流れの必然性は理解し始めた -Xデザイン学校 ベーシック リフレクション #1-
今回の学びは、前回の第0回とだいぶ地続きで、接続されているな、と思った。大きな問いは「サービスデザインがどのように確立され、なぜ必要なのか?」というもの。
サービスデザインの流れ
・「ステークホルダー資本主義」という多様な人々の生態系を考えないといけなくなった流れがあり、
・その流れにおいては個々のサービスをまとめあげるプラットフォームが最適であり、
・現代においてその変革は「DX」という名称で呼ばれている。
全てはプラットフォームに吸収されることは確定している。もうそれはどうしようもなく、そうなってしまうし、そうなっている。その上でどのようなサービスを作るか、ということを考えなくてはいけない。
この構造を無視して、サービスフェーズから考え始めると社会課題とかパーパスとか今後必要とされるものを無視してしまうんだろうな。もしくは無理のある入れ込み方になって、立ちいかなくなるんだろう。
今回のワークが失敗した理由はそこにあると考える。
社会課題を取り上げるフェーズと、サービスの課題を取り上げるフェーズが同じタイミングにあるとマジで考えづらい。
社会課題である「不登校児童」の話を、無理やりサービス課題に適用して「不登校児童の問題を解決すると、〜〜という人に刺さって金になる」ってことにした。
そうじゃなくて、「不登校児童の問題を解決したくて、事業モデルとしては〜〜という人に刺さるからそういう性質の人を集めて、収益モデルとしてはプラットフォームサービスの中で…」って言わなくちゃいけなかった…んだだと思う。うーん、どこから考えていく必要があるのか、まだふわふわしてる。
事業モデルと収益モデルを一緒くたにする癖が付いてしまっているから、そこは思考を変えないといけない。
「こういうものだ」と前回から提示され続けているサービスデザイン全体のフレームの1つ1つがちょっとずつ必然性のあるものとして理解でき始めてはいる。まだ曖昧。要確認。
あと、この流れの前提である「ユーザーがあまりに多様になった→ステークホルダー全体を見つめないといけない」の繋がり部分がちょっと見えない。
本当にそうなるのか??ユーザーが多様になっただけで、自然まで含めた全体を考えて….みたいなところまで繋がらなくないか?
その部分をスッキリさせたい。
コ・デザインとサービスデザインの関係
コ・デザインと今回のサービスデザインはどういう関係になるんだ?と疑問に思った。どちらも「ユーザー」の見方が局所的だと指摘していること、ステークホルダー全体を巻き込むことにおいて共通してる。
なんとなく、コ・デザインはステークホルダー全体を巻き込もうとする「態度」、サービスデザインはステークホルダー全体を巻き込むための「思考」って感じがする。
サービスデザインは、ステークホルダー全体の生態系を考えないと生存できなくなった社会でいかに生存するか考えるための思考の仕方・枠組みであって、「積極的にステークホルダー全体を巻き込んでいきたいぞ!」という態度は感じられない。
態度というより、もうそういう社会になっちゃったんだから、そうするしかないじゃん、という理性的な判断=思考として確立された感がある。
間違ってるかもだが。この点については中々今回の講座で言及されないだろうけど、機会があったらどう棲み分けしているか聞いてみたい。
#Xデザイン学校 #Xデザイン学校2024年ベーシックコース
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