『多様な人との関係性』 大谷匠×松岡宗嗣ダイアローグセッション【Dialogue in the SHIP 2022 ~価値観の対話~③】
2022年12月10日、ヘルスケアコミュニティSHIPのイベント「Dialogue in the SHIP 2021 〜価値観の対話〜」が行われました。本記事では、「多様な人との関係性」をテーマにしたセッションをレポートします。身近な人はもちろん、多様な価値観を持つさまざまな人と、どう関係を築いていったらいいのか。性的マイノリティーの話題を中心に話しました。
Dialog in the SHIPは医療・介護・福祉業界で活躍するゲストの方々をお迎えし、トークセッションを通じて、さまざまな価値観に触れることのできるイベントです。4回目となる今回のテーマは「対話を通じて関係性を考える日」。人がいるところでは必ず生じる人と人との関係性について、4つの切り口から考えました。
プロフィール
●大谷匠(医療法人医王寺会 地域未来企画室/任意団体福祉と建築代表)
看護師。看護大学卒業後、株式会社シルバーウッドにて、厚生労働省 社会・援護局補助事業 介護のしごと魅力発信等事業の事業責任者・沖縄県八重山郡での訪問看護事業・VRを活用した企業向けDiversity&Inclusion研修等を担当。2022年4月からは、医療法人医王寺会にて医療福祉の複合施設の企画・運営や訪問診療・訪問介護の運営等を行う。東京福祉大学 心理学部。
●松岡宗嗣(一般社団法人fair代表理事)
愛知県名古屋市生まれ。明治大学政治経済学部卒。政策や法制度を中心とした性的マイノリティに関する情報を発信する一般社団法人fair代表理事。ゲイであることをオープンにしながら、HuffPostや現代ビジネス、Yahoo!ニュース等で多様なジェンダー・セクシュアリティに関する記事を執筆。教育機関や企業、自治体等での研修・講演実績多数。著書に「あいつゲイだって – アウティングはなぜ問題なのか?」(柏書房)、共著「LGBTとハラスメント」(集英社新書)、「子どもを育てられるなんて思わなかった – LGBTQと「伝統的な家族」のこれから」(山川出版社)など。
「偏見を持っていません」という偏見とは?
大谷:普段は地域医療をやっている医療機関でマネジメント業務や実際の看護師業務をしています。そして、「宗嗣の友達」であるということで、今日は一緒に登壇させていただきました。
松岡:はじめまして。一般社団法人fairの松岡宗嗣です。私は性的マイノリティーの当事者で、恋愛対象が男性である、いわゆる「ゲイ」とよばれる性的マイノリティーの1人です。記事を書く活動もしていて、最近分かりやすいところでいうと、全国で行われている同性婚を求める裁判を取り扱ったりしました。
大谷:今日は何を話そうか、事前に2人でいろいろ考えたんですが、固いテーマだと対話というよりレクチャーになってしまいそうなので、今日は性的マイノリティーではない僕が、宗嗣と出会って今に至るまで、どう認識が変わったのか、彼は普段どんなことを考えているのかといったところを話していけたらと思います。
大谷:僕らが出会ったのは僕が大学3年生のときで、当時入っていた学生団体のイベントに講師としてきてもらったのがきっかけです。
当時、僕はLGBTQについて何となく知ってはいるけれど詳しくはない状態で、講演を聞いて新鮮に感じられました。新たな世界を知った興奮のまま、「自分は差別的な意識もないし、フラットに考えている」というようなことを宗嗣に言いに行ったんだよね。
わざわざ来てそんな話をされて、どう思ったか、みたいなところからまずは聞かせてもらえますか?「それは分かるけど、こういうことも注意した方がいいよ」って優しく教えてくれたような記憶があるんだけれど。
松岡:当事者に対して「私は偏見がないよ」「そういう友達がいるから理解してるよ」とわざわざ言う人は確かによくいるんですが、実はこれは注意が必要です。講師に呼んでもらって話をさせてもらっている立場で、「ハイ、それはダメ〜」とは言えないから、大谷くんが言ったような反応をしたと思うんだけど(笑)
自分なりに話を咀嚼してぶつけてくれたことは素直にありがたかったから「受け止めたいと思っているよ」とか「完全じゃないけど理解したいと思っている」という言い方の方がいいよね、というのをすごくゆるく話した気がします。
「理解している」と伝えてくれる気持ちはありがたいんですが、たとえ友達に性的マイノリティーの人がいたとしても、全員が同じなわけはないんですね。また、偏見がない人というのはいません。
性的マイノリティーの友達がいるかいないか、偏見があるかないかにかかわらず、シンプルに「受け止めたいと思っているよ」「完全じゃないけど理解したいと思っている」というメッセージを出してくれるのであれば、当事者も受け止めやすいですね。
大谷:振り返ると、あのときの行動は僕が宗嗣に「仲良くなろうぜ」みたいな気持ちを示したくてしたことなんだと思うけど、そういう姿勢を示したいときは、何でも受け止めるよという態度がいいっていうことなのかな?
