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取り残した青春を回収する旅(重陽旅行1・2日目 2022/9/5~6)

計画

富士旅行 

 2022年6月頃、私の高校の頃の友人が、私を旅行へ誘った。行先は富士・山中湖。これより約1年前にも富士旅行の計画はあったが、新型コロナウイルスがタイミング悪く猛威を振るってしまって、そのまま流れた。その後、年明けにスキーをしに富士へ行ったが、その時にも「友人を集めて夏の富士に行きたい」と話していた。その計画が具体的になってきたのが6月頃だった。
 7月29日、サイゼリヤで集まって作戦会議を開いた。12時集合だったが私が大寝坊してしまったので、13時から始まった。そこでは宿泊する場所などについての確認を行った。その日は各自予定が入っていたので、すぐに解散した。
 旅行の予定日は9月5日から7日にかけて。富士五湖の一つ、山中湖の畔にある貸別荘に男4人で宿泊することになった。本記事では、主にこの富士旅行の想い出を書き記す。

九州旅行

 富士旅行と同時に、大学のサークルで九州へ旅行しようという計画が立ち上がっていた。私は当時鉄道研究サークルに所属しており、そのサークルでは毎年2回ほどの「合宿」と称した旅行をしていた。その行先は基本的に本州以外で、北海道、四国、九州となることがほとんどだった。私は金銭的な理由などから、合宿には1回しか行ったことが無かったが、それが結構楽しく、普段泊まらないような場所に泊まれることもあり、なるべく行きたいと思っていた。
 ちょうど7月はバイト先である塾の夏期講習の時期だった。8月は7月に働いた分のバイト代が多く入ることが予想されたため、九州行きを決定した。
 旅行の予定日は、サークルの発表によれば9月8日から10日にかけて。私はサークルに在籍してはいるが総会などの活動にはほとんど出ていなかったので、いわゆる「幽霊部員」のような扱いとなっていた。サークルに全然来ないくせに合宿にはチャッカリ来るヤツが私だった。
 この旅行は、完全なツアーではなく、大雑把に宿泊地に現地集合し、現地解散するようなものだった。仲のいいサークルのメンバーと街を歩くも良し、現地でレンタカーを出して鉄道写真がよく撮れる場所に行くのも良し、というとても自由なものであった。 私は旅行1日目の武雄温泉の宿泊だけ同行し、それ以外はサークルとは全く関係ない経路をとって旅行をしようとした。
 私は快活クラブによく泊まるが、その理由は安いから、だけではない。煩雑な手続きがほとんどないからだ。受付で泊まりたい部屋を選んで、伝票を受け取って泊まるだけ。どれだけ安いビジネスホテルでも、インターネットを用いた一定の手続きが必要となる。私はこの手続きが本当に嫌いだった。それよりも対人の手続きが嫌いだった。だから今でも役所に行くのは抵抗があるし、役所から送られてきた封筒も半年くらい開封していない。まして温泉宿の予約など、煩雑極まりない。
 旅行に必要な夜行バスの予約をするときですら、厭な手続きに目を背けたいがために、気が付いたらYoutubeのショート動画で時間を浪費している。そんな煩雑な手続きを合宿の幹事が代わりに行ってくれるのだ。私は宿泊費を幹事に支払うだけ。非常に楽なので、同行することにした。
 また、この合宿は非常に自由なので、別に合宿が終わっても九州に残っていていい。帰るタイミングを自分で決めることができた。私は乗りたい列車があったので、1日多く九州にとどまった。

 かくして、私の旅行は9月5日から11日にかけての7日間となった。もちろん富士旅行から態々帰るなんて女々しいことはしない。直接、陸路で富士から九州へ行く。
 また、この旅行の間に9月9日、重陽の節句を迎えることから、この旅行を「重陽旅行」と呼ぶことにする。「富士九州旅行」よりも短くて印象的な名前だと思う。

