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ボクは白岩次郎(しらいわじろう)です。名前で覚えてね!~津久井やまゆり園事件から6年目にやはり思うこと~
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タイトル写真の次郎の顔!なんてイキイキしてるんだろう?!いつも優しいお姉ちゃんの顔になんてことを!と思うけど、可笑しくて笑ってしまう。楽しかったなあ~。子どもたちが小さい頃は本当に可愛かったなあ~。本当に幸せだったとつくづく思う。
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次郎が実年齢4歳の頃は、おそらく知能年齢は1歳未満。現在実年齢28歳で知能年齢4歳くらい。知能年齢4歳といっても出来ることはいろいろあって、特に人の気持ちがわかるとか、気が利くとかいう特徴はある。けれど基本、必要なケアは4歳児と同じと思ってもらっていいかもしれない。
虫歯にならないように仕上げ磨きが必要なのに、仕上げ磨きを嫌がる。お風呂では体も髪も洗えない。濡れた体を拭けない。トイレでお尻が拭けない。栄養のバランスを考えて食事を用意しているのに、甘いジュースを飲みたがる。箸は使えない。ボタンやファスナーは留められない。服の前後ろを間違える。指摘すると拗ねる。靴下のかかとが上の方にくる。指摘すると拗ねる。紐を結べない解けない。要求が通らないと機嫌を損ねる。機嫌をとってもらわないと駄々をこねる。いい子に見られたいから他所ではすごくいい子にしてるetc・・・・。
この前、次郎が雨の中を傘をさして歩いていて、人込みの中で盛大に尻もちを付いたら、まあまあ迷惑がられた。小さい子が転んだなら心配もされるだろうけど、28歳の大人が「うわー」とか言いながら転んだら、怪訝な顔をされたし、なんなら邪魔だから早くどいてほしいって顔してたなあ~人込みの人たち。
そんな時、私は心の目で見てほしいなぁと思う。次郎は大人だけど、転んだり、不器用に人にぶつかったり、階段を一段一段しか登れなかったり降りる時はもっと時間かかったり、エスカレーターは怖くて乗れなかったり、電車が来ると、ついつい駅員さんの真似をしちゃったり、なんなら電車の真似までしちゃうことを知って欲しいと思う。
でも、次郎のような人はこの社会には居ないかのようだ。
コロナになって早3年。次郎たち障害者の暮らしがどうなっているのかなんて、一度だってこの社会は気にかけてくれただろうか?施設利用が出来ず、ヘルパーさんだって来てもらえず、必死に耐え忍んだ日々があったことを、この社会は一度だって考えてくれたことがあっただろうか?
マスクの着用のことだってそうだ。マスクが出来ない人もいることを、この社会は認めてくれただろうか?配慮してくれただろうか?次郎はフェイスシールドをしているけれど、フェイスシールドはマスクとは認められないと言われて、入場を断られたこと数知れず。
「マスクの着用をお願いします」のセリフの後に、「マスクの出来ない人も居ることへのご理解をお願いします」と言うだけでいいのに。それだけで、マスクの出来ない人がいることに思いを馳せる事が出来るのに。
けれど、そんなことを言うと「みんな我慢してマスクしてるのに、特別扱いか?」とか「不平等だ」とか「そんなことなら自分もマスクしない」とか言い出す人が出てくるからだろう。いつまでたっても障害のある人への配慮はされないままだ。
弱い人、困っている人、病気の人、配慮が必要な人のことを、とことんいじめる社会なのだ。コロナ前からあった差別が、より鮮明になったコロナ禍でもあった。
そして、今日、次郎の通所する生活介護事業所で感染者が出たとのことで、1週間の閉鎖が決まった。ま、しかたない!私たち6か月も施設利用出来なかった経験がある。頑張れるはず。でもな~私の老化はとどまることなく進んでいることも事実。58歳の私が4歳児のケアをしていると想像していただけると幸いだ。もし、東京にお住まいの方がいらっしゃれば次郎と遊んでもらえるとありがたい。とにかく出かけたい次郎と出かけたくない私の攻防が続くことだけは必至だ。
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次郎は面白いヤツだから、体力さえあれば楽しめる。体力勝負だ!さあ、早く寝ないと、明日の私は悲惨なことになる。
最後に、報道に関して(そして、そんな報道を許している社会にも)注文がある。
『障害者殺傷事件から6年』のニュースがNHKでも報道があった。それ自体はいい。忘れてはならない事件だから追ってほしい。しかし、未だに犯行動機を流すのはやめてくれないか?犯人の言った言葉をなぜこうも執拗に流し続けるのだろう?事件当時の報道で問題だったのは、この犯行動機を流すことで、同調する人が多くいたことだった。そのことが障害当事者や、私たち障害者家族を震え上がらせたというのに。
NHKの日曜討論(7/3)では、”子ども子育て教育予算”のテーマで、ある国会議員が「子どもを増やせばいいという問題ではない。質の問題です。いわゆる賢い親の子どもをしっかりと産んでゆく~中略~質の悪い子どもを増やしてはダメ」という発言をした。この言葉をそのまま流したことにもびっくりした。こんな発言が許される社会に生きていることが嫌になる。この国会議員は「悪名は無名に優る」とも言う人だ。
だから、悪名は流布してはいけないのだ。
ニュージーランドで2019年にヘイトクライム事件が起きた時、アーダーン首相は、犯人の名前を一切口にしないと述べた。それはヘイトクライムの加害者には名前とストーリーを与えないということだ。犯行動機についても、加害者の自己中心的な言葉を伝えないというのが、社会の基本的姿勢であるべきなのだ。
日本社会は未だ、犯人の名前を広く報道し犯行動機を伝え続けている。ヘイトクライムに同調する人々が増え続けることがわからないのだろうか?それとも、障害者だからという理由で狙われたことはヘイトクライムとは定義されないのだろうか?それとも、そもそもヘイトクライムとは何かという定義もなく、ヘイトクライムが起こった時の対処の仕方もわからないのだろうか?
いったいこの6年間、私たちの社会は何をやってきたのだろうか?
私は、この6年間、社会への信頼を失い続け、無理に笑い続け、ひとりで空回り続けた。
でも、のた打ちながら決めたことがある。怒っても泣いても嘆いても、聞いてもらえないなら、笑おう!笑わせよう!!
次郎とスタンダップコメディに挑戦しているので、『スタンダップコメディオープンマイク』↓の動画7分20秒あたりから登場する次郎を見ていただけると嬉しい。
民主主義はまだ始まってもいないのだと思う。ここから始まるのかもしれない。始まらないのかもしれない(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
これからも、諦めることなく社会は変わると信じて、自分に出来ることをしてゆきます。
次郎たちが、殺されない社会にするために!
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