何が違うの【ショートストーリー】
私達は、しっとりとした所が好き。
ちょうど今のようなあたたかい季節なら、なおさら過ごしやすい。
この場所は、暗くて狭い。食べ物がたくさん詰まった巨大な箱の下。ここはとてもいい。静かにしていればまず見つからないし、よく食べものが転がり込んでくる。
たまに箱が「ブーン」唸ってうるさいけれど、そのたびにあたたかい風が吹きだして心地よい。
ただ、『固いヘビ』には、十分に気をつけなければいけない。
あれは、大きな音と共に突然やってきて、目の前の物をゴーって吸い込んでしまう。丸呑みにされたら最後、二度と帰ってはこられない。
私達は生まれた時からここに住んでいる。この家は庭のようなものであり、生活は慣れたものだ。
「そろそろ頃合いかな」
夜、暗くなってから十分に待った。今日も活動をはじめる。
暗い部屋に、かすかに住人の寝息が聞こえる。安全確認は、これくらいで十分だろう。今日の食糧調達に出かけるため、箱の下から出た。
一歩踏み出した瞬間、私は固まった。
何かに見られている事に気づいたからだ。
「しまった……」
数メートルほど右側にソファがあるが、そこにヒトがいた。
ぼんやりと眠たそうなその目は、私の見た瞬間かっと開かれた。ただでさえ固まっていた私の体は、その鋭い視線が放つ圧に、押しつぶされそうになる。
「ギャー!!」
鋭い声が、部屋中に響いた。その声には、明らかな敵意と、嫌悪感と、恐怖とが混ざり合い、非常に不快だ。
油断した。日々の慣れで緊張感を失っていたのかもしれない。絶対に姿を見られてはいけないと、あれほど注意していたのに。うっかり見つかってしまった。
この家には、ヒトがふたりいる。
ひとりは、今悲鳴をあげた、スルドイヒト。
もうひとりは、オオキナヒト。
もしソファで寝ていたのがオオキナヒトであれば、ぐっすり寝てくれていたことだろう。『あれ』は体こそ大きいが鈍感で、野生のカンなどまるで無いからだ。
だが、スルドイヒトは違う。私達お得意の、音ひとつ立てない『しのび足』にだって、何かを感じ取り目を覚ます。感覚が鋭いのだ。
「ゴキブリが出た! やっつけて!」
その声に呼ばれて、隣の部屋からオオキナヒトが来た。
パチンという音とともに、部屋が明るくなる。闇に馴染んでいた私の姿は、浮き彫りに。
ふたりのヒトの姿も鮮明になった。見上げるほどの巨体が、私に迫る。
両手には、私達の命を奪う道具。
右手には、何か棒状のもの。左手には毒の霧が出る筒で、その気体に触れると命を取られる。
「俺に任せろ!」
オオキナヒトは、右手を高くあげた。
すっかり呆けていたが、ハッとする。体の『こわばり』をどうにか振りほどき、地面を蹴る。
巨大な腕が振り下ろされ、どしん、と床が震える。
その迫力に再び怯みはしたが、どうにか間一髪、身をかわす。本能的な回避行動だった。
振り下ろされたそれは、電流を帯びている。柄の突起がを押されるたびに、青白い閃光が光る。小さな雷だった。
あれにかすりでもしたら、動けなくなっていただろう。
続けて、何度も何度も振り下ろされる。どしん、どしんと、私の足跡を追うかのように。
仲間の方を見る。皆が心配そうに見ていた。私は、目で合図をする。
「見つかってしまうから、奥にいて。後で必ず戻るから」
仲間から離れ、私は一人きり。逃げ込んだのは、ヒト達が食事の支度をする場所だ。
ここに来たのは、少しでも仲間のもとから離れるためではあるが、もうひとつ狙いがある。
左手の毒の霧を封じるためだ。
私は日々の観察によって、ヒトの性質をある程度理解していた。
この場所は、最も汚染を嫌う場所。
ここは、食材やそれらを加工する道具がたくさん保管されている。この場所に毒を撒き散らす事を、ヒトは好まない。その毒は、彼らにとっても多少は有害だからだ。
私達はこうした頭脳戦によって、ヒト達との『化かし合い』を生き抜いてきた。私達とて、一筋縄ではいかないつもりだ。
「さあ、どう? ここでその毒の霧は使えないでしょう」
振り回される右手をかわしながら壁を伝い、身を隠せる場所を探す。
結論から言うと、私の仕掛けた頭脳戦は裏目に出た。「あれは毒の霧だ」と、私はどうしてそう思い込んでしまったのだろう。
油断だった。
オオキナヒトはなんの躊躇もなく、逃げまわる私に左手を近づけた。
「くらえ、冷凍スプレー!」
判断が一瞬遅れた。凄まじい風圧で壁に押し付けられる。筒から出る風をまともに浴びた。