松岡:そうだと思います。もちろん「偏見はないよ」というのが「安心してね」っていうメッセージだということはよく分かっていて、その気持ちに対しては感謝しかないから、その時はゆるく伝えて終わったけど、実はこれも1つの偏見というか、よくあるパターンではあるんですよね。
性的マイノリティーの知り合いが1人いるというだけで、なぜかその人が代表性を帯びてしまうとか、「自分は偏見がない」とわざわざ言いそうになるとかいった問題の背景には、差別や偏見は悪い人がするものだという認識があると思います。
差別というと言葉には強い響きがあって、そこに触れることすらはばかられるような感覚があるかもしれません。でも差別は誰でもする可能性があるし、してしまっているものです。差別は悪い人ばかりがするものではない、むしろいい人だってしてしまうという認識に変えていきたいですね。
こういう発信をしている自分だって、他のマイノリティーに対していろんな差別をしていると思います。だから、差別をしてしまった時はそれが悪意か善意かではなく、間違ったから直すというテクニカルな対応をするようになると、それこそ対話が進むと思うんですね。
話をしている時に「それは差別的な発言」だと指摘されると「お前は悪者だ!」と言われているような気持ちになって「そんなことないよ!」と言ってしまいたくなる気持ちはよく分かるんです。それよりも「言葉を間違えちゃった。ごめんね。じゃあ、次からは変えよう」ぐらいの、ある種ライトな感覚で小さな失敗を繰り返していけば、相互理解も進んでいくんじゃないかなと思います。
意識して配慮することが新たな問題を生む?
大谷:自分は医療機関で働いていて、仕事で多くの人と接するなかで、マイノリティーの方への配慮について、どう伝えていけばいいか悩むことがあります。
「セクシュアリティに配慮しましょう」と言うことで、かえって当事者を傷つけたりしないかという心配が以前はあったんですよね。騒ぎ立てることでかえって、そこに触れてほしくないと思ってる人が迷惑だと感じるんじゃないかと考えていたんですが、その辺はどうなんでしょうか?
松岡:それは当事者ではない方からも当事者からもよく上がる声ですね。
ダイバーシティ&インクルージョンなどの流れで象徴的に取りあげられるようになったことで、企業の取り組みが進んだり、多くのイベントが開催されたりして、社会の認識が変わっていって生きやすくなる人が増えた一方、これまでLGBTQといった言葉もなかった時代に、誰にも知られることなく、うまくマジョリティーに擬態して生き抜いてきた人たちからすると、急にスポットライトを当てられて怖いと感じるようです。
当事者にも注目しないでほしいと感じる人がいることは事実ですが、大事なポイントがあります。この問題は性的マイノリティーに限ったことではないんです。
たとえば、育休や看護休暇の制度をつくろうとしたとき、制度がない時代にがんばって子育てしながら働いてきた女性からは「私はがんばることでやり遂げてきたんだから、そんな配慮はいらない」という意見がありました。もちろん、その人たちが大変ななかでサバイブしてきたことは大切に受け止めるべきだけれど、じゃあ制度をつくらなくていいかといったら、そういうことではないですよね。次の世代の人たちがより良く生きるためには、不平等な制度を直したり、ちゃんと休暇を適用したりすることは大事です。
「あえて言挙げしなくていい」という人が当事者にもいるのは事実だけど、どういう社会をつくっていきたいかという視点で考えると、建設的な議論ができるんじゃないかと思います。
大谷:新しい配慮が生まれると、それまでサバイブしてきた人が否定されたような気持ちになることはあるのかもしれないですね。
言葉を1つ変えることで始まる関係がある
大谷:宗嗣と出会って1年ほど経ったころ、いろいろ考えて、まず1つ変えてみようと思ってやったことがあるんです。彼氏・彼女・旦那さんといった言葉をすべてパートナーという言葉に変えたんですね。
最初はパフォーマンスに近かったんです。「何か変わるかな?」と半信半疑で言葉使いを変えたんですが、それをきかっけに「今までここでは言わなかったけどカミングアウトしてみようと思った」「他には言ってほしくないけど君には言わせてくれ」と話をしてくれる人が出てきて、言葉1つでこんなに変わるんだと驚きました。
こんなふうに言葉を変えることは、当事者からは、どう見えているんでしょう?
