【岩手路へ至る】岩手県道30号葛巻日影線 吉ヶ沢側末端
突如始まってしまったnote。
「岩手路へ至る」シリーズでは、訪問した岩手の道路を紹介していきたい。
筆者が八戸在住のため、県北が主になる可能性が高そうだ。
今回紹介するのは、「岩手県道30号 葛巻日影線」。
0 概説
岩手県道30号葛巻日影線は、八幡平市日影から一戸町奥中山を経由して葛巻町葛巻に至る、実延長41.9kmの主要地方道である。
前身は、1959年に認定された「県道黒森奥中山停車場線」と「県道日影奥中山停車場線」であり、奥中山駅(現在の奥中山高原駅)から東西に延びる停車場県道であった。
1976年に両路線は統合され、「県道葛巻安代線」として一本の路線で認定されている。
その後、市町村合併に伴い路線名を「県道葛巻日影線」に変更され現在に至る。
この道の大元を辿ると、かつて藩政時代に行商人が塩を運んだ、盛岡と沿岸の野田を結ぶ「野田街道」、通称「塩の道」へと行き着く。
本路線の奥中山以東のルートは「沼宮内廻野田街道」と呼ばれたものの一部で、街道中で最も高い峠が、現在も通行不能区間として残る黒森峠である。
北東北では未だ厳しい寒さが肌を刺す2022年2月26日、私は不通区間の吉ヶ沢側末端を見るため、岩手へと向かった。
1 陸奥中山
2月26日、私は八戸から1時間半かけ、一戸町奥中山へと足を運んだ。
いかにも寒そうな風景に見えるが、この日はそれほど寒くもなかった記憶がある。
実延長日本最長の国道をひっきりなしに往来する車の喧騒から離れ、山間の小さな集落で行き止まりとなる、r30へと折れる。
起点ヘキサがお出迎え。ヘキサハンターとしては実は以前に30号は撮影済みである。今日は何基の標識と出会うのか…。
2 高原の景色
1基目のヘキサから4分後、2基目を発見。
真っ白に広がる山に囲まれた高原の風景を目に焼き付けようと、助手席から外を眺めていた。
3 宇別へ
いかにもな地名を残す「宇別」へ。本州のアイヌ語は、あまり難くない。
突如現れたトンネルに驚いたが、1996年に開通した「宇別トンネル」であった。断面が四角いので、アンダーパスの類を思い出した。
トンネルを抜けるとある程度まとまった集落があり、校舎もあった。のちに調べると旧宇別小学校の校舎で、2006年に閉校していた。
4 カ連邦から脱出、岩手郡へ
宇別地区を進むと突如として現れる「葛巻町」のカントリーサイン。
''葛巻町に入る''には、峠を越える必要は無いのだ。
【2】の写真の補助標識の言っていることは、強ち間違いではなくなったが、いずれにせよ、ここから馬淵川が流れる町の中心部には、この道路では抜けられない。
5 不穏な標示
葛巻町に入ると、急に黒森峠が通行できない旨を知らせる標示類が増えてきた。
上に示した3つの標示は、同じ箇所に設置されている。
この交差点の状況を図示すると、【17】のようになる。
この道路を利用する本来の目的は「葛巻中心部へ抜ける」ことであるが、例によって通り抜けはできない。
だが、この交差点で右折して、道の駅のある土谷川で国道281号に出られれば、R281を経由して葛巻中心部まで辿り着ける。
ナビゲーションシステムが発達したこの現代において、地図も見ずにわざわざこの道路で中山から葛巻に出ようとする者が居るとは到底思えないが、道路管理者から利用者への通告としては120点であると私は思う。(そもそも部外者だったら沼宮内か小鳥谷から来ればいい話である)
しかし、私はわざわざ末端部をこの真冬に見に来た人間であるので、通告を無視して吉ヶ沢へと直進する。
6 2度目の警告
先ほどの土谷川誘導青看を無視して進むと、再度青看が出現。もう分岐は無いとさえ思っていた。青看は先にも増して赤が多めである。
我らがr30の目的地は「黒森峠」。ついに起点ヘキサの「↑葛巻」が否定された。
左折の垂柳は、r15・馬淵川沿いの田部に近い集落の名である。この分岐から垂柳へ通ずる道は確かに存在するが、精神身体共に削られそうな道である。こちらも冬季通行止の規制があるようだ。
これらが岩手土木センターによる最後の救済措置であり、この先へ進む利用者には岩手土木センターは手の施しようが無くなってしまう、最後の分岐である。
私は直進を続けた。
7 真っ白な路面
先ほどの最終通告を過ぎると、幅員狭小の標識とともに道が狭まり、雪が現れた。ここまで来たからにはもはや進むしかない。スピードを落としながら、慎重に吉ヶ沢を目指した。
8 吉ヶ沢
遂に、吉ヶ沢に到達した。この県道の西側区間で最後に到達する集落である。
それにしても、こういう場所にもしっかりとヘキサを設置する岩手県の胆力には正直毎度驚かされる…。
吉ヶ沢には山がすぐそばに迫り、家は数戸程度が寄り集まっていて、県道はそのメインストリートであった。
県道の末端部には、あと幾分か進まなくてはならない。末端部へと急ぐ。
9 端の端の景色
衝撃。
はっきり言ってしまえば、現地では面白すぎてずっと笑っていた(????)
冬季閉鎖の通告が2種類、通行不能区間の通告を含めると3種類の規制看板が、雪の中にひしめいていた。
私の中では、感動とも衝撃とも愉快さともつかない感情が巡り、とにかくその場を雪のちらつく中で撮って回った記憶がある。
何よりこの突飛なロケーションがとても面白く、ずっと眺めていられるような気がした。
まだ日本にはこんな景色が残っているのだなあと、私は勝手に喜んでいた。
これが、吉ヶ沢側最後のヘキサ。
ステッカーを見ると、「H3 岩手県」の文字。彼は、31年間もの間をこの末端で、独りで過ごしていた。
いつか、彼の傍らを車が通り過ぎる時は、来るのだろうか。
2022年(令和4年)2月26日 訪問
2022年(令和4年)3月26日 公開
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