ルート

赤は1日目、青は3日目

 赤い線は1日目、青い線は3日目を示す。2日目はさほど移動しておらず、貸別荘の中でゲームをしたり、湖畔をドライブしたりしていた。3日目は次の記事で執筆する予定だ。

1日目(9月5日)

出発

 おそらく5時には起床していたと思う。外は薄暗く、しかし熱を持っていた。九月の東京はどこよりも暑い。その中でも私の住んでいる沿岸部は、海が近いおかげでまだ涼しい方らしい。暑がりな私にはそれが理解できない。比較的温度が低いだけで、たかが内陸より1℃くらい低いだけで、やすやすと涼しいと言ってはいけない。夏場の「涼しい」というのは、23℃くらいの事を指すのだ。だから私は5月から10月までほぼ毎日エアコンを稼動させている。しかし、今日はそのエアコンもつけない。すぐ家を出てしまうからだ。
 シャワーを浴び、荷物の最終確認をする。今回はいつもの荷物に加え、ニンテンドースイッチも持っていく。貸別荘で友人と遊ぶためである。普段の私の旅行には、まず持っていかない。
 コンセントから充電器ごと外し、カバンに入れる。家のドアを開ける。東に低く上った太陽が、目と瞼を突き刺す。
 ここから歩いて最寄り駅まで行く。最寄り駅までは、歩いて20分くらいかかる。しかし沿岸部なのもあり、道路は橋を渡る以外は全くの平坦である。いつも通る町工場の列、運送会社の集積所、団地を抜ける。早朝の京浜急行は空いていた。じきに空港利用者と空港利用者の持つキャリーケースで満杯になる。
 京浜急行を品川で降り、ここからはJR山手線に乗る。品川駅は人が大量に入れ替わる駅でもあり、一見大混雑していると思いきや、意外にそうでもない。運が良ければ座れるくらいには品川を出る山手線は空いている。ここから新宿へ行く。3人の友人と集まる予定の場所だ。

新宿

 新宿に着き、私があらかじめ提示しておいた場所に行く。JR新宿駅南改札を出てすぐ右手、ちょうどJRと小田急のビルに挟まれたルミネ2の建物の下で待つ。目の前には甲州街道が走っており、その向かいにはバスタ新宿がある。バスタ新宿に用があるのだろうか、早朝にもかかわらず甲州街道をさまざまな会社の高速バスがひっきりなしに通る。
 朝だから治安も悪くなく、路上で歌っているミュージシャンもいない。夜にミュージシャンが歌っている場所には鳩が集まり、どこからか転がってきた食べ物をつついていた。午前7時半頃のことであった。友人との集合は午前8時、特急列車に乗るのは8時半なので、かなり早い到着となった。グループLINEに「着いたよ」と一言送り、しばらくは鳩を観察したりした。 鳩は着陸する時に尾羽を広げている。姿勢を水平に保つための行動なのだろうが、その様がやけに美しく見えた。

ここで待ってた

 しばらく待っていると、友人がやってきた。彼は高校時代、私とは違う部活に入っており同じクラスにもなったことはなかったが、「友達の友達」という関係から友人となった人だ。彼をこれからA君と呼称する。
 もうしばらくすると、また一人やってきた。彼は中学・高校と私と同じ部活に入っており、比較的私と馬が合うことから友人になった。彼をB君と呼ぶことにする。A君は元々B君の友人であり、中学2年か3年の頃に彼らの会話の中に私が混ざったことがきっかけで仲良くなったものだと述懐する。
 最後の一人はぎりぎりになって集合してきた。C君としておく。彼も私と同じ部活に入っており、高校在学中から仲が良かった。高校を卒業して旅行に行く機会が多くなると、C君も同伴するようになった。
 これで富士旅行のメンバーが揃った。切符を買い、富士山の麓、富士急河口湖駅まで特急で行く。

新宿〜河口湖
[富士回遊7号]

