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東京にこにこちゃん『ラストダンスが悲しいのはイヤッッ』

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2020年1月17日(金)20:00〜 @荻窪小劇場
仕事を終わらせて銀座駅から荻窪まで丸ノ内線で向かい、どうにかギリギリ間に合った。荻窪駅から荻窪小劇場まで遠い。でも20:00開演は仕事帰りにギリギリ間に合うので嬉しい。

きっかけはnoteの記事

東京にこにこちゃんの主宰である萩田頌豊与という人物のnoteの記事を目にした。確かツイッターで流れてきたか何かだったと思う。それがこの記事だ。

とても興味深く、読み物としてもすごく面白いから是非読んでみてもらいたい。画家をやっていた父の死を間近に体験したことが本公演の動機になっていると書いてある。

次回作のタイトル「ラストダンスが悲しいのはイヤッッ」

死んだ父の葬式のリベンジマッチ。

最初に言いますが、物語上で人は死にます。でも絶対に、何が何でも幸せな話にします。

絶対に全員幸せにします。ラストダンスが悲しく無いように、楽しい葬式のお話になります。

大好きなお父さんへの鎮魂歌。

もう絶対観た方良いと思った。小演劇というのは他者の「編集」が一切入らない現代においては珍しいメディアだ。それゆえに、こういう私的で強い情動が入った演劇は映画にもテレビにも小説にもできない迫力が生まれることがあるからだ。

ナンセンスな世界観

設定は、主人公である少女・美笑(みしょう)とその家族が、美笑の「終活」を葬儀屋に相談するというもの。なぜ美笑が死ぬのかは一切語られない。劇中には、美笑の死を止めようとする親友、我が子を病気ということにして火葬しようとする母親(病気なら火葬していいのか・・?)、など色々出てくるが、死の概念がおそらく作為的に現実世界と比して軽く扱われている。

そのナンセンスな世界観が小演劇的で面白かった。

展開もいたってナンセンス。
<坊主が出てきて3回木魚を叩くと死んだおじいちゃんが棺桶から降臨する>とか、<女性の遺骨と子犬の遺骨をすり替える>とか、<棺桶が巨大な火葬場に繋がっていて7つのボタンを押さないと火が鎮火しない>とか、突拍子もないボケの乱れ打ちである。

個人的には<そのシーンに不要な人物がやることないのになぜかずっと舞台上にいる>というシーンと、<棺桶から降臨したおじいちゃんがタイミングが悪くて無言でスッとはける>というシーンがすごいツボだった。

おじさんの死

美笑は自分の死自体は受け入れているように見える。でも、「死を悲しんで欲しくない」という主張を持っている。その主張を裏付けるシーンとして、劇中では美笑のおじとの過去回想が織り交ぜられる。

このおじさんが先に紹介したnote記事の父に当たる人物だ。

変人で、多分たくさんの大人に迷惑をかけていて、でも自分にとってはとっても優しい大好きなおじさん。そういう存在だ。
おじさんは自分の葬式は明るくハッピーなものにして欲しいと美笑にお願いする。しかし、その願いは果たされない。おじさんは劇中で「たくさん友達がいる」と言うのだが、おじさんの葬式には誰もやってこない。
美笑とその家族だけで寂しく執り行われる。これが美笑のトラウマとして刻み込まれている

正直、相当勇気のある設定だと思った。何せnoteに書いてある実体験そのままだ。やはりそれだけこの体験を描きたいと言う動機があったんだろう。

美笑は自分の葬式は楽しくして欲しいと父に懇願する。しかし、父はそれを拒否する。「悲しいものは悲しい」と。

共感について

面白かったのは、父親の言い分を聞くと、父親に100%近く共感できてしまうことだ。現代的な価値観で行ったら、故人を偲ぶと言うのが当たり前で、「大切な人が死んだら悲しいから楽しくは送り出せない」と言う主張は至極真っ当なんだ。

美笑の主張の方が異端、父の主張の方が大部分の人の共感を自然と獲得しやすいメッセージだと思う。けれど、そう言うメッセージ(自分の意に反するもの)をちゃんと劇中で言わせているのはフェアでめちゃくちゃ好感が持てる。

自分の伝えたい・主張したいことを通すために人物配置を意図的に捻じ曲げるようなケースも存在する。「こう言う反論されると痛いな」と言うことを言いそうな奴を意図的に登場させない、こう言う作品は狡くて、アンフェアに感じてしまう。

現代的な価値観とはズレがあろうともそのズレをなんとかして埋めていくことこそが、演劇の仕事だと思う。本作は、その仕事に成功していた。

ラストシーンはタイトル通りに

ラストシーンは美笑の葬式のシーンだ。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ラストダンスは悲しみを乗せて」をBGMにして目の前で役者の手によって葬儀会場が作られていく。見せ転換だ。テンションが上がる。

転換が終わると美笑が入場する。音楽はちょうどサビを迎え、参列者全員でダンスを踊る。

タイトルそのまま、自身がnoteに書いていた「楽しい葬式のお話になります。」そのままを体現する見事なシーンだった。

価値観のズレと言うのは論理的な説明で埋めることはなかなかしんどい。不可能ではないが時間がかかる。少なくとも公演時間の90分では難しい。だから論理ではない、もっと感覚に訴えかけるような飛躍が必要だ。

本作のラストシーンは、観客に飛躍を齎す名シーンだった、と思う。

役者のこと

本作、役者の個性のぶつかり合いっぷりも見所だった。

美笑役のしじみさんは、儚い演技がとても上手で見ていて惹きこまれた。ヒロインを演じきった。葬儀屋の役を演じていた青柳美希さんは中野坂上デーモンズの憂鬱「髄」でも拝見し、イかれた演技がクレイジーで最高すぎだが、今回もキレていて最高。てっぺい右利きさんも同じくデーモンズの「髄」で拝見していて、今回も独特の間・空気感でコメディリリーフとしてめちゃくちゃ機能していた。サイコパス火師(?)のぐんぴぃさんも一度見たら忘れられないインパクトと猟奇性。(なんか既視感あると思ったらバキバキの童貞の方なんだ・・・)

なんだかすっかりやられてしまって、荻窪駅までの道を早足で帰った。
荻窪駅で食べた十八番というラーメンが美味しかったから、みんなもぜひ食べると良いと思う。

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