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【小話】とある誰かのあんはっぴーえんど。

世界から逃げるように、隠れるように。

これは、あったかもしれない話。なかったかもしれない話。ハッピーではない、誰かの話。
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【まえがき】

今回の小話は、神々廻ノイン様による上記企画に参加した動画が元になっております。ノイン様を始め、様々な方々のすてきな逃避行ボイスを、皆様ぜひお聴きくださいませ。

しらさやツミハ(@shira_tsumiha)
#しらさや日常譚
#とある草庵の記録紙  

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全てを捨てて、逃げてしまいたいと思ったことが一度でもあるか?と問われた時。いったい何人が「いいえ」と答えられるのだろうか。

「こんな夜更けに来客なんて、珍しいね」

貴方は、帰り道を歩いているはずであった。規則的に並ぶ街路樹を横目に、沈んだ心からも目を逸らしながら。いつもの暗い夜道を、ただただ歩んでいるはずだった。

木々が風に揺れる音に一瞬だけ気を取られた貴方の視界には、とある日本家屋が映り込んだ。こんな家、道沿いにあったかな、と貴方は首を傾げる。

辺りを見回せば、何故か帰り道の面影は何処にもない。熱がこもった初夏の夜のアスファルトの香りも、真下しか照らさない街灯の眩しさも感じない。ただただ、目の前に静かな自然が広がっていることに、貴方は驚きを覚える。

唯一の灯りは、日本家屋から溢れる光。そしてその日本家屋の入り口付近には、1人の人間が立っていた。逆光のせいで、顔はよく見えない。しかし、その声は優しさを含むものであった。

「少し、お茶でもしてく?夜更かしさん」

声に誘われて、貴方はその人物と共に日本家屋に上がることになった。

「カフェインの入っていないルイボスティーだから、ちゃんと眠れるとは思うけど……まぁ、良い子はもう眠ってる時間か」

手慣れた動きで食器を準備する人物と、キッチンのテーブル席で待つ貴方。もしかしたら危ない事に足を踏み込んでしまったのではないかと、貴方は急に不安になる。

「自己紹介がまだだったね。しらさやツミハ、この草庵の家主だよ。きみが少し休んだら、元の場所に帰すから。安心して、ゆっくりしていって」

こちらの不安を見透かすように、その人物は自らの名前を明かした。お疲れのようだから、と貴方を労う言葉に、偽りの色は見られない。

此処は何処か、と聞けば、家主は曖昧な声を出す。曰く、何処からでも来れる場所だと。また、いつでも帰れる場所だと。

みんな迷い込んで来ちゃうんだよねぇ、と当の家主はあまり困っていなさそうな顔で呟いた。どうして迷い込んでしまうのかと聞けば、家主はほんの少し眉を下げて、こう返事をした。

「……みんな、何かしら探しているからだろうね」


その後、貴方はたびたび草庵に訪れていた。なんて事のない、他愛のない話を細々と紡ぐ。その時間は、貴方にとってかけがえのないものとなっていた。家主も邪険にすることなく、いつものんびりと話を聞いている。

会話で生まれる小さな気づきは貴方の視野を広げ、何かひとつの果物を収穫したかのような幸福感を得て、また帰路に着く。ルイボスティーの香りと共に、この幸せな時間を貴方はとても大事にしていた。

この時間があれば、つらいことがあっても乗り越えていける。沈みきった心を癒してくれる家主との会話は、貴方にとって日常の困難を乗り越える大切な力になっていた。

はずだった。






ある日。



貴方は▆▆を▆▆▆した。経緯など、理由など、手法など、それは既にとても瑣末なことであり。貴方は確かに、とある行動をした。それは紛れもない事実であり、そして、貴方は自身の行動を完璧に達成した。達成してしまった。

ふと、あの日本家屋を思い浮かべた貴方は。おぼつかない足取りで、縋るように歩き出す。

……貴方は、成し遂げてしまった。



家主の手を取った貴方は、目を瞑る。

これで、もう、終わり。




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……嘘つき?そうだね。一年前のことだから、もう時効にしてくれないかな。だめ?

何も言わずにきみを送っちゃったのは、悪かったと思ってるよ。けど、きみも素敵な場所だと思わない?新しい名前、新しい家。新しい、きみの人生を歩む世界。全部ちゃんと手配したんだし、せっかくだから楽しく過ごしてほしいよ。昔のことは忘れて、さ。

この一年間は……夢だったと思ってくれていいから。まぁ、此処に居ないきみには、もう届かない言葉だけどね。

明日も、きみに良いことがありますように。呪いでしかない、この言葉が。きみに届きませんように。

あぁ、本当に。ごめんね。さよなら。
大好きだったよ。