 私は普段、青春18きっぷを使って旅行をする。それが一番安くて旅行できる範囲が広いからだ。青春18きっぷの制約上、JRの特急や新幹線に乗ることはできない。したがって、私は普段の旅行では滅多に特急や新幹線に乗らない。18きっぷで入れないのもあるし、何より手続きが面倒だ。今回はそういった手続きをB君が行ってくれた。私はまた、運賃と特急代を支払うだけだった。
 特急・富士回遊。新宿駅から中央本線を進み、大月駅からは富士急行線に直通する。そのまま富士山の麓にある河口湖駅まで走る。我々は河口湖までの切符を買い、富士回遊に乗り込んだ。車両は中央本線でよく使われている特急型車両、E353系だ。

E353系

 中央本線の車窓は何回も見たことがあるので、特筆すべきことはないが、強いて言うならば、上野原以遠のトンネルが断続的に続く区間で圏外になってしまうのは勘弁してほしかった。進行方向の右側に席を取ってしまったので、肝心の相模湖もよく見えなかった。まあ席を取ってくれただけ有難い。文句は言えない。
 中央本線は、高尾駅を出て長い小仏トンネルを抜け、相模湖や藤野あたりまで出ると、相模川の中流域に出る。そのまま相模川を逆走するように谷合を走り、山梨県に入って桂川と名前を変えた相模川の上流をひたすら走る。大月駅で桂川は支流の笹子川と合流する。大月市は谷間がY字になっている都市で、同時に交通の要衝でもある。富士急行も大月駅を起点駅にしており、これまた川の作った谷を走る。中央本線大月以遠、甲府方面へ行く列車も、笹子川の谷を走って甲府盆地へ抜ける。
 先述の通り、大月駅は富士急行の起点駅である。富士急行とJR東日本は別々の会社であるが、特急列車や一部の普通列車が直通して、東京方面から富士山や河口湖方面に抜ける列車を設定してある。そのためホームは共有していないが、線路はつながっている。

右上の直線的に伸びているのがJRのホームで、その下に台形状に作られているのが富士急行のホーム。JRの線路はそのまま左下に伸びるが、少し逸れて富士急行に合流する線路を確認できる

 大月駅を出た富士回遊はゆっくりと富士急行の線路を走る。上大月駅を出るとすぐにトンネル区間に入るが、それはすぐに終わる。トンネルの上には学校がある。学校は頑として道路や線路の建設に対して立ち退きを行わないことで有名である。これは小中高関係ない。
 都留市に入り、右側の車窓が一気に開ける。桂川の形成した谷の景色が眩しかった。 しばらくして、祖母から電話がかかってきた。9月9日に祖母の家に泊まることになっているため、その最終確認だった。どんな物を食べたいか、と訊いてきたので、私は好物である鶏天をたくさん揚げてほしい、と頼んだ。 そんなことをしているうちに、特急は富士山駅に到着した。ここから先は線路の方向が反対になり、列車も逆方向になる。ここまでくれば、そろそろ河口湖駅に着く。車内にいる各々が荷物を下ろし始めた。我々も荷物を下ろした。
 いよいよ河口湖駅に到着した。河口湖駅は富士急行の終点であるから、色々な富士急行の列車が止まっている。富士急行の列車はJR東日本のものを譲渡してもらい、車内で塗装などを変更したマイナーチェンジが多い。

奥の水色はJR東日本八王子支社の所有する211系(通称・信州色)
手前の茶色は富士急行の所有する6000系6700番台6701編成。富士急行開業90周年記念列車
これも富士急行6000系(6500番台)。水戸岡鋭治がデザインしている

 普段関東で燻っているままでは滅多に見ることのできない富士急行の車両が停まっており、鉄道ファンの多い我が旅団のテンションは上がっていた。

多佳美お嬢

 河口湖駅には温泉むすめの河口湖多佳美お嬢様が待ち構えていた。多佳美お嬢は2022年の2月23日、富士山の日(お嬢の誕生日でもある)から河口湖温泉郷にパネルが張り出されている。

