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自分の機嫌を取るのはやっぱり自分なんである

今年も気付けば年末である。
年末の一日は例年、判で押したかのごとく、あっという間に日が暮れる。
あれをやって、これをやって、あ、これも頼まれていたんだった、これをやるのを忘れていた、明日には持ち越せないから今やるしかないな、などと、
心の声が実際の声になって漏れ出てしまうくらい、せわしない。
おととしまで、年末は好きなだけ仕事をして、好きな時間に帰宅し、
家に帰ったら帰ったで、母の作った食事をとり、
好きなことをして寝てしまえばよかった。
昨年末に結婚したものだから、それ以降のこっち、
好きなだけ仕事をして、好きな時間に・・・というわけにはいかなくなった。
家に帰って、食事の支度をしなくてはならない。
夕べ干した洗濯物をたたみ、新たに今日の分の洗濯をして干し、
散らかった部屋を片付け、ついでに食器も片づける。
コミュニケーションも取らなくてはならないし、見たい映画もドラマもライブもあるし、聴きたい音楽もある。
ようやく風呂へ入って寝るとすっかり日付が変わっている・・・
そんな生活を一年続けているうちにすっかり寝不足になってしまい、
絶対にそのせいだと信じて疑わない、不調を感じる日も多くなってきた。
ずっと続けている習い事にも、疲労困憊でお休みすることも増えた。
長年続けているくせに、最近始めたと思われ、そして、その習い事沼にすっかりはまったと見える、朝に晩にレッスンに通うお姉さま方にガンガン抜かれている・・・
沼から上がる水しぶきや荒波に溺れないように、必死に水面に浮かぶかのごとく、手足を動かすだけで精いっぱい。
好きで続けているんだか、溺れないように続けているのだか、最近はなんだかわけがわからない(先生、ごめんなさい)。

慣れない生活に疲労感満載の日々。
鏡を見れば疲れた顔の女がひとり。
なんだかなア、とがっかりしてため息をつきたくなるのをぐっとこらえる。
多少、ロートルになっていたとしても、毎日笑って過ごしたい。
夫だって、険しい顔の妻を見たくて結婚したわけではないだろう。
この際、自分の機嫌を取るために、少しばかり自分に投資しようと決心した。
まずはじめに、このひどいカチカチの肩と背中を何とかする。
以前、もみほぐし屋に友人の付き合いで行ったときに、
担当してくれた若いお兄さんに
「背中が硬すぎて指が入らない。呼吸が苦しくないか?」
と言わしめたことがある私の背中。
ここのところ、ますますカチカチに固まってしまい、
腕を回すだけでいろいろなところから、してはいけないような音がするようになってしまった。
そうかといって、もみほぐしはそのあとの“もみ返し”と言われるやつがひどくかった経験があって、それ以来、怖くて行けない。
整体にも通っていたことがあるけれど、
料金に見合う効果が得られなかったため、通うのをやめてしまった。
ストレッチや運動もしてみるが、目に見える効果が得られない。
どうしたもんか、と思い悩んでいたところ、
自宅の本当に近所、歩いて10分足らずのところに鍼灸院があることに気付いた。しかも、新しくておしゃれな建物だ。
鍼と灸・・・
謎めいた響きだ。
経験者いわく、凝り固まっているところに鍼が刺さった時の感覚はそれはそれは独特のものだという。
お灸に関しては、父親が腰が痛いときにセルフ灸なるものをやっていた。
へんてこりんな声を出して、嬉々としてやっていたところを見ると、おそらく気持ちがいいものなのだろう。
興味津々で予約のための電話をしてみたところ、
すぐ先の土曜日に空きがあったので、すかさず予約をする。
この行動力、若い頃にはなかったなア。

次は顔面である。
もともと皮膚が薄くて摩擦に弱いワタクシ。
ここしばらくのマスク生活のせいか、
マスクの端や耳ゴムが触るあたりにうっすらとシミが現れてきた。
見ないふりをしてごまかしていたが、
ここのところ、いよいよ、輪郭がはっきりと見え始めてきた。
これはマズい。
と、思っていたら、昨年、駅チカの商業ビルに某大手美容外科が進出してきた。
夏から秋にかけての紫外線が強烈な時期を耐え忍び、
冬になったのを見計らってこちらもすかさず、予約を入れる。
年の瀬も押し迫って、シミ取りに挑む。
今年はカレンダーの都合もよく、治療の後が汚いカサブタになったとて、何とかやり過ごせると踏んだからだ。

若い頃と違って自分に投資をしないと、いろいろと保てなくなってきたのはなんとなく寂しい。
だけれども、放置すのはもっと寂しい。
鏡を見て楽しい気持ちになれば、投資のし甲斐があるというものだ。
大人のオンナたるもの、自分の機嫌は自分で取ってこそ、である。

最大限の甘やかしとして、今夜は早く寝よう。





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