ぶらり句会と垂人
第14回 ぶらり句会報 「雑詠」「ふる」。『垂人』46号。
どちらも広瀬ちえみさんが編集。今日は少しゆっくりできる時間があったので部屋で句会報と会誌を読んでいた。
句会報では「ふる」という題詠の難しさが書かれていて、確かによく出る題や、類想句ばかりになってしまいがちな題というのがあって、「ふる」もそのひとつだと思う。とはいえ奇抜な題が必ずしも面白い句会を形成するのかといえばそうでもないので、出題をするという行為自体が創造的であると言える。
虫の音を人語に訳すウヰスキー 野沢省悟
敦盛の目をする縁日の金魚 野沢省悟
秋への扉にフルーツ牛乳 妹尾凜
フルートは対角線に裂けてゆく 妹尾凜
今回は不思議と野沢さんと妹尾さんの句ばかり選んでいた。
野沢さんの句は、ベテランの書き手らしく奥行きがありつつ、さらりと胸の隙間に入り込んでくる軽みも持ち合わせている。
妹尾さんの句はほんのわずかのひねり技が功を奏していて、嫌味がない。簡単な言い方をすれば、暑苦しくない。
灰色が降ると桃になってしまう 竹井紫乙
桃一個食べるザーザー降りになる 広瀬ちえみ
私の句は「ぶらり句会」に出したもの。広瀬さんの句は『垂人』に掲載されている句。それぞれの句意は違うものの、まるで姉妹のような二句。
『垂人』では先日句集『シュルレアリスム』を出された中内火星について、中西ひろ美さんと広瀬ちえみさんが書評を書かれている。
広瀬さんの文章の中からの引用を少し。
私はいつもこの“現代”が気になる。現代〇〇、というフレーズがあちこちに見られる。現代って歴史的にいえばどこからなのか、あるいはどんなことに対しての現代なのかあいまいで落ち着かない。
たとえば“前衛”という言葉がある。あらゆる芸術でこう呼ばれているジャンルは、対するものがあるから“前衛”というのだろう。あちらとは違っている“前衛”という意識である。“現代”という言葉も確かに同じニュアンスがあるというのが私見だ。俳句にも川柳にも“現代”がある。何に対しての“現代”なのか、境界はあいまいだ。
呼称は、必要に応じて発生する。この先の変化は、先の人たちの都合で変わってくるはず。
ぶらり句会の提出句。
帳場の奥から炎の見本帖 竹井紫乙
牛蒡が揺らぐと染みわたるファミリア 竹井紫乙