富士吉田

 河口湖駅で降り、駅に近いトヨタレンタカーで車を借りた。車種はよく覚えていないが(たぶんカローラ)、白色の車だった。

紺色ーソン

 道中、やけに色の濃いローソンを見つけた。景観保護の関係で、茶色いローソンは京都やら鎌倉やらでよく見かけるが、紺色のローソンは希少だ。私の知る限り、富士界隈と小樽でしか見たことがない。レンタカーに乗って、まずは腹ごしらえ。道の駅富士吉田へ向かう。

めちゃくちゃ果物売ってる

 道の駅富士吉田は、中学2年生の頃に学校の行事で来たことがある。その時は西湖の湖畔のホテルに泊まった。隣には富士山レーダードーム館がある。ひまわりやアメダスが開発される前、富士山頂に建っていた気象観測施設のレーダードームの資料館である。中2の頃はそこに行った。今回はここで、富士吉田名物の富士吉田うどんを頂く。

うンまい

 富士吉田うどんはとにかく、麺が太いのが特徴だ。極太の麺を啜るたび、一緒に満足感も啜る感覚を覚える。しかも私が頼んだのは肉うどんだ。肉うどんは肉が入っているから当然美味い訳で、これらの相乗効果で富士吉田うどんが美味くなる。10分で汁まで飲み干してしまった。
 腹ごしらえを終えたところで、私はある重大な忘れ物に気付いた。私は普段からワークマンで買った灰色メッシュ地のワークキャップを被っているのだが、それがどこを探しても見つからないのである。被らないときはリュックの持ち手部分に掛けているはずだが、そこにもない。
 仕方がないので、道の駅に併設してあったモンベルで新しい帽子を買う。少し深く、眼鏡と干渉してしまうが、背に腹は代えられない。これから帽子を被らなかったがために熱中症になってしまうのはどうしても避けたかった。

いい写真がなかった

 各自トイレなどを済ませ、次の目的地へ行く。富士吉田市と山中湖村の間には忍野村がある。忍野村には有名な湧泉群である忍野八海が存在する。国の天然記念物にも指定されている。

忍野八海

 忍野八海の近くまで車を進めると、駐車場が多くなってくる。多くは個人経営で、代金は200円程度のものから500円のものまである。それだけ人が多く来る場所なのだろう。
 我々は小さな駐車場に車を停め、忍野八海まで歩くことにした。

まだ忍野八海じゃない

 途中の用水路を見ても、信じられないほど透明度が高い。私の地元は準工業地域で、近くを流れる川もどこかの工業排水で始終汚れている有様だ。最近は水質が改善されているようだが、とてもこの用水路には勝てない。
 もうしばらく歩くと、やっと忍野八海が見えてきた。

たぶん中池

 忍野八海は湧泉群なので、複数の池で構成されており、それぞれに名前がついている。写真の池はおそらく中池で、これは人工的に造られた池である。中池のさらに奥に、忍野八海で最も透明度の高い湧池がある。

綺麗

 涌池は忍野八海で最も湧出量が多く透明度も高い。そして青い。水はそもそもうっすらと青い色を持っているが、コップに注いだりしただけではその青さを感じ取ることはできない。水の量が多ければ多いほど、その青さも濃くなる。その代表例が海である。
 忍野八海の湧池は海と言いつつも池であるが、非常に高い透明度を持っているために青さが際立つ。湧池の水が流れ込んでいる中池もまた青い。何匹か鯉が泳いでいる池の中には、いくつか硬貨の沈んでいるのが見えた。水のある場所はどこでもトレビの泉だと思いこんでいる人々が投げ込んでしまうのだ。湧池の柵には「硬貨を投げ入れるな」という注意書きの書かれた看板が掲げられていたが、透明度の非常に高い湧池はそれすらも綺麗に映し返していた。