松岡:その経験は本当に大事だと思います。たかが言葉、されど言葉なんですよね。言葉ひとつでも、セクシュアリティーの問題に関心がある人かもしれないというシグナルになります。
ジェンダーやセクシュアリティーの話って、ありとあらゆるところに根付いているんです。「彼氏いるの?」「彼女いるの?」といった、普段何気なくしている会話もそうだし、書類の性別欄もそうだし。意識しているかどうかにかかわらず、性別を決めつけてしまっていることがあるので、そこを変えるのはとにかく大事です。
たとえば、誰かを攻撃する意図がなくても、この場にLGBTQがいるということに思いが至っていないと、「ホモ」「オカマ」などの差別的な言葉で笑いを取っちゃうことはあり得ると思うんですね。そこに、もしカミングアウトしていない当事者がいれば、この場では絶対にカミングアウトできないし、それで笑いを取ってる人には接触したくないという思いを抱いてしまいますよね。一方で、同時に誰が笑ってたか、誰が笑ってなかったかも当事者にはよく見えているので、そこで全然笑ってなかった人はよくないと思ってくれてるのかな、というサインにもなります。なので、態度や言葉ってやっぱりすごく大事ですよね。
大谷:最近、職場が東京から三重にうつって、地方だからとは言わないけど、前の職場と比べると相対的に「ゲイ」「へへへ」みたいな笑いが起きちゃったりしてるんですよね。そういう時にすかさず「パートナーが」と強調していってみたりすると、後日その会話に違和感を覚えていた職員が、言葉の意図を聞きに来てくれたりするんです。言葉を変えることは、当事者ではない人に伝えるチャンスでもあるかもしれないですね。
松岡:介入のしかたって、すごく難しいですよね。上司が話している最中に「はい、それダメ〜」みたいなことは言えないですから、もし後から当事者を知っていたら声をかけてケアするとか、相手がどれだけそういう言葉を使っても自分は同調せずにあえて「パートナー」と言い続けるとか、対応のしかたはグラデーションがあってもいいですね。
もし街中で人が倒れていたら、一般の人は動けなくても医療関係者はパッと動けますよね。それと同じで、当事者と接する機会がなくても先に知識をためておくとか、普段からイメトレしておくというのは大事かもしれませんね。
身近な関係のなかで小さく間違えていくことから始めたい
松岡:言葉に関連していえば、最近では多様性を配慮した言葉がけの重要性も認識されるようになってきています。JALやディズニーランドでは「Ladies And Gentleman!」というアナウンスを廃止して、「Hello!Everyone」というシンプルな呼びかけに変えたそうです。
「そこまでする必要ある?」と思う人もいるかもしれませんが、これは男らしさ・女らしさを全否定するものではないんですよね。そうありたい人はそうあってもいい。ただ、色んなお客さんを受け入れる入口となる最初のアナウンスでは「私たちはすべてのお客さんを見ていますよ」というアピールとして、性を特定しない言葉を選択したんだろうと、僕は受け止めています。
大谷:過剰な配慮ではないかという意見もありますが、初めて接する相手といい関係をつくれるかもしれないのに、その入口で壁をつくる必要はないんじゃないかと個人的には思います。施設利用者さんや患者さんとの間の不必要な壁を1つ減らすための方法として、多様性の話をしている感じですね。
ところで、親密な間柄の人を指す言葉として「パートナー」以外に適切な言葉って、あるんでしょうか?
松岡:単体の言葉はあまりないですね。性別を限定しない表現としては「付き合ってる人」、「連れ合い」などの言い方もあります。これは言葉ではないのですが、こういう認識を持っていてもらえたらいいなと思うのは、目の前にたまたま現れた人の性別を決めつけないことです。これが結構難しいんですよ。
ヒトって、色んな情報から勝手に、女性かな?男性かな?と推測しているんです。たとえば、見たことも話したこともない人からの営業メールでも、署名欄から勝手に男性や女性をイメージしていることって、ありませんか?
大谷:ある〜!
