余熱
もう2分以上待っている。
進むべき道路の向こうがむりむりと陽炎であいまいになっている。この信号機、壊れているのではないか。ずっと赤。なにをもってずっと赤いのか。ギラギラとした車の流れは絶え間なく続いている。どの車の中もクーラーで冷え切っているのだろう。外はアツアツ中はヒエヒエ。本日の最高気温はコロナになった時の体温より高い。あの時に飲んだキンキンのビールはうまかった。500ミリリットル1本で顔が火照って、コストパフォーマンスが良いなあと独り笑った。今はもう、ヒリヒリだ。局部以外の粘膜が渇いてヒリヒリしている。なにをもってこんな赤に従ってヒリヒリしているのだろう。交通規則。区民ひとりびとりが効率良く快適に通行するために、地面をアスファルトで塗り固めて線で区切りこざかしい信号機を差し込んで、それでいてもう3分以上待たされている。歩行者はみな不快そうな不快な顔をしている。電線に留まっていた真っ黒いカラスが真っ逆様に歩道に落っこちた。仮に交通規則を無視して非区民となりこのまま横断してみたらどうなるか。外アツ中ヒエの車の群れに四肢を引き裂かれて赤になる。このわたしの報われぬ魂によって交差点一帯が永遠の赤になる。太陽がまぶしかったから。いいじゃない。いいぞテロルだ魂の。きょう、ポピーが死んだ。黄色い点字ブロックの外側に一歩踏み出してみる。猛烈な大きさのトラックがむごい音を立てながら眼前を走り過ぎていった。
よし、手前の交差点まで戻ってみるか。歩き出すとスニーカーの底がじゅうじゅうと鉄板に押し付けられて焦げつくようなイメージに捉われる。実際に焦げた樹脂の臭気さえ立ち昇っているように感じる。靴裏を確認してみると、ガムがこびり付いている以外に特段の変化変容がなく少し残念だ。通り過ぎた親子連れの視線に一瞬の涼を感じた。ミュートにし続けていた蝉時雨がその隙に爆音になった。街路樹の落ち葉は全て乾涸びていて、踏みつけると力なく粉々になっていく。残暑ってなんだ。余熱か。余熱でしっとり柔らかくされようとしているのかわたしは。たれに?太陽に。その思惑とは裏腹にべたべたで凝り固まってくらくらだ。ざまあみろと思う。すると、横を過ぎゆく車の流れがみるみる緩やかになっていく。後方で何かに堰き止められているのだ。振り返ると、さっきの信号機が緑色に点灯しているではないか。
ホーリー緑。ジーザス緑。死ぬまで愛してやるから。むかし青汁を親に無理矢理飲まされて吐いた後の、あの便器の色に酷似している。屈辱感と容赦のない余熱で全身の毛穴という毛穴が喘いでいる。鎮まれものどもよ、歩道橋だ、信号機めらに従わず、橋を渉るのだ。我よ憤怒の橋を渉れ。パキパキに錆びた歩道橋は立ったまま眠れるけだもののようだ。まずは一段を踏破するのだ。脚がぐにゃんとする。毛穴たちが咆哮のように汗を噴き出す。これはもしや。二段目を踏み出す。脚がポンプの要領でそれらからさらに汗を噴き出させる。頭がヒヤリとして視界がカルピスみがかる。駆け上がるしかない。三段目四段目、意識は頂上まで先走っていくのだが身体の動きは至ってスローモーだ。少し上の方の手摺りをぐいと掴んで体を引っ張り上げていこうとした。しかし銀色にギラめく手摺りの余りの熱さに手を離す。バランスを崩した隙に、頂上に見える太陽がぐいとわたしに距離を詰めてくる。思わずのけぞって大切な後頭部が地球の強烈な重力に引き込まれる。小さい頃に木立の中でこびとに遭った時のような落下感、そして、社会人になって彼女が出て行った日に殺風景な真っ白の部屋に投げつけて遊んだトマトのことを思い出した。