本因坊の歴史①本因坊算砂

皆様こんばんは。
更新が滞った間に色々なタイトル戦が行われました。
名人戦は井山裕太挑戦者が1勝を返しましたね。
井山さんは七大タイトル戦でストレートで負けたことは1回しかなかったと思います(五番勝負で1回)。
相手からすれば、追い詰めていても全く油断できません。
第5局も楽しみですね。

女流本因坊戦は藤沢里菜女流本因坊が勝ち、1勝1敗となりました。
敗れはしましたが、上野梨紗挑戦者も良い戦いができていますね。
予想以上に競ったシリーズになっています。

天元戦は一力遼挑戦者が勝ち、1勝1敗となりました。
双方工夫を凝らした序盤戦が面白かったです。

また、農心杯では許家元九段が先鋒として出場し、1勝1敗でした。
2局目も大熱戦でしたが、僅かに及びませんでしたね。


さて、本日は本因坊の歴史シリーズ第1回です。
今回登場するのは本因坊算砂です。
徳川家康と並ぶ、囲碁の歴史上の最重要人物と言って良いでしょう。

本因坊算砂(1559-1623)は京都の舞楽宗家である加納家に生まれ、8歳で京都・寂光寺の門に入りました。
法名は日海です。
また、囲碁も仙也という強豪に学んでいます。
令和に生きる人間としては、つい二刀流という言葉を思い浮かべてしまいますが、おそらくは数々の教養の中の1つだったのでしょうね。

算砂は信長、秀吉、家康にそれぞれ仕えたという説があります。
年齢を考えると、信長に仕えたというのは無理がある気がしないでもありませんが、面識や対局の経験はあってもおかしくないでしょう。
有力な大名や武将は囲碁を嗜みとしていましたが、それは単に囲碁が面白かったからだけではないと思います。
コミュニケーションのツールとして極めて優秀だったのではないでしょうか。
それなりに時間のかかるゲームですが、仲を深めたり公式の場ではできない話をするには丁度良かったのではないかと思います。
茶の湯などにはそういう面があったと言われていますが、囲碁も同じではないでしょうか。
そう考えると、算砂は単に囲碁が強いだけではなく、政治的な役割も持っていたのではないかと想像しています。

現代の棋士のように囲碁一筋ではないとは言え、算砂の力量は立派なものでした。
算砂以前には囲碁の棋譜は信用できるものが全く残っておらず、棋書も少なかったはずです。
その環境で強くなったということから、かなりの才能があったことが伺えますね。
ちなみに、算砂は将棋の実力もトップクラスで、初代名人の大橋宗桂との最古の棋譜を残しています(算砂の1勝7敗)。

そんな算砂の立場は、家康の台頭によって変化が生じます。
家康は江戸幕府成立後、囲碁・将棋を保護するようになります。
算砂は本因坊家の開祖となり、幕府から禄を受け取るようになりました。
以後は本因坊・井上・安井・林の四家が競い合う形が長く続くことになります。
最も、本因坊家は常に強く、本因坊家以外から誕生した名人は2、3名に留まります。
算砂の影響力が後世にまで残ったとみるべきかもしれませんね。
本因坊家は昭和の時代まで存続しました。

ちなみに、本因坊の名は算砂が住まっていた寂光寺の塔頭に由来します。
寂光寺は火災により移転していますが、現在も存続しています。
いつか参拝しなければいけませんね。

さて、それでは算砂の対局をご紹介しましょう。
黒番は利玄、林家の開祖と伝えられる人物です。

1譜(黒1~白10)

まず右上隅から打ち始めていませんね。
記録する際に向きが変わった可能性も無くはありませんが、右上隅から打つ習慣がまだ定まっていなかったと考えるのが自然でしょうか。
また、一隅を空けたまま締まりや開きなど、大場を打ち合っています。
作法や技術的なセオリーは、家元制ができたことでしっかり固まっていったと考えられます。

2譜(黒11~白20)

白2、4の手順は目を引きます。
後に白Aからの出切りが残りました。
黒1に対して先に白4とツケて同じ進行になった場合、後から白2とノゾいても黒Aの方をつながれ、出切りが残りません。
現代の棋士が見ても納得の手順ですね。

研究の発展や流行などがあり、時代によって棋士の対局の傾向は大きく変わります。
400年前と現在とでは、全く別物と感じられるかもしれません。
しかし、石の形や効率といった基礎の部分に関しては、この時代からかなりのレベルに達していたことが分かります。
当時、算砂以外にも少なからず強豪がいたことを示しているのではないでしょうか。
それだけ囲碁が広まっていたということですね。

3譜(黒21~黒29)

左上はお馴染みのツケノビ定石ですね。
白6をすぐに決める必要はないと思いますが、悪手と言えるほどではありません。
白A、黒B、白Cと切っていく狙いを強調したものです。
そして黒9の打ち込みがきましたが、白の対応が面白いです。

4譜(白30~白42)