友人が映り込んでいたのでクロップ

山中湖

晴れ

 足元の小さな絶景を一通り楽しんだあとは、いよいよ山中湖へ車を進める。実は忍野八海は本来の旅行ルートには入っていなかった。富士吉田から山中湖へ向かう途中にあったからたまたま寄っただけだ。この時点でまだ13時だった。まだまだ時間があるので、湖に係留されているスワンボートに乗って湖へ繰り出す。
 4人乗りのスワンボートに乗り込んだ。4人乗りとはいえ、大の男4人が乗り込むと流石に狭い。前に私とB君が、後ろにはA君とC君が乗った。ペダルは全ての席についていて、おそらく全員で漕がないと進まないような構造になっている。

来る

 湖に繰り出した直後から複数羽の白鳥がずっとついてきていた。我々の乗るスワンボートを仲間だと勘違いしているのか、まさかそんなつもりはないが、湖岸から沖合に出るまでついてきていた。

指入ってンだけど

 スワンボートは沖に出た。漕ぐことが目的だったので、対岸まで漕ごうというモチベーションは誰も持っておらず、しばらくは沖合でプカプカしていた。 音がする。その方を向くと、モーターを搭載したボートが高速でやってきた。ボートは4時の方向からやってきて、我々の前を横切り、10時の方向へ抜けていった。しばらくしないうちに、ボートの曳き波が我々の乗るスワンボートに直撃した。スワンボートはザブザブと揺れ、転覆することはなかったが、スリルのある体験だった。
 スワンボートを一通り楽しみ、湖畔へ戻る。山中湖はボート乗り場が多く、たくさんの桟橋が湖岸から伸びている。この日は雲が多かったが、ずっと晴れていて良かった。雲が多いせいで、富士山は見えなかったが。

良い桟橋

 スワンボートを楽しんだあとは、グルグルと何周か湖を周回する道路をドライブしたりした。一通り運転したあと、湖畔に建つスーパーオギノへ赴く。夕方から夜にかけてバーベキューを行う予定なので、そのための肉や野菜や調味料や炭を調達する。山梨まで来ると、商品もやはり関東とは違うラインナップになる。果物王国であるからか、青果コーナーには巨大な果物ゼリーが並べてあったり、牛乳も見かけないものだらけになったり、ポップとパッケージで読み方が違っていたりした。

流石山梨っスね〜〜!と思ってたら
北海道って書いてある
POP「うまだれ」パケ「おいだれ」
どっちだよ

バーベキュー

 スーパーでの調達を終えたら、貸別荘へ車を進める。スーパーも貸別荘も湖畔にあるため、そこまで遠い距離ではない。管理事務所のような所で手続きを済ませ、やっと貸別荘へ入る。
 貸別荘は複数枚の三角形の板を貼り合わせて球体状にした、ちょうどレーダードームのような空間の中に家具やらキッチンやら布団やらがある建物だった。駐車場から少し階段を上がったところに玄関があり、玄関の右手にはバルコニーがある。バルコニーにはバーベキュー用の調理器具が置いてあり、管理事務所でバーベキュー用の網やトングを、スーパーなどで炭を購入すればすぐにバーベキューができる状態だった。
 貸別荘の中に入り、荷解きをする。少し休憩し、建物の構造を把握した後、早速バーベキューの準備に取り掛かる。

まじで超うまそう

 炭焼機に炭をセットし、火を起こし、やっと温まってきて肉を焼いていた時、どこからか蜂がバルコニーに迷い込んできた。大きさからしてキイロスズメバチだろう。山梨の避暑地とはいえ、まだ9月の頭だ。夏は終わっていない。最初は追い払いながらなんとか肉や野菜を焼いたりしていたが、あまりにもしつこいので屋内に避難、結局夕食は室内で摂ることになった。

ここで蜂さん登場、全員退避

 肉の調理は基本的に私やC君が行っていたものと記憶している。貸別荘のキッチンはIHが取り付けられていた。私の家はガス火のコンロなので、私はほとんどIHを使ったことがなく、火加減に失敗したりもした。蜂が迷い込んでくるハプニングはあったが、旧友達といつもとは違う場所で食べた肉は特別に美味かった。

