
Pしんぶん その15
昨日も今日も大阪へ、きっと明日も

大阪に通い出したのは九十年代初め、相棒・銀の輔と我が町東京右半分を歩き始めて、そう間もない頃。だから銀の輔にとっては東京も大阪も、頻度こそ違えど遡れる時代風景はさして変わりがない。
東京のスタートが本郷日本橋上野界隈だったのに比べ、大阪の歩き出しが新世界だったのは、いささか酷だったかも知れない。今でこそ界隈は一大国際観光地として、まぁ浅草っぽい感覚で歩けるが、三十年前はそうはいかなかった。キョロキョロ眺めて歩き難いというか、少し歩くと飛田方面に行ってしまうし、結構どきどきする町だった。考えたら浅草もそうだったな。
でも新世界初体験が大阪万博だった僕には若干の耐性があった。ホテルが満室で取れず、うちに出入りの問屋の紹介で泊まったのが、界隈裏通りの商人宿。あの時代のジャンジャン横丁は小学六年生にはちと刺激的過ぎた。

そのワクチンが効いたのか、案内してくれた演芸好きの知人が、俺に任せとけってなパワフルだったからか、少しだけ身動きが取れるようになり、それからは転がる石の如く、ミナミを中心に銀の輔と歩き来出したのだ。
千日前界隈にはまだ劇場が幾つもあった。芝居よりお笑いの小屋が多かったかも知れない。役者や芸人の行きつけの店も多い。今も僕が通い詰める純喫茶アメリカンもそんな店のひとつだったと聞いた。
アメリカンもそうだけど、大阪のコーヒーは深煎りネルドリップのストロングスタイルが主流派。それまで無関心だった僕がコーヒー好きになったのは、大阪詣でがきっかけ。モーニングの楽しさも知った。

それ以上に街歩きの楽しさ、特に商店街の素晴らしさの虜になった。どんな繁華街にも過去が見え隠れる奥深さの虜ににね。
神戸ジェットコースター

思えばいつも大阪でお腹一杯になるどころか、消化不良を起こしそうなくらい物件見所だらけなので、なかなか神戸に足を伸ばさない。各駅に良き商店街があって、裏手に回ると変わらない住宅街が続く無限パターンにハマると、なかなか抜けられないのだ。そのくせ京都には行くくせに。
最後に界隈を歩いたのは、趣味のベビーカステラの袋集めのために、神戸高速線高速長田駅近くにある『加島の玉子焼』に行くためだったっけ。その時に湊川商店街や新開地辺りも巡って、下町風情バージョンは満足したのだ。
今回は、師走の食卓に欠かせないかどうか分からないけど、我が家では必需品であるシュトーレンをかの名店『フロインドリーブ』で買おうというお洒落大作戦。創業百年という老舗ジャーマンベーカリーにして、ケーキも焼き菓子も絶品な、普段の僕には似つかわしくない店だ。でもさ、シュトーレンを食べたいじゃないですか!おっと、この店ではシトーレンて言うんだけどね。
東京者にとっての神戸は、どこか横浜に近いイメージがある。モダンでハイカラ、坂を登る程に高級な店や住宅が出現する。まさに北野なんてそう。洋館や古手ビルを今風にリノベした店舗が、なかなかの急傾斜に並んでいる。元教会を利用した『フロインドリーブ』もそんな感じだけど、細い道の奥まった場所に突然立ってる上、周囲は普通の佇まい。教会は日常の暮らしの中の集会所だからかな。お菓子決死隊は、どこでも行きますから。

女子的神戸を辞して、一気に三の宮で深呼吸。ステキに疲れたおじさんを癒やす「金時」の赤文字。立派な商店街から路地に入ったすぐ、『金時食堂』の冷蔵ケースから、食べたいツマミをお姉さんに申告する心地よさ。意味不明のお品書きは、隣席の人が教えてくれる。昼だってビールが進んじゃうに決まってる。
路地を抜けたら『ユーハイム』や『風月堂』の本店もすぐ近所。そして大工事中とはいえ高架下のファッション多めなアメ横感は心地よく、高架の脇にはぎっしり飲み屋がひしめいて、やや取り付く島のなかったオシャレチックは何処だったけ?ってな急降下。その繰り返しが半端ない神戸の町並みは、裏を返さにゃ到底分からんぞよ。

