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医療従事者のワクチン拒否とワクチンハラスメント

医療従事者のワクチン拒否に対するハラスメントが話題になっている。

私自身は利用従事者としてファイザー製ワクチンを接種済みで、高齢の両親にも積極的に勧め、彼らの意思で既に1回接種が終わっているという立場である。

そのうえで、私は、ワクチンを拒否する医療従事者を非難しない。

ワクチンに対する不安の起源は3つある。絶対的な安全性が保障されないこと。個人として予防効果を実感できないこと。副反応は個人の体験として記録されるのより具体的であること。

ワクチンを打つことは、感染症の予防において有効である。これは科学的な結論である。一方で、特に長期的な有害可能性についてはデータがなく、”絶対的な安全”を保障できない。短期的にも接種者が増えるにしたがって、未知の副反応が見いだされる余地はある。

ところで科学的とは何だろうか。

ある予防法について、疾病の発生率を見た場合、予防法を受けた集団における発生率が、受けていない集団の発生率に対して低いことがまず挙げられる。そして、低くなることが偶然に起こる可能性がある程度低い場合、統計的に有意とされる。つまり絶対に”有効”ではなく、無効であることは統計的に起こりにくいということしか言えない。偶然低くなった可能性を0にすることはできない。疑う余地を残しつつも、より確からしいことを採用する。

統計的な結論は、帰無仮説を棄却しているに過ぎない。すなわち誤謬の余地が常に残されている。まっとうな科学の”使徒”は、常に誤謬を抱えていることを自覚している。

さらに最も重要なことは、科学的に知見は再現性があることである。統計的に起こりづらいことが、再現される場合、確からしさはより高まる。

が、科学が統計的有意であることを基準にしている場合、”絶対”を保障することはできない。

ワクチンの効果を個人的に体験することはない。その有効性があくまで集団の比較を基本としているからだ。ワクチンを打った人が一定期間罹患しなかった場合であっても、個人個人の可能性について、ワクチンによる予防効果か偶発的なものか、判定はできない。一方副反応は個人的に経験され、経験談として語られる。重大なものほど大きく取り上げられるから、不安も大きくなる。

ワクチンの有効性に対する疑いは、程度の量的な差であって、科学的にはわずかな疑いを持つことのほうが正しいとさえいえる。

唐突だが、科学と宗教の違いは、科学は疑うことから始まり、宗教は信じることから始まるという。しかし、多くの市民にとって、両者の違いはさほど大きくない。疑うことから始まる科学も、どこかの段階で信じるしかなくなってしまう。

「あらゆるモノは原子からできている」というのは科学的には常識である。原子については小学校の理科で教えられている。しかし、物質が原子からできていることを、証明できる人はどのくらいいるだろうか。ある物質が原子からできていることを証明できたとして、それがすべての物質からできていることに拡張することはできるだろうか。

電子顕微鏡を使えば、原子を”見る”ことができるかもしれない。しかし電子顕微鏡を自作して確認できる人は、まずいない。あるいは電子顕微鏡で撮影した画像が、合成されたニセモノに差し替えられたとしても、気が付かないだろう。学校で教えられるほとんどのことを信じているが、自ら再現して確認できることは少なく、疑った挙句、すべてのことの背景に陰謀を感じることもあり得る。臨床的にはパラノイアとされる狂気だが、細部を観察すれば、道徳的偏移に過ぎないかもしれない。

巨人の背丈が大きくなりすぎ、その肩に乗ろうとするとき、足元はほとんど見えない。積み上げられてきたすべてを自分の手で検証する物理的時間は人の障害を越えてしまう。我々はどこかの段階で、既存の知見・先人の業績を、ただ信じるしかなくなる。

科学的思想のあり方とは、信じるか疑うかの二分法ではなく、疑うことを許すということになる。科学そのものが、絶対を保障しない、不確実性と未知を内包する思想であるから。

真に科学的な思考は、常に寛容である。

医療従事者としての私は、ワクチンの有効性を妥当なものとして信じつつも、疑いを持つ人を許容する必要がある、と思っている。

一方で、医療系学生の実習に際してワクチン拒否についてはどうか。

現状では、感染症対策として、様々な行動の制限が患者、家族、医療機関の職員に課されている。患者は外出ができず、場合によっては手術などの入院が延期になっている。家族との面会もできない。医療機関によって異なるが、職員も会食の禁止や県外への外出禁止などがある。Covid-19感染の疑いがある患者に接する場合、当然だが、防護衣の着用を規則としているだろう。疑いが低くても医療機関内では当然マスクを着用することになっているはずだ。

軽重様々だが、感染対策としての行動制限が許されている以上、医療機関が職員や実習生のワクチン接種を求めることは許されるべきだ。任意での接種であることを考慮して、ワクチンを拒否するものに医療への従事を制限する場合には、制限を終了する条件を提示したほうが良いだろう。例えば、全入院患者のワクチン接種が終了しているとか、地域でのワクチン接種率が一定程度(NY州を考えると80%?)に達しているとか、具体的な条件を明示すれば、当事者の不安も軽減されるのではないか。

ワクチン接種を、他の感染対策(個人防護具:PPE)と同列に扱うことには批判があるかもしれない。個人防護具の使用によって、使用者がとりうるリスクはほとんどない。個人防護具には副反応は生じない。しかしワクチンによる重篤な副反応はまれで、効果は個人防護具より高い。

ワクチン接種の拒否は認められるが、未接種者の医療への従事は医療機関の感染対策として、各医療機関の判断に委ねられる。私は考える。




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