若いころの夢というのは誰にでもあるけれど、叶えるためには少しの運をつかむことが必要になる。 高校生の頃、ライターになりたかった。本当は小説家になりたかったけれど、ちょっと大ぶろしきを広げている感じがあって、とりあえず何か書き物をして、食べていけるのがかっこいいと思っていた。今思えばそれほど読書家というほどではないのだけれど、自分がどうも周囲の友人より本を読んでいることに気が付いて、特に勉強していないのになぜか国語の成績が良い、という、吹けば飛ぶような根拠を糧に、いつか読んで
ついに残すところは最終回13話のみになった。#8-#12各話ごとの感想を連続してあげる。6月28日の13話オンエアには間に合わせるつもり。 タイトルは手島nari先生のツイッター(@_17meisai23)から 桃香の瞳に映るのは ガルクラ#1-#3 歩むべき道を示すもの ガルクラ#4-#7 弱さと向き合う ガルクラ#8 許されること ガルクラ#9 普通の人になる ガルクラ#10 奈落の底と大空 ガルクラ#11 12話大きな選択が必要なことが、人生においてたまに
ついに残すところは最終回13話のみになった。#8-#12各話ごとの感想を連続してあげる。6月28日の13話オンエアには間に合わせるつもり。 タイトルは手島nari先生のツイッター(@_17meisai23)から 桃香の瞳に映るのは ガルクラ#1-#3 歩むべき道を示すもの ガルクラ#4-#7 弱さと向き合う ガルクラ#8 許されること ガルクラ#9 普通の人になる ガルクラ#10 11話Baycampという、音楽フェスへの出演にまつわる回である。10話の冒頭では下
ついに残すところは最終回13話のみになった。#8-#12各話ごとの感想を連続してあげる。6月28日の13話オンエアには間に合わせるつもり。 タイトルは手島nari先生のツイッター(@_17meisai23)から 桃香の瞳に映るのは ガルクラ#1-#3 歩むべき道を示すもの ガルクラ#4-#7 弱さと向き合う ガルクラ#8 許されること ガルクラ#9 10話個人的な好みの話だが(全て好みの話しかしていないが)、少年漫画で一番熱いのは、かつての敵が一番の理解者として仲間
ついに残すところは最終回13話のみになった。#8-#12各話ごとの感想を連続してあげる。6月28日の13話オンエアには間に合わせるつもり。 タイトルは手島nari先生のツイッター(@_17meisai23)から 桃香の瞳に映るのは ガルクラ#1-#3 歩むべき道を示すもの ガルクラ#4-#7 弱さと向き合う ガルクラ#8 9話あるグループに、後から遅れてはいるというのはしばしば勇気がいる。ルパと智は、桃香、仁菜、スバルで結成した”新川崎”に、後から遅れて合流したメンバ
ついに残すところは最終回13話のみになった。#8-#12各話ごとの感想を連続してあげる。6月28日の13話オンエアには間に合わせるつもり。 タイトルは手島nari先生のツイッター(@_17meisai23)から 桃香の瞳に映るのは ガルクラ#1-#3 歩むべき道を示すもの ガルクラ#4-#7 8話7話で失いつつあった、桃香を取り戻す回である。冒頭は、桃香の回想からはじまる。CGではなく、手書きアニメーションであったことも新鮮だ。桃香は20歳だから、高校生ころとすれば現在
登場人物が増え、群像劇としての各キャラクターが掘り下げられていった。彼女たちが出会い、共に進もうとする中で、何を目指すのかが問われていたように思う。それぞれの背景が明らかになり、理解が進むにつれ、関係性も変化し、物語は重層的になっていく。 4話 4話の冒頭、録音の取り直しのシーン。#1-#3と比べて、桃香と仁菜の関係性が逆転していた。#1-#3では桃香が仁菜をバンドに誘っていたが、仁菜が桃香に前に進むように促す形に変わっているのである。仁菜がバンドにはまっていくにつれて、ダ
桃香は駅前の壁面広告を見上げていた。広告には、ガーリーなユニフォーム的なステージ衣装を着たかつてのバンド仲間<ダイヤモンドダスト>。しかし、桃香の表情は何も映していない。怒りも悲しみも、ぶつけるはずの感情を見出すことができなかった。 アニメ的な表現では、無表情は怒りに分類される。この意味で桃香は無表情ではない。うっすらとほほ笑んでいるようにも見える。しかしそれは、本来あっていいはずの、怒りでも憎悪でもなく、嘲笑でもない。 第1話で桃香は、かつて自分が作った曲である、「空
