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とあるカプ厨の盛衰

 中学生の頃から、カプ厨をやっていた。
 否、そういうラベリングがあるという認識を得たのがその年齢だったというだけで、もっと幼い頃からそれは始まっていた。

 親の用事が終わるまで放り込まれていた市立図書館で、子供向けにリメイクされた若草物語を読み、三女のジョーと近所に住む少年ローリーの築く男女の垣根を超えた友情にいたく胸を震わせた。
 続編があることを知ったのは数年後、小学生になってからだった。
 続・若草物語では、ローリーはあろうことか、四女のエイミーと結婚してしまい、ジョーも全く違う登場人物と結ばれてしまう。
 泣きこそしなかったが、体調を崩した。数日間まともに食事も摂らず床に臥せて過ごし、何が合ったのか尋ねてもただ首を横に振るだけの様子は、家族をさぞかし困惑させたことだろう。
 「ジョーとローリーが結婚しなかったのが嫌だった」という感情をどう説明したら良いのか、表に出して良いものかどうかもわからなかった。 

 中学生になった。
 友人からBLという文化を教わり、そこからカップリングという概念を知った。
 ああ、自分の趣向はこれだったんだ、と初めて腹落ちした。
 それまで一般的なメディアを目にしていて自然にエンカウントする機会の多い異性愛カップリングを主に楽しんでいたのが、同性愛カップリングも視野に入るようになった。
 登場人物が多く公式カプの少ない無法地帯のようなジャンルにハマり、日々二次創作を漁っては地雷を踏み抜き、また体調を崩す。
 友人とカップリングについて語り合い、それが原因で喧嘩をしたり結束を深めたりする。それもまた楽しかった。

 高校時代、SNSや二次創作サイトを始めた。
 同じくカップリングを生業にしている多くの人と交流を持ったが、趣向の違いでフェードアウトしたり、受験で忙しくしているうちに疎遠になったりして、当時の人間関係は殆ど残っていない。

 大学に進学した。文学部を選んだ理由は、自分がカプ厨だったからというのが大きかった。
 親や教師に聞かせるそれっぽい建前の裏に、「何かひとつをテーマにして長い学習時間を費やすとしたら、推しカプの多い日本古典文学が良い」という不純な志望動機を忍ばせていた。
 しかし意外なことに文学部には、そうした考えの人間も結構集まっているのではないか。そう思えた出来事があった。

 某古典文学を段落ごとに区切って読解し、その内容を発表する、という演習を受講した。
 履修要綱でその講義を見つけたとき、膝を叩いて歓喜した。範囲として示されたテキストは、自分の推しカプが登場する物語だ。講義で堂々と「カプ語り」ができるなんて。
 初回の講義で、各自が発表を担当する範囲を決めることになった。最初に皆でテキストを開き、教授に指示されるがまま段落に番号を振る。
 続いて、学生は自分の希望する段落の番号が教授に読み上げられたら、挙手する。
 比較的文章が短くて楽そうな段落よりも、2つある「カプ描写」が濃厚な段落だけ、圧倒的に挙手が多かった。
 自分はじゃんけんに負け、推しカプ二人の気配すらない地の文の読解を担当した。
 全く知識の無かった当時のとある制度について深堀りしたのはこれはこれで面白かったが、自分が当初希望していた段落に運よく収まった学生はあろうことか発表を欠席し、教授が解説を担当した。

 そうこうしているうちに卒業し、就職した。
 同好の士とまではいかないものの同期や先輩後輩にも同じ文化圏の人間が多く、打ち解けたところで「カプ厨でして」と自虐するとそうした話題をたまに振ってもらえる。
 しかし、この頃から異変が発生していた。
 「推しカプ」ができない。
 かつて心血を注いで推していたカップリングに動きがあると喜びはする。
 マンガやアニメを見る暇が無いほど忙しい、ということは無いのだが、新しく作品を拝見するときは必ずWikipediaやPixiv大百科を読み込み、「このカップリングは期待して良さそう、こっちは諦めよう」をやってから履修する。
 リアルタイムで見る作品が有れば、「この二人は後々何かありそうだな」「やっぱり、あったな」という目で見てしまうが、それにのめり込んで考察や語りを発信したり、二次創作などをすることもない。
 そうして推しカプはなくなり、カプ厨というラベルだけが自分に残った。

 先日、街中で小学校低学年くらいの女の子とすれ違った。
 その子は布製の手提げ袋に、とあるアニメのキャラクター缶バッジをたくさん付けていた。
 いくつかのキャラがまばらに散りばめられている中で左上に2つだけ、寄り添うように配置されているバッジに目が行く。
 その二人は、公式で絡みがあるものの結局結ばれることはなかった、わりと人気のあるカップリングだった。
 もしも、”そう”だとしたら、この子も、家族や友達と推しカプの話をするのだろうか。
 理解してくれる人は周囲に居るのだろうか。そんなことを考えながら帰路に就いた。

 やはり、誰かに話して聞かせることって、とても大事だ。
 いくら相手に理解があっても、非・カプ者である家族や友人に話して聞かせることのできる範囲は、社会性を尊重すると必然的に狭まってしまう。
 高校時代に趣味での繋がりを失い、大学時代に発表演習やレポートという形でアウトプットしていたのすら無くなったら、勢いを失うのは当然。
 このままだと行きつく先は、作品を渡すと「for me」「not for me」の2値いずれかを返却するのみのカプ審判メソッドだろう。

 そこで2023年—―今年からは、自分の好きなものの話をしていこう、そして好きなものの話をしている人に反応しよう。と思った。カップリングに限らず。
 当然、表立ってしてよい話ではないという理由もあるが、「カップリング」の話をしている人間は特に少ない。
 人それぞれ思うことのあるテーマだろうから、好き勝手書くと反感を買うこともあるかもしれない。それでも、自分はカップリングの話が好きだし他人がカップリングの話をしているのを聞くのも大好きだ。
 それに、推しカプという拘りが消えつつある今だからこそ、色んな人の「カップリング」の話を落ち着いて聞くことができるかもしれない。
 それで、まずは事始めとしてジャンププラス原作大賞にこのような作品を投稿した。

 作品についてここで詳しくは触れないが、問題とされている迷惑行為の有無に関わらず歓迎されないことの多い存在であるカプ厨を賛美する意図は無く、あくまでもフラットに、懐疑的に見つめながら物語は進行していく予定だ。
 一例として「そういう奴」に興味を持った人が居るのであれば、覗いてもらえると嬉しい。 

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