松岡:でも実際には、その人の法律上の性別を確認しているわけでも、生物的な身体状況を確認しているわけでもなく、本人の性自認も知らないわけです。
もし、その人が男性として生きてきて、男らしくいきたいという人なら男性として対応すればいいし、トランスジェンダーだと分かったら、そういう対応をすればいいですよね。トランスジェンダーでなくても、男らしさ女らしさを決めつけられるのは嫌という人もいます。最初にどちらかをジャッジしない、決めつけないことは大事ですね。
もしこれが大切な友達だったらどうだろう?と考える
松岡:大谷くんの知的好奇心には、助けられていることもあります。もし決めつけが多いタイプだと友達になることは難しかったと思うんです。
お互いに話をして関係ができていくなかで、大谷くんといて心地いいと感じられたのは、セクシャリティーの話も「funny」ではなく「interesting」的に面白がってくれるんですよね。「なるほど〜。そうなのか!」という反応が当事者的にはありがたいです。
カミングアウトすると「大変だったね」と言われることもよくあるんですが、大袈裟にかわいそうがられるのも抵抗があるし、実際に大変なこともあるので「大したことないよ」といわれてしまうのも「勝手に決めつけないでよ」という気持ちになります。その点、自分の世界にひきつけて面白がってくれるのは個人的にはありがたいですね。
カミングアウトされた時にどう反応したらいいかと質問されることもありますが、「話してくれてありがとう」と肯定的に受け取めてほしいとお伝えしています。
でも、それだけではなくて。自分の場合、母親にカミングアウトした時の反応が「もう1軒、飲みに行こう」という感じで、それは非常にありがたかったですね。否定しない、ジャッジしないのが基本ですが、さらに自分に対して興味を持ってくれていることが分かると、お互いの対話も広がっていくのではないでしょうか。
大谷:カミングアウトのような個別の関係において行われた開示には、相手への好奇心みたいなものも大事だということですかね。
松岡:もし、そこにちょっと落とし穴があるとすれば、好奇心に偏見が入りこんでしまうことがあります。相手との関係性ができていない中で、「手術はしているの?」「セックスって、どういう感じなの?」といきなり興味津々で質問をすると尊厳を傷つけることもあるので、注意が必要ですね。
「自分に関係のある話だから知りたい」という方向の興味で、「それはこういうこと?」と聞いてくれるのは、自分はうれしいですね。
大谷:単純に人間関係できてない時に、急にセックスの話を聞くのも変だしね。
松岡:おっしゃる通りです。異性愛者なら初対面で聞かないことなのに、LGBTQだと聞いていいかのように思われがちなのもひとつの偏見ですよね。
知識を持つことより大事なのは相手に興味を持つこと
大谷:多様性の話も根本的に人間関係だから特別なことはないんだろうけれど、少しでも自分と違う価値観に興味・関心を持って、あらかじめ言葉や表現を選ぶのは大事だと思うんですね。
僕はポロッと配慮の足りない発言が出ちゃうタイプなので、宗嗣と話すなかである意味、事前にチューニングできるのがありがたいなと感じています。言ってしまった、やってしまった後に「違ったわ、ごめん」と訂正できるとことも大事ですよね。
松岡:今、SNSの情報だけを見て、多くの人が性の多様性や人権・差別の問題について間違えたくないという気持ちを持っていると思うんです。セクシュアリティーの話題はいつも炎上しているというイメージを持って「間違えたら終わりだ」と考えている人もいるかもしれません。
SNSの投稿は全世界にオープンなので問題が大きくなりがちですが、個人的にはもっと小さな世界、身近な関係性で小さく失敗したいと思っていて。
間違えて傷つけてしまうこともあるし、自分も誤って傷つけたことに傷ついてしまうこともあるけど、間違えたらちゃんと指摘してもらえる関係性があって、「ごめんなさい、次から気を付けます」ということが成り立つところで学びたいって、ずっと思ってます。
大谷:そうよね。そう思う。今はお互い信頼関係ができてるなかで話せているから、そこで気付けるのはありがたいなと思う。
松岡:そういう関係性が身近にあるのはいいですよね。セクシュアリティーに限らず、お互いに信頼関係のなかでこれはこうだよと教えあえるコミュニティを増やしていけるのがいいかもしれないですね。
大谷:一方で、こういう話はある程度、ベースの知識も必要なのかと思ったりするんです。というのも、帰省して地元の友人知人と話すと、やっぱり笑い話にしてふざけるような空気があるんですよね。面白くない顔をしていると「どうしたん?」と聞かれてしまったり、「最近こういうの炎上してるけど、やり過ぎだよね〜」みたいな会話があったり。
僕は宗嗣と仲が良いのもあって興味関心が高いし、学ぶのも好きだから自然と知識も増えているけど、そうでもないと難しいのかなと思うんですが、どうなんでしょう?