インターネット上にはたくさんのミームがある。 ミームとは、受け継がれて伝播していく情報のことで、遺伝子(gene)のひとまとまりとしてゲノム(genom)ように、情報伝達のおけるひとまとまりをさす、らしい。 先日も高2の息子が、朝寝坊して起きてくるなり、まだ慌てるような時間じゃない、などと言っていた。スラムダンク直撃世代としては、いつの間に履修したのかと、いささか興奮したが、彼は元ネタを知らなかった。仙道さんを知らずに言うのか・・・。 情報だけが単位として伝達されていく。 特
短時間で診察し多数の患者を診る方針の先生と、”丁寧”に”精神療法的”に時間をかける方針の先生との間の、正義の溝は深い 長く時間をかけると、結局少数の患者しか診察できず、初診の待機が長くなる。これは、受診している患者にとっては利益があるが、不可視化されている待機患者の利益を無視ししているという批判。 一方で、短時間で診察が終えられるのは難しい患者が治らずに診察から離れるからで、簡単な患者しか診ずに金儲けしているという批判。 私は生活史は結構聞く方なので、初診の時間は長い。必要
医療行為の要否とナラティブ 以下のツィートに対する私の反応です。 医療行為の要否には、医学的な要否とは別の観点がある、という指摘をもう一つすすめると、その観点はいかなるものでどこから来るのか?という問いがある。この問いに、アーサー・クラインマンは1970年代にの彼の主著「臨床人類学」で説明モデルという論考を示している。彼は主に、病気を疾病と病いに分割し、その治療が受け入れらるかどうかは、「病い」を、患者が個別に持つ心理的・社会的・文化的な文脈に沿うものとして位置づけられる
美容外科の合併症に誰が対応すべきか美容外科の自由診療で手術を受けた後の合併症が起こることがある。例えば死亡除去術後の脂肪塞栓で、これは、手術の時にはがれた脂肪の小さな塊が、血流にのってほかの臓器の血管を詰まらせるもの。肺の血管を詰まらせれば、換気はできても呼吸ができなくなる。つまり、口から空気は出入りできるけれども、酸素は体内に取り込まれず、二酸化炭素は排出されないため、命にかかわったりする。 さてこのような美容外科手術の合併症が起こったときに誰が治療するのか、というのが話
自由診療で、エクソソームを注射する治療を行っている医師に対する批判がある。エクソームは細胞が、細胞の膜として使われている膜を袋状にして、細胞内に含まれる様々な物質(タンパクや脂質、核酸)などを細胞の外に放出する構造体だ。エクソームには様々な機能があることがわかってきていて、将来的には治療に使われる可能性もある。”将来的に”である。 まだ、安全性も効果の検証も行われていない、この物質を、高額の費用を対価に、患者さんの希望によって注射することが、ビジネスになっている。このビジネ
ディープ・ラーニングはあくまでニューロンをモデルにした、コンピューターシステムであり、生物の脳と直接な関係があるとはいえない。あるいは、たとえばバックプロパゲーションは、生物的なシステムでの裏付けはなく、あくまで判別精度を高めるための技術に過ぎない。しかし、ディープ・ラーニングによる判別システムが、精度をかなり向上させてきたことは事実である。仮説としてディープ・ラーニングの構造の各要素が人の脳にも存在しているとした場合に、各要素が崩壊すると、何らかの異常=疾患が起こると、考え
著名人を診察することなしに診断してはいけない、というGoldwater rule、病跡学ではどう考えているのだろう。と、思っていたら、病跡学会のレポート記事にコメントが。 精神病跡学というのは、乱暴に言うと、文学や絵画などの芸術作品の作者について、作品を解釈することで、作者自身の病理性をあきらかにする学問。本人を直接診察するわけではないのに、時に作者に精神疾患があったのではないかと推測してしまうから、ゴールド・ウォーター・ルールに抵触するかも、と考えられます。 米国精神分
私たちは、人が人であることを忘れやすい。 それはなぜか。人を「モノ」として扱うから。 どのようなとき、人は「モノ」になるのか。人をカテゴリーで分類するとき。 何らかのより大きな枠組みに、誰かを入れるとき、その人の個別性が失われていく。分類するラベルを張れば張るほど、個別性が失われていく。多くのラベルが張られた「モノ」には、良く説明されて詳しくわかるような気がしてしまうが、それは、人から離れていくことだ。 前後即因果の”誤謬”前後即因果の誤謬という、有名な誤謬推理がある。