心臓を鷲掴まれたのは一瞬だった話
小さいころから健康診断の心臓検診では毎回“再検査”となる私だが、YouTubeのオススメ動画に突如現れ、その心臓をぎゅんと掴んでいった名曲がある。
「もう一度キスしたかった / B'z」
普段からスマホ依存症でもなく、YouTubeではお気に入りのネコ動画や本の紹介動画、知人からおすすめされた懐メロ検索しかしないような私の好みを、何故知っているのか…。
(大袈裟に言えば)青春を捧げた歌手は何組かいるものの、中でも群を抜いているのがB'z。23区内育ちとはいえ、中学・高校生時代の多感なころ、稲葉さんの声で歌われる“都会で繰り広げられる大人の恋の酸いも甘いも”に憧れた。
この曲中に出てくるように、“雨の午前6時に出て行く”人を見送ったり、又は見送られる側になるなんてそのころの私はつゆ知らず、デート後は“車に乗り込んでゆく”姿をどちらかが見送るのだろうかとまだ見ぬ未来の恋人を想像したり、「恋心」に出てくる“彼女”さながら、駅のそばの喫茶店(ドトール)でミルクティーを注文したり、家に帰り靴下を脱ぐときは「裸足の女神」を歌ったり(今でもたまに目の前で靴下を脱ぐ人を見ると、頭の中でこっそりとメロディが流れるほどに)、かつてB'z好きの学生としては日常生活の中でやるべきことは沢山あった。
そんな風に生活に馴染み過ぎていた曲たちも、大人になり日々の忙しさにかまけているうちに、ふとした拍子に記憶のひきだしに無造作にしまわれつつあった最近…のはずだが、何故に今!?
一度目にしたら最後、タップし再生されるイントロを聴いた一瞬で机に崩れ伏す。
音楽は時として残酷だ。静かに閉じ、封印すらしていた記憶や感情のひきだしを全開にし、中身をぶちまけつつひたすら揺さぶりをかけてくる。
「この曲を聴いていたころ、こんな気持ちだったろう?」
と。そしてiPhoneから流れてくるメロディに、全降伏。
「はい。こんな気持ちでした」
気がつくとループ再生をし、ぐるぐると出口のない感情を牛より多く深く反芻している自分に気付いたが、ふと我に返り安堵する。
…今、5月やんな?
木枯らしが吹き息も白くなるころ恋も終わり、そんな時に聴くこの曲は、シンクロし過ぎてたまったもんじゃないが、今は、2023年5月。晴れて温暖な一日が終わるころ。
一生癒えないと信じ込んでいた恋の傷も、時間とともに癒えることを知り、またふとした瞬間に指のささくれをむいてしまうようにわざと傷を弄ぶこともあると知りながら、私たちは年月を重ねてきた。
今聴く耳馴染みのない曲も、十数年後には瞬間的に記憶を呼び起こすトリガーとなるのだろう。ならばせめて、誰かと分かち合う曲は、できるだけ思いやりに溢れるHappyなものがいい。
そう、例えば「GOLD / B'z」…。
いつだって、胸を張って前に進む勇気をくれる。これを読むあなたにも、歌詞の中に出てくる“あなた”の心当たりがあるかもしれない。
そして今夜のラストソングは…
「愛しい人よ、Good Night… / B'z」