
土器川かわ歩きメモ②河川争奪と堤山(つつまやま)の名前の由来
【かわ歩きのコース】
土器川 ▶ 池尻(大束川と綾川の結束部) ▶ 白髪渕(綾川屈曲部) ▶ 滝宮 ▶ 四手池・府中湖 ▶ 大束川
綾川が氾濫するとなぜ大束川に流れるのか
かわ歩きスタート地点の土器川で、長谷川先生からお題が出された。
お題:綾川が氾濫するとなぜ大束川に流れるのか。
綾川と大束川の河川争奪
答:綾川はもともと大束川に向かって流れていたため、氾濫するとかつての川筋を辿って大束川に流れる。
更新世、綾川は堤山の北側を通って西に向かい、土器川に合流していた。岡田台地(約10万年前の土器川の扇状地が段丘になった場所)の北縁の崖は、南東から北西に流れた古綾川によって侵食された段丘崖である。
約1万年前(氷河期の終わり頃。日本では新石器時代がはじまる頃)に河川争奪が起こり、綾川が流路を北に変えたことで、滝宮の渓谷が形成された。
河川争奪の原因として、府中湖付近から成長した谷が綾川流域に達したこと共に、西側の流路を妨げる出来事が起きた可能性がある。その出来事として、大高見峰からの大規模土石流による河道閉塞などが考えられる。
▶ 讃岐ジオパーク推進準備委員会「讃岐ジオガイド 綾川と堤山」
氾濫と地名。池尻、渡池
河川争奪によって綾川は大きく屈曲することとなったため、屈曲部ではたびたび氾濫がおきた。洪水を防ぐ遊水地として、綾川と大束川の結束部に調整池(地名「渡池」)が築かれた。渡池は古綾川の河道を利用し、東西に堤防を築いて築造された。渡池西側には堤防跡と思われる土地の高まり(地名「池尻」)があり、ここを境に旧渡池からの水路は西側の大束川に流下している。池を埋めて水田にしたことで「池尻」は堤防としての機能を終えたが、綾川が氾濫したとき「池尻」は再び堤防として、下流域の浸水被害を防ぐ役割を果たしている。
▶ 「NHK高松放送局 かわ知り「綾川」」(2021年9月21日公開分)
むかしの話
「タカンボさんには昔から大蛇がすんでいるという。それは何年も経たと思われる黒い蛇で、昔、山に入ってこの大蛇を見たという人がいたそうだが、あまりの恐ろしさに帰っても4、5日はものも言えなかったという。何十年も前の大雨のとき、タカンボさんに大きな土砂崩れがあり、そのとき、この大蛇が出てきたという。それは「ヤマスベリ」という大蛇だそうな。」(『綾南町誌 P.1168』
「『栗熊村史』によると、洪水時には、この付近で綾川の堤防が決壊して濁流があふれ、渡池の谷を馬指から富熊の方へ流れたという記録がある。」(『綾川町誌 P.12』
「下台、脇辺りよりさらに西、栗熊(渡池)辺りにかけて一帯は低い土地で、洪水があると西栗熊側が、栗熊と羽床の境に作られている水門を締めてしまった。そうすると栗熊側の方に水が流れないようになってしまう。一里山、脇、下台一帯は増水して大水になってしまう。また逆に日照り続きのときには水門を開け放つ。そうすると水は栗熊側にばかり流れる。脇、下台は水が流れず干ばつの被害になった。したがって羽床側と栗熊側とはよく水のことでけんかが絶えなかった。」(『綾南町誌 P.868』)
堤山(つつまやま)の名前の由来がわかったかもしれない
ところで、綾川と大束川の結束部にある堤山は「つつまやま」と呼ばれている。堤の山と書くが「つつみやま」とは訓まない。ということは、堤山の名前の由来は「堤の山」ではないのかもしれない。それは何か。私と似たような疑問をもった人がほかにもいたらしい。
【質問】綾川町羽床にある堤山(つつまやま)の名前の由来とは何か。