乙女峠

 18時半頃には食事を終え、後片付けをしていた。べつにこのまま風呂に入ってもいいのだが、それではあまりにも早すぎる。そこでC君が「ドライブへ行こう」と提案してきた。行先は御殿場市と箱根町の境目、国道138号線、乙女峠の中腹にある御殿場市市民の森・フォレスト乙女。そこに到達するまでには曲がりくねった山道を越える必要があり、つまるところ峠を攻めることになる(実際には乙女峠にはトンネルがあるので、そこのトンネルまでの山道を攻めることになる)。フォレスト乙女にはちょっとした広場があり、晴れていれば満天の星空を見ることができるらしい。

乙女峠

 国道138号線は富士吉田市を起点として、山中湖村、御殿場市、箱根町を経由、小田原市に抜ける国道だ。山がちな場所を走り、特に乙女峠付近ではグネグネの山道となる。
 山中湖畔を出て、国道に繰り出す。しばらくは山道が続いた。ヘアピンカーブをいくつか曲がると、小山町須走に出る。須走まで出ると、国道138号線は東富士五湖道路と合流する。この東富士五湖道路は有料道路なのだが、須走ICから仁杉JCTまでは国道138号線と並走する関係で無料区間となっている(という認識でいいと思う)。仁杉JCTで国道と東富士五湖道は分岐する。ここまでくると御殿場市内に入り、盆地状の地形を走り抜ける。国道沿いの道にはチェーン店が立ち並び、夜に走ると特にきらびやかに見える。そのまま市街地を通り抜け、南東方面へ向かう。いよいよ乙女峠へ入る。目的地はフォレスト乙女だ。
 グネグネの道路が連続する。しばらく揺られると道路の曲線が終わり、広いトンネルに入った。乙女トンネルだ。ここを抜けると神奈川県箱根町に入る。 トンネルに入った時点で、目的地のフォレスト乙女を通り過ぎてしまったことに気付いた。もちろんすぐに転回はできないため、トンネルを抜けてすぐのところにある休憩所に入った。
 気が付けば箱根に入ってしまっていた。箱根町北部の一帯は仙石原と呼ばれており、仙石原にも温泉が湧いている。しかし我々は箱根に来ることを想定していなかったので、すぐさま目的地に戻った。
 フォレスト乙女は「森」というだけあって、簡素な駐車場がある以外は灯りもほとんどないような場所だった。確かに星空のよく見える場所に街灯が灯っていたら邪魔で仕方ないだろう。フォレスト乙女にやってきた車は、夜間には自身のヘッドライトでもって駐車スペースを探る必要がある。
 森の展望台に到着した。そこには我々以外にも何人か先客が来ており、皆星空を見るために来ていたようだった。この日は晴れていたが昼間から雲が多く、夜になっても雲は消えていなかったが、雲の隙間から見える夜空は関東の何倍も澄んでいて綺麗だった。

雲が多くてよく見えない

貸別荘

 星空を観た後は、もう外でやることもないので(景色が売りの観光地の夜は割と寂しい)、貸別荘に戻る。C君の優れたドラテクで山道をグワングワン爆走し、山中湖へ戻る。
 貸別荘へは21時半頃に到着した。この日、やることといえばもう風呂に入ったりするのみだった。やはりこのまま風呂に入って寝るのでは味気ないので、私は持参したニンテンドースイッチをテレビにつなぎ、起動した。大量のテーブルゲームの入っているソフトは、大人数で集まったときに便利だ。もちろん一人でもコンピュータと対戦することができる。
 ある一人が風呂に入っている間、他の三人はゲームをする。スイッチのコントローラーは2つしかなかったので、一人は観戦役に回った。しばらくスイッチで遊び、飽きが来始めると、B君が持参していたボードゲームで遊んだ。チロルチョコの色や絵柄を揃える、簡単な麻雀のようなゲームだった。

