
闘龍門、再会
1月31日、私は後楽園にいました。
2016年に発売された暮しの手帖83号、彼女のチカラにとりあげていただいた時、彼女への質問で将来の夢を聞かれた。私はプロレス団体「ドラゴンゲート」のシナリオを書く。と書いた。それに関してはたった一人、反応してくださった。他の人は触れもせず、であった。プロレスはまだ市民権への道は遠いと肌で感じた。さて、反応してくれたのは年若い出版社にお勤めの女性だった。今回、その彼女を誘った。忘れてはいけないので先に言う。私はその人が大好きで尊敬もしている。
私と闘龍門の出会いはチキンジョージでの試合をテレビで見たのが始まりだ。なぜ、チャンネルを回さなかったのか、流れていた闘龍門を毎週の楽しみにしたのかわからない。観に行こう、そう思ったのも謎だ。でも、何かが私を呼んだ。臆病な私は息子と一緒にまず、長野大会を観に行くことにした。
体育館だった。靴を脱いでスリッパをはいて会場に上がった。そんなものなんだ、と体育館の床の冷たさを感じていた。
試合開始前、会場にKANの『愛は勝つ』が流れた。私はなぜだか熱い涙をこぼした。そして紙テープが舞うリングを美しいと涙を流した。あれから18年。ドラゴンゲートに変化した闘龍門。ファンクラブにいた時もある。しかし、平日の後楽園に行くのも非常に難しくなった。そして、ドラゴンゲートはさらなる進化もし続けた。けれど、今回の闘龍門、再会は行かなければ後悔すると思った。1月31日、ドラゴンゲートの歴史の一場面に立ち会えたと自負している。
各試合について語るつもりはない。
プロレスは愛だ。リングの上でも、技をかける側・かけられる側の信頼関係がなければ試合は成立しない。そして、リングの下、見る側も選手を信頼している。この三者の信頼関係がドラマを創るのだと思っている。信頼関係つまりは愛だ。それともう一つ、プロレスはハッピーエンドでなければならない。この2つが私がドラゴンゲートを離れられない理由だろう。
1月31日、あふれる愛を私は体感した。会場中が愛で満ちていた。
ありがとう、と選手のみなさんに申し上げたい。
ミラノコレクションA.Tの登場と言うサプライズに私の中の何かがはずれた。
「ミラノー!」
みんながその名を呼んだ。その名前は会場中に満ちた。
やばい、泣ける、そんな声があちこちから聞こえた。同じです、私も。自然と沸き起こったミラノコールは大合唱になって美しい響きだった。黒髪のミラノは昔と変わらずきれいだった。
闘龍門、再会。大好きなドラゴンゲート再会・・・。
私は闘龍門に、ドラゴンゲートに夢はあきらめなければ必ず叶う、と教えてもらった。夢は叶うのだ。多少、形は変えてでも。
そして、覚えていますか?
出会いは必然なんだ。この世の中に偶然なんか何一つない。全てが必然なのだ。
そう、私に教えてくださった方。
1月31日、後楽園。闘龍門、再会。
その場に私はいました。