「お前らは黙って大人しくしていろ」という話なのだ。いつになったらその声の内容に耳を傾けてもらえるのだろう?

気づいてもらえただろうか?

これは差別なのだ。属性でその人を見て、その属性で下に見るという。

私たちはどれほどの重圧をはねのけて声をあげればいいのだろう?

海の底から叫んでいるような気持ちになる。けれど、海の底から叫んでいると、同じ海の底の生き物に出くわす。

20130824_0794 明石海人 ののこ文字入りサイズ修正文字入り

(写真は私が50歳の時に価値観をひっくり返したいと、写真家の亀山ののこ氏に頼んで撮ってもらったもの。なにか感じてもらえたら嬉しい)

私は、「深海の魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」という明石海人の言葉を座右の銘にしているのだけれど、まさに深海の魚族たち。

その深海の魚族仲間から伝わってきた話をしたい。

「愛こそすべてだ」という教育をしている学校がある。「愛とは人を大事にし、人から大事にされること」だと言う。

魚族仲間はこの学校の卒業生。そして今この学校が危機に瀕しているという。

人権教育を最も大事にしている学校で、理事長が卒業式の式辞で言った言葉を紹介したい。

「小さくても、エルメスやヴィトンとか、そういうようなブラントというものは、小さくてもピカッと光っています。私どもの学生たちは、今はそういうブランド大学だという誇りを持っております。」(文春オンラインより)

まあまあよく居る人だ。人権をわかっていない人。人を大事出来ない人。あまりにもよく居すぎて、いちいち目くじら立てていたら身が持たないと思うほどよく居る人。

ただし、こんなことを言う人が、教育現場のトップに居たらどうだろうか?人権なんて知らない、平等なんて考えたこともない、民主主義も権力でコントロールできると思っている。自分がすべて、お金がすべて、自分にたて突くものは許さない。一人残らず潰す。そんな人が学校のトップに居たらどうだろうか?

私は深海で叫ぶ。子どもたちを守りたい。子どもたちに愛を伝えたい。愛を信じていいと伝えたい。人の優しさを伝えたい。あなたたちを権力やお金やさまざまはもので殴ってくる人が社会にはたくさんいるけれど、でもそれと同じくらい、いやもっとたくさんの力なき優しい人が居ることを伝えたい。

私たちは愛し愛されるために生まれてきたのだ。

私たちは大事にされるべき存在なのだ。

私たちはブランドのバックなんかじゃない。


この学校の卒業生が発信した理事長の退任要求の署名を貼り付けます。

この理事長が続投をするということは、金こそすべてと認めることになるから、、、、どうか、署名をしてほしい。愛を諦めさせないでほしい。

本文がなぜか(調べ中)英文になってるので、ここに翻訳サイトの直訳を私が少し手直ししたものを貼っておきます。呼びかけ文が英文になっていることでシェアしずらくなっています。なぜ、このようなことになっているのかも含めて、注目よろしくお願いします。※これまた何故か日本語に戻っています(2021.8.20 19時現在 英文には理事長の名前が入っていませんでしたが、日本語に戻って理事長の名前入っています)


以下、change.org署名より

<呼びかけ文>

私は今年の3月に平安女子高等学校を卒業生しました。平安学院理事長は3月1日の卒業式で、次の発言をしました。

<<世の中には5種類の人間がいますね。一番目はどうしてもあって欲しい人。二番目はどちらかというと居てほしい人。三番目は世の中にいてもいいひんでもいい人。四番目は世の中におったらあまりよくない人。五番目は世の中におったら害になる人。さて、どれが一番いいでしょう?それは一番目の世の中に必要な人だと思っています。>>。

私はそのような式辞を聞いて非常にショックを受けました。卒業生に対する氏の言葉は、平安女学院が大切にする愛と多様性の精神に反していました。平安女子高等学校に通った3年間に対する否定を感じました。

そんな発言をした氏は、平安女学院の理事長、院長、学長を兼任しています。これは理事長の私物化と言っていい状況です。こういった体制が続けば平安女学院の生存が危うくなります。この出来事は、文春オンラインの記事にも掲載されました。母校を守るために、理事長(院長、学長)の退任を求めます。私たちを助けてください。


以下クリックして、署名よろしくお願いします。


以上、転載おわり。


愛がその後どうなってしまうのか?また、書きます。

追記:署名にご協力しようとしてくださった皆さんへ~納得できる回答が得られないまま、現在オンライン署名サイトchange.orgのキャンペーンページは英文に差し替えられ、署名も反映されなくなっています(8/20 16時現在)。追って報告します。

追記:8/20 19時現在 英文が日本語に戻りました。これでシェアしやすくなりましたので、どうぞ、シェアもよろしくお願いします。



書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。