松岡:もちろん知識があるに越したことはないですが、問題のある表現をみたときに気付けるセンサーのようなものは、知識のあるなしに関わらず、培えるものだと思います。
やっぱり友人にそういう人が情報感度も高くなるし、「自分は傷つかないけど、もし大切な友人がこれを見たらどう思うだろう?」と考えれば、知識はなくても想像が働くようになりますよね。
SNSの炎上をみてやり過ぎだと感じるのは、周囲に当事者がいないと思い込んでいるからだと思うんです。実際には誰の周囲にもLGBTQの方はいるので、そういうところにも目を向けてもらえたらなと思います。
ただ、周りにそういう人はいないと思い込んでいて全く興味もない人の意識がどうやったら変わるのかというと、すごく難しいですよね。
大谷:こういう会に参加してくれる、興味関心や学習意欲の高い人たちがまずは言葉を変えていって、そこに引っかかった周りの人たちに広がっていくといいのかな。もしくは友達にそういう人がいて、身近な関係性のなかで学んでいくとか、そういうところがいいんでしょうかね。
松岡:気づいた人が行動することは大事ですよね。
それこそ差別は悪者がするわけではないですから、意図を問うてみるというのが最初の一歩かもしれません。聞いてみたら実は全く悪気はなくて、すぐに対応を変えてくれるかもしれないし、もし故意にやっていることが分かれば問題が可視化されるわけだから、問題提起もできますよね。
大谷:そうですね。この辺でそろそろ、まとめに入っていきましょうか。今回は「多様な人との関係性」という大きなテーマではあったけど、身近なところで失敗を繰り返すっていうのは話しててしっくりきたな。
松岡:自分もこういう活動をして発信もしているけど、知識が増えた今でも「何か間違えてないか」と怖くなる時があります。誰かから叩かれるという恐怖ではなく、自分が使っている言葉が誰かを見落として無意識に傷つけていないかという恐れですよね。
最近多い相談に、差別偏見に気づいて現状を知れば知るほど、差別がなくならない社会に対して絶望し、メンタル的にもつらくなってくるということがあります。
社会問題は1人では解決できないことで構造的に変えていった方がいいことだから、自分で抱え込む必要はなくて、できることとできないことを線引きしてもらったらいいと思うんですが、知るとつらくなる気持ちはすごく分かります。
なので、そこの解決として小さなコミュニティがどれだけあるかというのは大事ですよね。
正しく怖がることができれば不安も大きく育たないので、安心できる関係性のなかでちゃんと教えてくれたり、間違えたら指摘してもらえたりする場があるといいと思うし、社会へのモヤモヤを吐き出して共感してもらえるコミュニティがあることも大事ですよね。
大谷:そう思います。僕も性的マイノリティーの方を嘲笑するような会話を聞いて、憤りを覚えることがあります。誰かをフォローする意味合いで、つい「オジサンたちはこれだから」みたいなことを言ってしまいそうになるけど、そもそもそういうことではないし、それは感情的な反応でもあるからグッとこらえて。
どういう状況でも差別的な発言はダメなことだけど、差別そのものは悪いことではない。そう考えた時に、ちょっとしたシグナルを出して、コミュニティのなかで何かモヤモヤを吐き出してもらえるような役割を担っていけたらと思いました。
松岡:もし当事者ではない立場からこの問題を考えてもらえるなら、1つできることとして声を挙げてもらうということがあります。
これも1つの偏見ではあるけれど、当事者でない人からの声は中立的な印象を持たれやすいんですね。当事者が「それは良くない」と指摘すると当たりが強い感じがしますが、当事者ではない人から指摘されると受け止めやすくなるという効果があるんです。
その場でバシッと問題を指摘する以外にも、言葉の選びかたや態度でシグナルを発信することもできるし、目の前の人を変えるのが難しかったら会社として研修をして社内のルール作りをしてもらうということもできる。方法はいろいろ工夫できますよね。結局すごい真面目にゴリゴリした話になってしまいましたが。
大谷:いやでも、こういうチューニングができるのはありがたいことだと思います。今日はありがとうございました!
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