それは体験した事のないような、強烈な冷気だった。吹雪だった。噴射されたその一帯に霜が降りる。私はその中心にいたものだから、ひとたまりもない。
たまらず空中に逃げるも、氷づけにされた足は離陸の瞬間に「ばきっ」と音を立てて千切れた。凍って壁にはり付いてしまったらしい。
壁に足二本を置きざりにしたままで、高度を上げる。
どうにか命拾いしたが、取り返しのつかない大怪我をしてしまった。
それでも飛んでいられるのは、激しい凍傷のせいなのか、痛みが遠いからだ。
私たちとヒトとの化かし合いは、彼らに一歩先を越されていた。
浴びた霧は、私の知っているものではなかった。体の自由と知覚全般を奪い取る、毒の霧だと思い込んでいたが……、今回は違ったようだ。
毒はないのだろうが、一帯を氷づけにした。どうしてヒトは、こんな魔法のような道具を発明できてしまうのか。
自身の観察眼を過信していた私は、足二本を失った。
天井付近まで飛ぶ。そこまで高度を上げてはじめて、潜り込めるわずかな隙間を見つける。上空で身をひるがえす。
その隙間をめがけて空気を蹴る。推進力を得ると、急降下する猛禽類のように羽をすぼめる。
限界まで細く尖らせた体は弾丸となり、その隙間を撃ち抜いた。
間一髪、鉄の箱の中に避難した。
「あー、換気扇の中に入った!」
でたらめに冷気が噴き散らされるも、その中は安全地帯。壁に守られている。
奥へと進んだ。悪態を遠くに聞きながら、ひどく油のこびりついた羽根を踏み越えると、外へと通じている。
ちぎれた足を庇いながら、どうにか隣の家の屋根の上まで辿り着く。そこで体を休めた。
私はそこから、家の中を窓越しに眺めていた。
ヒトは、私が姿を消した事を確認すると、すぐに電気を消した。そしてオオキナヒトは隣の寝室へ、スルドイヒトはまたソファへと体を預け、眠りにつく。
*
電気が消え、静かになり……30分ほどが経過した頃。私達の『すみか』から誰かが顔を出す。
カナブン氏だった。
彼は先日この部屋に迷い込み、脱出方法がわからずにさまよっていて、偶然に私たちに出会った。とても疲れていたので、「しばらくここに居たらいい」と、招待したのだ。
私は焦った。彼は大切な客人だ。今すぐ危険を伝えなければならない。
だが、満身創痍の体は自由に動かず、どうする事も出来ない。
ソファで寝ていたスルドイヒトの目が、静かに開いた。
「うわあああ!! また出た!」
長い夜に、再び鋭い声が部屋中に響いた。その声には、明らかな敵意と、嫌悪感と、恐怖とが混ざり合い、非常に不快だ。
「またゴキブリが出た! やっつけてー!」
その声に呼ばれて、隣の部屋からオオキナヒトが駆けつけた。二度目の登場だ。
パチンという音とともに、部屋が明るくなる。闇に馴染んでいたカナブン氏の姿が、浮き彫りに。
両手には、私達の命を奪う道具。
「ん? なんだ、カナブンか」
カナブン氏の姿を確認すると、優しい顔になる。
「俺に任せろ」
両手に持った道具を部屋の脇に置いた。それだけではない。先程まで私に向けていた敵意も、攻撃性も、鬼のような形相も、全部まとめてそこに置いた。
「きっと迷い込んだんだな。さあ、つかまって」
微笑んで、指を差し出した。カナブン氏は、一度逃げようとするも足を止めて、くるりとふりかえり、おそるおそる、その指に乗った。
「大丈夫? 怖くないの」
カナブン氏が運ばれ、窓が開放された。
「ただのカナブンだから、怖くなんてないよ。ほら、行っといで」
カナブン氏は軽く頭を下げ、窓の外に飛び出した。
「ちょっと見て! 壁に千切れた足がくっついてる!」
「ほんとだ! うわー気持ち悪い」
*
ヒトの声が聞こえる。
それは、今日の日の困難を共に乗り越えた、幸せそうな二人の声。
害虫を追い出し、愛する仲間を脅威から守り、迷い込んだ小さな命を慈しんだオオキナヒトの声は、それはそれは誇らしげだ。
身を挺して自分を守ってくれた、その愛を感じるスルドイヒトの声は、幸せに満ちている。
私は家の外の電柱から、その様子を見ていた。『残酷なほどの扱いの違い』に理由を見つけられず、呆然としていた。
なぜ彼は愛されて、私は疎まれるのだろう。
彼は、姿を隠す事なく堂々と生きられるというのに、私たちはどうして。
千切れた二本の足が徐々に温度を取り戻しつつある。
体液が漏れ出すと同時に、じわじわと痛み出す。
ひときわ明るい夜。黄金色の影が、月明かりを受けて輝く。
「わたしとあなたは、なにが違うの?」
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