
母の骨折
母が背骨を骨折した。
先月ごろから左脚の付け根が痛い、と言っていて、
かかりつけの整形外科に行ったところ、
「坐骨神経痛」
である旨の診断を受けていた。
その治療のため、整形外科に通ったり、
近所にある(法外な値段の)鍼灸院に通ったりして、
少し良くなってきた、とは聞いていた。
ところが、左脚が良くなってきたと思ったら、
今度は右の腰が痛いという。
母は我慢強い人なのだが、
ここ数日、痛くて痛くて歩くのもやっとだといい、
連絡すると絶望的なことばかりを言う。
声も張りがなくなって弱々しくなってきていて、
お高い鍼灸院にせっせと通うが、一向に良くならないし、
痛みの原因もわからず、困り果てていた。
ある日、お昼休みの時間となり、
持参の粗末な弁当を食べていると、母から電話があった。
「痛くて痛くて歩けなくなっちゃったの。
救急病院に連れて行って欲しいから家に来て!」
と突然言われた。
とうとう来たか、との思いもあり、
病院に連れて行くにしても、私の愛車には乗せられない。
(私の愛車はロードスター990S)
夫にも連絡する。
夫に手伝ってもらえるかとお願いすると、
仕事の都合がつきそうだから今から行ける、と言ってくれた。
上司に連絡して午後は半休にしてもらう。
慌てて駆けつけると、茶の間にへたり込んで
まさに息も絶え絶えといった様子の母が。
立たせようと変に引っ張ると痛い、というので、
倒れないように支えて自分でゆっくりと立ってもらい、車に乗せる。
痩せて小さくなったとはいえ、人間てやっぱり重い。
向かった病院は、地域の基幹病院で、
以前、母が土曜日に救急外来でお世話になった病院だった。
確かに救急受付はあるものの、
通常診療時間は総合窓口に行ってくれと言われる。
なぜ、母にここがいいと言ったのか尋ねると、
貧血の治療で通っていること、診察券があること、
あちこちの病院にやみくもにかかりたくないと引かない。
年寄りのわがままだと思いつつ、
断られれば諦めもつくだろうと、
総合受付できた理由を話すと、
基本的には紹介状がないと診察は受けられないという。
それでも、窓口の方が担当の科に繋いでくれ、
看護師さんが聞き取りに来てくれた。
(こういう年寄り、多いんだろうな、という印象。慣れてる。)
話を聞いてくれた後、
やはり、紹介状がないと診察は受けられないこと、
まずは掛かり付けのクリニックで診てもらって、
そこで紹介状をもらってからくること、を説明される。
母もようやく納得してくれて、
長年通っていて、坐骨神経痛の診断をもらった整形外科へ向かう。
母に親切にしてくれている看護師さんが対応してくれて
ありがたいことに、すぐに診察に通してくれた。
レントゲンを撮った結果、
第2、第3腰椎圧迫骨折
骨粗しょう症
とのことだった。
見せていただいた母の背骨の写真は、
確かに背骨の2つが変な形につぶれ、高さも低くなっていた。
先生と看護師さんが
「圧迫骨折はねえ、痛いんだよねえ」
と同情を込めた声で言う。
それでも、救いもあった。
週に2回、自己注射をしてカルシウムを補填し、骨の形成を促すという、
いい薬が今はあるそうだ。
体に負担の少ない痛み止めも出せる限り出してもらう。
母にとっては、背骨の圧迫骨折もそうだが、
何といっても骨粗しょう症のほうがショックだったようだ。
9月には実年齢よりも若い骨密度だったのだからわかる気もする。
それでも、家に帰って痛み止めを飲んだら、
あれだけ痛かった理由も、
あとどれくらい頑張れば楽になれるかの道筋もついたからか、
楽になったようで、お茶を飲みながら少しおしゃべりもできた。
それでも、一週間くらいたった朝、
またもや、痛みで歩けないと呼び出しを受ける。
上司から私用外出許可をもらい、
またもや夫とともに整形外科へと連れていく。
先生からは、
骨が固まるまでは痛い(3週間程度)。
痛み止めを飲んで、安静にしていること。
と言われるが、母はなかなか納得しない。
こどもに噛んで含めるように説明して、家へ連れ戻す。
そういう状態の母をひとり、家に残すことは
ディズニーの某姫の髪を引かれるくらいの気持ちだ。
でも、仕方がないと、心を鬼にする。
唯一、救いなのは、
母が負けず嫌いなことと、
弱っているのは身体だけだということ。
これで少しでも呆けていたら、と思うと、ぞっとする。
子供からすれば、
親はいつまでも自分が子供のころの親のままだ。
それでも、誰でもいつか、歳を取る。
そして、その日はある日突然、やってくる。
畳みこむような出来事が次々に起こり、
気持ちがついていかない。
決して若くはない、新婚の私たち。
その日の夜、しんみりと、夫と話す。
歳を取ったらどうしよう。
お互いに人間らしく歳を取れていればいいけれど、
そうじゃなかったら・・・?
こればかりはね。
希望通りにはいかないもんね。