【回答】堤山は香川県の綾川町と丸亀市綾歌町栗熊東の境界に位置する山である。以下の所蔵資料に記載あり。『里山に遊ぶ さぬきの里山88話』 里山悠遊クラブ・自然探訪の会/編 里山悠遊クラブ・自然探訪の会 2003.11 (2011.4.15~2003.3.30の四国新聞に連載したシリーズをまとめ加筆・修正してまとめたもの)P.62 堤山の項に「堤山の名前の由来は実はよくわかっていない」としながらも、「山から北の対岸を結ぶように盛り土の長い堤が残っていることから、地質学者は綾川の氾濫を防ぐ遊水池の名残りではないかとみている。また、綾川はこの山の麓を通り、大束川に流れ込んでいたとの説もあり、流れを変える堤だったともいわれている。どうやら、堤の近くの山だから、堤山と呼ばれるようになったらしい。」としている。…(以下略)
堤山付近には「堤池(つつみいけ)」「返り堤(かえりつま/かえりつつみ)」という地名がある。綾川の下流、いかにも堤の丘という場所には崇徳上皇ゆかりの「鼓岡(つづみがおか)神社」がある。堤を「つつま」と呼ぶ方言はなさそうなのに、堤山は「つつまやま」なのである。不思議だ。
ところが、かわ歩きの忘備録として古い地図に細かくマルやら矢印やらを描き込んでいて気がついた。堤間(つつま)って地名がある…
堤間(つつみま)の山
↳つつみま [mima]やま
↳つつんま [nma] やま
↳つつまやま
「つつみ」が「つつま」にいきなり変わったんじゃなく、「つつみまやま」から母音iが抜けて、残された子音mが消滅したのかも!
つまり「堤間(つつみま)山が訛った」説だ。堤山の質問ページを読み返すと、回答欄の下のほうにちゃんと「地誌の項に羽床の各地域の記述があり「堤間の里」の記載に…」と書いてある。読み落としていただけだった。でも堤山が「つつまやま」である理由を説明したものはなかった気がする。
これと同じパターンの日本語がほかにないか考えたけれど、全く思いつかない。でもまぁいいや。堤山を「つつまやま」と訓む困惑は、私の心の中でなんとなく解決した。
その後、似たパターンを堤山付近の地名から見つけたのでついでにメモ。
[Aグループ:母音が脱落する]
・大高見峰(おおたかんぼう)
・南原(みなんばら)
・並松(なんまつ)※白梅神社付近の地名
・上林(かんばやし)が香川にあるかどうかは未確認
[Bグループ:母音が脱落しない]
・羽床上村(はゆかかみむら)kamimura 「かんむら」にならない
・堂谷(どうだに)dodani 「どうだん」にならない
・四歩市/渋市(しぶいち)shibuichi 「しぶち」にならない
[Cグループ:いま探しているパターンではない]
・南原(なんばら)西原(さいばら)の類型っぽい
・神原(かんばら)もともと「かむ」と発音・表記されていた
【綾南町】…綾川は初め北西流しているが、羽床駅東の白髪淵で鋭角的に東に急転し、さらに滝宮で北流に転じる。本来綾川は北西流路のまま大束川方向に流れていたものが、なんらかの理由で不自然ともいえる屈曲をすることになったらしい。綾川の北側はそのため度々氾濫を繰返したようで、治水のため屈曲点と大束川の結束地に池が築かれたと考えられている。綾川町に渡池(わたりいけ)の地名と池尻堤と称する溜池堤防の遺構が残り、羽床下には返り堤(つつみ)の地名と遺構が現存する。
【綾川】…当川は中流部の滝宮付近で大きく曲折するが、隣接する綾歌町栗熊東の堤山(つつまやま)付近に発する大束川との間に河川争奪があったといわれる。かつては大束川の上流部に綾川の上流部が接続していたと推定され、このことは堤山付近に渡池と呼ばれる溜池が存在したことからも裏付けられる。

【渡池】江戸時代の免名。明治初期から現在までの字名。渡池は寛永10年(1633)の「讃岐国絵図」(金刀比羅宮蔵)に大きな池として描かれている。その後、享保年間頃、干拓されて水田に変った。