浪速の道端

大阪版秋葉原、日本橋を貫くメインストリートたる堺筋通りの歩道の片隅の道標が、少なくともアニメに席巻される前の電気屋街のずっとずっと前の、昭和でも大正でもない時代か、もしくは更に昔から立っているのかも知れぬと思い始めると、この街の積み重なった歴史のミルフィーユを縦に切ったような気分になってくるのだ。

地下鉄肥後橋駅を出るとオフィスビル聳え立つビジネス街で、すぐ先は中之島と平日昼間人口激増のエリアだけど、豪商加島屋の流れを汲む大同生命の本社ビルの豪奢な外観は、建て替え前のヴォリーズ設計のビルの意匠やデザインを再現しようという心意気の表れ、東京ではそんな発想も無いなと羨ましく見上げるだけ。
そのまま土佐堀川を渡ろうと思う刹那垣間見た瀟洒な小振りビルは、昭和初期からずっと川を背にしてきた界隈の生き証人だけど、普通に店舗や事務所が入居する現役バリバリ。

古い長屋やビルをリノベして若い子達が古着や雑貨や手作り品の店を出し、いつの日か人気スポットになった中崎町が、思いのほか梅田に近いと分かると、あの路地裏風情が一層面白く、近年は随分普通化したけど、次に天神橋筋商店街に近いことも分かると、段々商店街へと向かいたくなるのは人情というもの。しかもとっつきに良き角打ちや小体な飲み屋が続いて、再び中崎町駅を使うようになること必至。
その肝心の夜はというと西田辺のあのカウンターに陣取って、先ずは炊合せで乾杯、この時期ならずとも大阪の飲み屋にはありがちなおでんを頼み、この出汁の美味さが街場の飲み屋で普通に出会える幸せを感じつつ、ある時知った梅焼の存在をしみじみ味わう。かと思えば難読筆頭、杭全で絶品ワインを鱈腹飲み、懐かしきJR車両に乗り込み、定宿あるミナミへの帰り道、間もなく消える味園ユニバースの怪しきネオンサインを見納める。

村野先生を訪ねて

東京だと日生劇場、現目黒区庁舎、そして現有楽町ビックカメラを設計した建築家・村野藤吾が大好物なんです。俺が俺がを全面に出さない、でも一目瞭然、美しい曲線やモザイクを優雅に設える人でした。拠点が関西だったので、西日本に作品が多いんですよ。特に大阪はデビュー作の南大阪教会始め、現役ばりばりの建物が沢山あって、大阪通いの目的のひとつでもあります。
JR天王寺駅からちょいと路地裏に入り、ラブホや飲食店をかき分けた一角に渋いベージュタイルの低層ビルが、かつてて村野先生が腕を振るった村野・森建築事務所でした。昭和四十一年竣工の、勿論自身設計の建物で、有り難いことにインテリアショップ&カフェとして利用できますよ。
川筋の如き窪みのある中庭、可愛い螺旋階段、狭い階段や細長い吹き抜け、窓の手摺りのデザイン等々、コンパクトなのに見飽きない空間に、業界最前線で活躍してた頃の先生が過ごしていたと思うと、グッときます。ビールを飲みながらね。

ほろ酔い気分で地下鉄肥後橋駅近くのダイビル本館へ。師匠・渡辺節設計で大正十四年竣工、若き村野先生は製図主任、かのタワー博士・内藤多仲が構造設計した、日本初の耐震設計ビルでしたが、解体されて十一年前に建て替えられました。
きっちり復元された低層部のゴージャスな正面玄関やエントランスの吹き抜け、照明等、意匠にもきっと村野先生の息吹が備わっている。中之島は今も昔も見所満載
編集後記のようなもの
大阪をゆっくり歩くのはコロナ禍以降初めてでした。観光客の爆発的な増加や繁華街を構成する店の激変は東京と同じです。でも昔がきちんと見えている、僕が歩き始めた頃の大阪が案外残っているのが嬉しかったです。行きつけの店もみんな元気一杯でしたが、限られた時間で全てに顔出すのは無理というもの最近京都ばかり贔屓にしてきたけど、初心に戻ってじっくりこの街を巡りたいと思いました。
大感謝配布協力
池之端・古書ほうろう、雑司が谷・旅猫雑貨店、法善寺横丁・洋酒の店 路、目黒・ふげん社、浅草・珈琲アロマ、平井・平井の本棚、神宮前・シーモアグラス、大塚・山下書店、深川・エンミチ文庫。