白1、3とかわしました。
白1ではAと打つのが素直ですが、右下白が生きていないので、絡み攻めになることを警戒したのでしょう。
右下白だけなら捌きに苦労はしませんし、黒Aと取ってくれば白B、黒C、白Dと打って白地も増えるので腹は立たないというわけですね。
捨て石という技術には棋力が表れやすいです。
この打ち方の善悪はともかく、高度な考え方と言えるでしょう。

そしてようやく黒4と最後の空き隅に回りましたが、ここで白5の大ゲイマガカリとは面白いですね。
当時は流行っていたのかもしれません。
この手は江戸時代には定着しませんでしたが、昭和の時代に入って呉清源九段が愛用しました。
以降長らく活用されてきましたが、近年のプロの対局ではほぼ絶滅状態となっています。


5譜(黒43~白50)

現代では、黒1でAとハネて右下白を攻めたくなる棋士が多いと思います。
大きな傾向として、時代が進むにつれてスピードが重視されるようになってきたと言えるでしょう。
この時代の布石はのんびりしていますね。

そして白6のコスミツケは、黒Bと受けさせれば利かしという判断です。
また、黒7のハネは逆に白C、黒D、白Eと受けさせ、先手を取って他所に回ろうという意図です。
そこで、白はコスミツケ一本で白8に転じました。
これと全く同じやり取りが、現代碁でもしばしば行われます。
算砂を現代のアマチュア高段者程度の棋力と認識している方も少なくないように感じますが、ここまでの進行だけでそれはないと断言できますね。

6譜(白50~白58)

白1(再掲)と押し、黒2のハネを誘ってから白3と肩をついたのが面白い手順でした。
ただ左辺の黒模様を消すのではなく、Aの切りも狙っていこうというわけですね。
白1の押しは2目の頭をハネられるため、部分的にはあまり良い手ではありません。
算砂にもその認識はあったはずですが、それでも黒模様を消しながら攻めに回るという、理想の展開を目指すために決断したわけですね。

私は囲碁の才能を図る際、理想の展開を思い描く能力に注目します。
この打ち方を見ても、算砂には確かな才能を感じられます。
善悪という面では、強引であまり良くないと感じる棋士が多いとは思いますが。
ただ、後に本因坊道策もこれと似た雰囲気の打ち方をしばしば見せています。
根っことしては通じるものがあるでしょう。

7譜(黒59~黒71)

黒1の守りは一つの形ですが、ここで白2とぶつかったのはこの対局唯一のひどい手でした。
これは黒Aの打ち込みを先手で防ぐ意図だったと思われます。
しかし、白12まで進むと、白2は無くても全く困らない石になっています。
一方、黒3に石がきたことで白Bの打ち込みを狙いづらくなってしまいました。

正直なところ、この白2だけを見せられると、あまり強くないのかなと思ってしまいます。
しかし、一手だけを見て棋力を判断するのでは公平とは言えないでしょう。
実際には本譜ではなく、別の変化に対応するために白2を打ったのでしょう。
打たない方が良かったことは確かだと思いますが。

8譜(白72~白82)

白5のハネ、白11の急所と石が張っています。
白がペースを取り戻した感がありますね。
黒はもう少し工夫が必要だったかもしれません。

9譜(黒83~白92)

黒5と受けさせ、さらに白8も利かして白10と飛び出しました。
当初の姿からは考えられないぐらい白が頑張りましたね。
中央黒の方が被告になっています。


10譜(黒93~黒101)

黒1~7は面白い発想でした。
黒1を囮に眼の厚い形を作っています。
薄い形だと攻めと上辺への侵入を両睨みにされる可能性があり、それを嫌って手堅く打ったということですね。
実際、コミが無い碁なので黒が優勢を保っています。
極めて実戦的な発想だと思います。

11譜(白102~白114)

白1から中央黒への寄り付きを狙い、黒は2、4など一歩一歩の手堅い対応です。
細かい寄せ勝負となりました。
手元の棋譜では162手まで記載があり、結果は持碁となっています。

ただ、この後の内容に関しては疑問を持っています。
もちろんミスもあるのでしょうが、対局者のレベルでは考えられないようなものがいくつもあります。
古い棋譜には間違いが多く、この碁もそのパターンではないかと考えています。
プロや院生が盤側で記録係を務める時代とは違いますからね。
ただ、同じ江戸時代であっても、全体のレベルが上がった時代では信頼できる棋譜が多くなっていると思います。

ということで、棋譜紹介はここまでに止めたいと思います。
見方によっては、算砂という強豪アマが新たにプロ集団を組織したとも考えられるでしょう。
とは言え実力は立派なもので、本因坊家の開祖に相応しい人物でした。
最近は古碁に興味が無いプロも多いようですが、やはり自分たちのルーツでもありますから、歴史を知ることは大切ではないかと思います。


現在、期間限定で記事の分量を大幅に増量中です。
ぜひnoteのフォローをよろしくお願いいたします。
なお、noteの会員登録についてはこちらをご覧ください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?