おれは麻雀で大三元出したことがある

 これが結構面白く、23時頃から始めて翌2時半頃まで遊んでいたと思う。高校の頃の思い出や大学で何をしているのかなど、話題には困らなかった。この日は朝早く集まったのにも関わらず、午前3時頃まで起きていたため、布団に入るとすぐに寝落ちてしまった。

2日目(9月6日)

 誰が一番先に起きたのかは覚えていないが、10時頃には全員起きていたと記憶している。この日は前日のように様々な場所をあちこち回るのではなく、貸別荘の中でゆっくりしていた。この富士旅行はあくまでも「避暑」の名目で行っているので、建物の中で安静にしているのが本来の楽しみ方なのかもしれない。
 午前中に何をしようとか、ほとんど決まっていなかった。スイッチでゲームをする者、昨日買ったお茶を眠気覚ましに飲む者、二度寝を試みる者…… 二度寝については部屋が明るかったため、あまりうまくいかなかった。

イタリアン

 しばらくダラダラした後、予定していた昼食を食べに車を走らせた。山中湖はB君の家族がよく来る場所で、家族でよく行っていたというレストランへ行く。 山中湖畔にある、キャンティ・コモ。イタリアンのレストランだ。山中湖と道路を挟んだ場所にあるから、レイクビューがバッチリだ。時折やってくる遊覧船を見ながら食事を摂ることができる。

うますぎる

 新鮮な食材で作られたパスタやピッツァの数々。トマトは味が染みつつも瑞々しさを保っていた。

看板3つあるやん

 9月6日の山中湖村は晴れで、カラッとした陽気だった。車内にも陽射しが強く入ってきた。レストランから帰る途中、湖を挟んで富士山の麓が見えた。富士山の山体自体は、雲に覆われて見ることができなかった。
 貸別荘に戻ると、我々はまた「休息」に入った。スイッチで遊んだり、山梨の地元のテレビを見てみたり、外に出てフリスビーを投げ合ったりした。もうここは特筆すべきことはない。自分が休日何をしているか想像してほしい。それと全く同じことを我々はしていた。

山中湖温泉

 16時頃になって、太陽の陽射しがおさまってくると、山中湖温泉に入るための準備を行った。富士界隈の温泉は河口湖温泉郷が有名だが、山中湖にも温泉がないわけではない。最近(23年5月)にわかに話題になっているが、この頃はまだ閑静な温泉郷だった。勿論山中湖畔にその温泉は存在するため、そこまで遠出するわけではない。すぐ着いた。向かう途中には富士山が見えるはずだが、昼頃に見たのと同じく、ほとんどが雲に覆われていて見えなかった。昨日に引き続き富士山を見ることができない。翌日は雨が降っていたため、ついにこの旅行でまともに富士山を見ることはなかった。

見えねェ

 山中湖温泉の中でも、我々は「紅富士の湯」に入った。温泉の中は広く、露天風呂やサウナまでついていた。サウナは追加料金を払うことなく入ることができる。サウナ別料金の銭湯では、サウナの扉に穴が開いており、受付で渡される鈎を使って扉を開けて入ることが多い。私の故郷の大分を始めとした温泉街には基本的にサウナには入湯料だけで入ることができる。
 私は非常に目が悪く、常に度の強い眼鏡を掛けている。いよいよ視力の低下が激しく、慣れない場所の温泉に眼鏡を掛けないで行くのは危険になってきたため、眼鏡を掛けて入った。こうすることで、視界を確保すると同時に、浴場の中を観察することもできる。絶景が売りの露天風呂なら、その絶景も楽しむことができる。
 この頃、浴場に入るときに眼鏡を掛けるという行動をやり始めた私は、眼鏡を外さずにサウナに入ってしまった。サウナの中は勿論、超高温である。汗がダラダラ出てくる。汗で滑って眼鏡がずり落ちる。眼鏡を直そうとつまんだツルは、非常に高温になっていた。サウナには眼鏡を掛けたまま入らない方がいい。
 紅富士の湯で広いのは浴場だけではない。休憩スペースも非常に大きく取られており、温泉とサウナで火照った身体を冷ますことができる。私は温泉に浸かりすぎたのか、はたまたサウナに長いこと入ってしまったのかは分からないが、のぼせた状態で浴場を出た。頭が拍動とともに締め付けられる感覚を覚える。持参したカロナールをフルーツ牛乳で流し込み、しばらくボーッとしていた。
 休憩スペースの隣には物販もあったが、ほとんどが食品で、お土産に買って帰ることは難しかった。いくらお土産用のお菓子でも、爆熱の九州は耐えられまい。あと山梨なのでゆるキャン△のグッズも売られていたが、私は鳥羽先生にしか興味がないので買うのをやめた。

