シオコレ・コーデ・リレーvol.22 上村亮太
シオコレに関わりのある人や、そのまわりの人にシオコレの古着を着てコラムを書いてもらうゆる〜い連載 #シオコレコーデリレー 。
今年最後に登場してくれたのは、先月シオコレでの「すきとおった、いふく」展が大好評だった上村亮太さんです。
今回の展示のために描き下ろしてくださった作品や丁寧に作られたグッズ、そして何よりそのお人柄にスタッフ一同感動しっぱなしですっかりファンになってしまったのでした。
シオヤコレクションでの「すきとおった、いふく」展の搬入の日。
その搬入作業が終わるやいなや、「さあ、上村さん、コーデリレーの撮影に出かけますよ」と言われて、シオコレの赤いセーター、コーデュロイのパンツに毛糸の帽子をかぶり、マンナさんに連れられて、塩屋の町をあちこち歩きながら、写真を撮っていただきました。
僕は、今まで何度も塩屋には来ていたのですが、マンナさんは、まだ僕が知らなかった道を案内して下さったので、クネクネした細い坂道や、柑橘系の匂いのする小道などを歩きながら、次の曲がり角の先には、いったいどんなものがあるのだろうか、と、とても興味津々でした。
知らない道を歩くことは、絵を描くことに、少し似ているなあ、と思ったり・・。
この道はどこに行くのだろうか、ドキドキしながら歩き続けることは、まさに、絵を描いているのと同じような感じがしたのです。
僕が絵を描くときは、絵の全体がとても生き生きとして、あたかも「呼吸しているような画面」になるように心がけています。画面全体が、スーハー、スーハーと息をしているような、風通しが良くて、わだかまりのない「良い状態」に出来れば、と思って描いています。
なかなか思うように描けなくて、時々、どんよりと重苦しくて、息がつまりそうな画面になることもあるのですが、そういう時は、例えば、画面をビリビリとちぎって、また貼り直してみたり、混沌とした絵具のかたまりにスッーと鋭い線を引いてみたりすると、とたんに、絵の中に爽やかな風が吹き渡ることがあります。いろいろ試行錯誤して、画面を「気持ちの良い状態」にしていくことは、未知の、新しい曲がり角を曲がるときの、新鮮な気持ちに似ているようにも思います。
よく、「芸術には正解はない」という言い方をする人がいるけれど、僕は、実は、「正解」はあるんじゃないのかなあ、と思っているのです。
確かに、芸術には、こうあらねばならない、という事はないし、ルールも法則もないし、定番も王道もないと思うし、上手く描こうと思わなくてもいいように思います。自分が好きなように、やりたいようにやることは、とても大事です。それは、当然のことだろうし、芸術だけではなく、いろいろな仕事や生活にも、当てはまることなのでしょう。
僕が思う「正解」とは、その、もう少し深いところにあるのかも知れない、言葉ではうまく言い表せない「なにか」なのです。
それは、いろいろなものを「良い状態」にすることが出来る「感じかた」かも知れないし、「良い状態」を感じることの出来る「素直な気持ち」なのかも知れないし、いろいろなものの「根っこ」にあるものなのかも知れません。
おそらく、それが「すきとおった、もの」なのかなあ。
でも、それは、たぶん、そんなに特別なものではなく、あたりまえに僕たちの生活の中にあるものだ、という気がしています。
新しい道を歩いている時も、通いなれた道を歩いている時でさえも、 思い込みや先入観があると、つい、間違った曲がり角を曲がってしまうことがあるように思います。
なので、なるべくゆったりと、素直でフラットな気持ちで、曲がり角を曲がっていければなあ、と思っています。
そしたら、ひょっとしたら、曲がり角を曲がった時、足元の雑草のかたわらに、「すきとおった、もの」が、ひっそりとうずくまっているかも知れないなあ、と思ったりもするのです。
上村亮太 (画家)
@himawarijiamian
今回着用いただいた商品
■ニットキャップ
■赤いマフラー
■赤いセーター
■コーデュロイパンツ
■その他私物