AIの本当の怖さ:やる気の喪失。
「まさかの、、、
AIが一番得意なのは、
人間にしか出来ないとか言われていた事。」
AI技術の進化は、俺たちの生活を便利にし、多くの可能性を切り開いてきた。しかしその光の裏に潜む影については、未だ語り尽くされていない側面があります。特に創造的表現(ミュージシャン、アーティスト、絵描き、等々)の世界で、AIがもたらす影響は、将来の表現者たちにとっては絶望しかないのです。
現時点で著名なミュージシャン、絵描き、小説家などは、すでに築き上げた知名度や実績があり、AIがいかに優れた成果を出そうとも、その地位がすぐに揺らぐことはありません。(今までAI使ってこなかったという実績があるから。)しかし、これからその分野を目指す無名の新人たち(俺は50代だがまだ目指している。)にとって、状況はまるで異なります。
当たり前だが、どれだけ素晴らしい音楽を作曲し、心を揺さぶる絵を描き、胸を打つ小説を書いたとしても、多くの人々からは「どうせAIで作った。」と冷淡に片付けられます。たとえ「これは完全に自分の手で作り上げたものだ」と主張したとしても、それを証明するのは非常に煩雑で、毎回疑念にさらされるストレスは計り知れません。(そもそもオリジナルなんてこの世にないが。)さらに、そうした主張をする事は、「言い訳がましい」「醜い」と言われることでしょう。
このような状況では、新人アーティストが自信を持って創作活動を続けることは非常に困難です。批評や評価がAIか否かの疑念に覆われる中で、表現者たちは徹底的にやる気を失い、創造欲そのものが削がれていくことでしょう。表現欲は人間の本能的な欲求の一つであり、これが失われることは、人間らしさを構成する重要な要素を失うことを意味します。
さらに恐ろしいのは、このような風潮が文化そのものの衰退を招く可能性がある点です。表現活動がAIに依存するようになれば、人間の創造欲や表現欲は「過去の遺物」と化し、未来に新たな文化や価値観を生み出す力が失われていくでしょう。
技術の進歩が、早い時代ほど、その技術で、不幸になる人が増える。
AI革命って、これまでのそれらとは、わけが違うんです。人類最終発明らしいです。そりゃそうだろ。AGIがAGI作る様になれば、そりゃ永遠だわ。
これまでの歴史を振り返れば、写真の登場が画家たちの存在意義を脅かしたように、新技術は常に「置き換えられる人間」と「技術を活用する人間」を生み出してきた。しかしAIの登場は、これまでの技術革新とは一線を画している。なぜなら、AIは単なるツールではなく、創造そのものを代行できるからだ。もはや人間が労力や時間をかけて行ってきたことを、AIは瞬時に、しかも精巧にやってのける。しかも人間の作品なのか、AIなのかは、とっくに見分けはつかない。プロちゃん審査員らが、全然気が付かないわけw
この流れが続けば、私たちは何を失うのだろうか。人間らしさの象徴である「創造する力」を失うことは、自己表現の場が奪われることでもあり、人々がアイデンティティを見つける機会をも奪ってしまう。また、こうした変化の中で、AIと人間が共存するための新たな価値観や制度が整備されない限り、不安定な社会が形成されることは避けられない。特に創作を生業とする人々にとって、創造を続ける意欲や存在意義が見いだせない社会は、絶望以外ない。