いい湯でした

デニーズ

 帰りしな、早めの夕食を摂る。山中湖畔にあるデニーズに行く。この時間帯になると太陽も沈み始め、さらに雨まで降ってきた。一層暗くなるのが速くなる。デニーズについた頃にはかなり暗くなっていた。

ンメ〜ですよ

 デニーズではデミグラスソースのかかったオムライスを頂いた。味は申し分なかったが、やけにホールが寂しかった。おそらくホールのシフトが一人しかいなかったのだろう。忙しそうにしていたが、対応がとても遅かった。責めるつもりはない。少し不憫だった。
 デニーズで食事を終えたあとは貸別荘に戻るだけだが、少し寄り道をした。B君が国道沿いのセブンイレブンでウノを買った。今夜はウノをやる予定らしい。
 国道を挟んだセブンイレブンの対岸には、少し大きめの駐車スペースがあった。そこは湖に面していて、湖は光を出さないから、その駐車スペースはとても暗い。星がよく見えた。富士山の方向から回転灯のような光がグルグルと発せられていたが、おそらく自衛隊東富士演習場の設備だろう。星空を一通り観た後は貸別荘に戻る。

花火

 前日のスーパーオギノで、バーベキュー用の肉と同時に花火セットを買っていた。翌日、つまりこの日の夜に花火を行う為だった。 室内の物置に置かれていた花火と前日にバーベキューで使ったチャッカマン、そしてキャンドルと水を張ったバケツを外に持ち出した。
 花火と言ってももちろん手持ち花火で、その規模はささやかなものだった。まあ、貸別荘の土地で打上花火なんてものをやった暁には出禁になることは確実だ。 昔、夜に多摩川の河川敷を自転車で走っていた際、私の走るすぐ脇で打上花火をやった輩が居た。何の前触れもなく頭上10mくらいで火球が炸裂する。私は驚いて、とても大きな声をあげてしまったのを覚えている。打上花火は本当に人のいないところでしかやってはいけない。

何がなんだかわからんね

 暗い中、光る花火を撮影するのはとても難しい。シャッタースピードは自動的に遅くなるが、そのぶん露光する時間が長くなるということなので、暗いはずの花火の光は何倍にも誇張されて見える。これはなんとか撮った花火の写真だが、もう先端は光る玉のようになっていてよく分からないことになっている。 まあ、花火という短時間しか光らない儚いものを写真にとって半永久的に保存する方がおこがましい気もするが……
 花火を終えたあとは貸別荘に戻ってウノやスイッチで遊んだりした。ウノの勝敗は完全に運任せなので、テーブルゲームの苦手な私でも楽しむことができる数少ないゲームの一つだ。
 翌日は早めに貸別荘を出て旅を終える日なので、遅くなりすぎないうちに各自就寝した。私以外の3人は明日で旅を終えるが、私はここからが旅の本番である。ずっと動いている予定なので英気を養う必要があった。

【次回】
【3日目】帰る暇ないんで富士から直接九州行きますね
【4日目】九州来たしとりあえず3回横断しとくかあ
【5日目】3年ぶりにじいちゃんばあちゃんに会いに行く


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