生きづらさは無意識的抑圧によるもの?
私はここ2年間生きづらさを感じており、その解決策を模索していました。それに進展が見られたので手身近に共有します。
私が試したのは、自分の感情を超注意深くモニターすることです。私は無意識的に感情を抑圧していたらしく、自分の感情をものすごく注意深く観察したら、「あれ、私ってこう思ってたんだ」という発見がいくつもありました。
例えば、「電車が嫌」など。私は自分がここまで電車を嫌がっていたことに気付いていませんでした。電車が嫌なのは困るという理由で、無意識的に感情を抑圧していたんだと思います。
自分の感情に気付き、尊重することで、人生が自分のものになる感じがします。主体性を取り戻した感じです。それに伴って気分が明るくなり、周りの景色も明るくなりました。(とはいえこの進展がみられてまだ数日なのでこの良い傾向が続くかはまだ分からない。)
注意してほしいのは、「自分はこうあるべきだ」と自分を律するのは絶対NGということです。これは感情を抑圧していますよね。だからダメです。わがままな感情だったり、社会的に認められない感情、自分が「私がこう思っているなんて許せない」と思う感情も、諦めてちゃんと受け入れましょう。
この世は、犯罪やらなければ万事オッケーです。ですから他人に迷惑をかけても、恥ずかしい思いをしても、不摂生をしても、怒られても、それが犯罪にならない限り全然よいのです。
例えば、私が電車に乗っていて「電車はもう嫌だ」と思ったら、意味もなく次の駅で降りてみるかもしれません。以前の私なら電車が嫌でも無意識的に抑圧して目的駅まで乗り続けたでしょうが、こういうことをしていると生きづらくなります。
よくよく考えれば、次の駅で意味もなく途中下車したところで、時間に追われていないなら何の問題もありません。なんとなくこういった無意味で非合理的な行動はしたくありませんが、でも嫌なら降りればよいのです。何の問題もありません。
一方で、電車で痴漢をしたい衝動を感じても、痴漢をしてはいけません。これは犯罪に当たりますので、どうしてもやりたくても、どうしてもやってはいけません。
我慢できないのなら、イヤホンでもしてスマホで痴漢ものAVでも見てください。隣のおっさんがあなたのスマホの画面を見て引くかもしれませんが、赤の他人ですから気にしなくていいです。どうせ次の日には忘れてます。
まとめると、自分の感情を超注意深く観察し、犯罪以外のやりたいことはやっちゃえ。
では、皆様と私の健やかな人生を心から祈っております。