人を殺めるということ
人を殺めて無期刑となった人と交流をしている。
自身の教会を通じての文通である。
この人生で自殺した同級生は数人いるが、さすがに人を殺した知り合いはいない。
私たち教会員は前もって犯した罪を知らされない。
「積極的に聞いてはいけない」との牧師さんとの約束のもと、手紙交流希望者は名乗り出て文通を始める。
そして私は2人の文通相手が決まり、やりとりが始まった。
実際に服役している方と交流していると、日本の司法がいかに杜撰であるかよくわかる。
私は法律学科出身で、正義感に満ち満ち溢れた厳罰思想の持主であった。学生の時は授業で裁判傍聴にも行ったし、OBの検察・裁判官・弁護士とも交流した。中でも検察OBの先生は、オウム真理教の麻原元死刑囚と接見したことがあると言っていて「なんかかっこいいな」と凛としたたたずまいに「人を裁く」という並々ならぬ凄みと覚悟を感じたものだ。
「麻原はああいう風に言われているけど、非常にしっかりした男でね」
とその検事が言ったとき、教室がザワッとなった。皆同じことを思ったのだ。
「なわけねーだろ」と。
その私がなぜ文通をしようと思ったかというと、なんのことはない、みんな同じ人間だと気づいたからである。
考えてみよう。
当時見上げる存在だった裁判官や検察官、弁護士という職業。今や私の友人たちがなっているが、彼らは大学時代あれほど一緒にアホやった仲である。本当にアホだった。バブリーな歌を流して「イェイェイェイェェー」とTRFを踊り「会場の皆さん、元気ですかーーー!」とか酔っぱらって叫ぶようなアホやった友人らであった。一気飲みしすぎてでそこら中にピザ状のゲロを吐くハタ迷惑な若者だったのだ。
こう言っては何だが、裁きというのは「そんな奴ら」がするのである。
私の教会の牧師さんはかつて拘置所で死刑囚の教誨を行っていた先生だが、繰り返し語られていたのは
「そのとき、神様は僕にこう語ってくださいました。『あなたは目の前の犯罪人より偉いと思ってはいけません。もし同じ境遇で育ったらもっとひどい犯罪を犯したかもしれません』と」
先生は聖書の勉強を死刑囚と共に、ときに涙しながら行った。
「彼らは法律的には死刑にされていきました。でも、神様の目にはその罪は赦され、今天国にいます・・・」
私も同じである。私だって嘘をついたり、バレなきゃいいとちょっと悪いことをしたり、知らない間に人を傷つけることもある。およそ私が潔白だなんて言えない。その差において50歩100歩。
犯罪というのは1人の被害者を生まないことを第1に考えられるが、そもそも加害者1人がいなければ被害者も生まれない。
うちの子供の保育園は、子供の保育部屋まで5つの鍵を突破しなければ到達できない激しいセキュリティだが、こうして「自分の身を守るのは大切だ」と言われればそうなのだが、社会全体で犯罪者が生まれない環境を作るほうがもっと大切ではないか。
「無期刑」と1人の文通相手の手紙に書かれたとき、大体何をしたかわかった。無期刑とは、死刑を免れた者がかろうじて得られる減刑のようなもの。
『殺めたのだ…』とそこで勘づいたが、それから2通後くらいに自分のことを「人殺し」と書いてあったので、やはりそうだったんだ…とわかっていても胸騒ぎがした。ドキドキした。
次、何を書こうか…頭を抱えた。普通に振る舞うか、聞かなかったことにするか、触れるべきか…。
結局触れずに当たり障りのない返事を書いたが、「なんか違う」と後で思い直す。やはり私は触れたかったのだろう。
その人はすでに老齢であり、事件も30年以上も前の話である。
このような無力な人を一生刑務所に入れておいてどうするのだろう…?と思うことがある。犯罪を犯すほどの元気も強さもないように見える。教会のサポートがあれば生きていけそうだが、それでも日本の司法に無期刑にやすやすと仮釈放などない。よく
「無期懲役は出てこれる」
と言う人が多いが、それは噂話に等しい。無期刑から出所する難しさといったらない。新天皇の即位でさえ恩赦などまずなかったのだから出てこれないよ。
『相応の犯罪を犯した』と言われればそうだ。
でも、そう言う人はその事件の被害者なのだろうか。被害者やその家族、関係者が言うのならわかる。私も、私が殺されたらその人を憎むであろう。
しかし私のように何の関係もない人がさも自分が殺されたように被害者主義に陥るのはどうだろうか。中立の立場にいるのなら、中立であることでしか見られないきちんと中立の立場で物事を両側面から見なければいけない。
そうできないと鉄の鎧でもつけて歩くしかこの日本から殺人などなくならないと思う。
刑務所が発信できる手紙は月5通である。
白便せんに白封筒、ペンは黒か青。家族に送り、友人に送ったら、あと何通分残っているのだ?その貴重な1通を私に割いてくれるとは本当にありがたいことだ。
田代まさしも言っていたが、刑務所はなんでも遅いので、風邪をひいても報告が医者に行き、医者が来て受診をされ、処方箋が薬担当に渡され、ようやく薬が与えられる頃にはもう治っている。
37度以上にならないとどんなにしんどくても薬は与えられない。38度以上になるとようやく刑務作業も休むことができる。
「更生」とはなんだろうか?
今の刑務所にはおよそ犯した罪を反省し、社会で生きていくようにする環境などないと思う。これは法学部で教えてくれないことだ。
服役した方は出所したらまず世界の色の多さに眩暈がするそうだが、それほどの暗闇に閉じ込めておいたら余計社会への憎しみが増すだけではないか。
魂が救われねば、どんな人も救われないのではないか。そこに塀のあるなしは関係ないのではないか。
とまあそんな状況で、私は件の人を殺めた人の名前をググるか非常に迷っていた。もしも自分が想像を絶する殺人であったら、私はその人を赦せるのか。今までと同じ関係を維持できるのか、と。
クリスチャンとしての力量を試されているような気がした。
良かったのか悪かったのかググっても出てこなかった。おそらく、あまりにも昔の事件過ぎてインターネットなど普及する前の出来事だったのだろう。
その方は悔いておられる。卑下している。毎日が「たら」「れば」の繰り返しだとおっしゃっていた。
『せめて死ぬときくらい人間らしく死にたい』
というのは、老齢になり自分の死が見えたときの切なる願いなのであろう。
ここで「人を殺したてめーが言うな」と言うか言わないかが、司法の実態の認知度の高低を見極められるのに等しい。
先日私は人生で初めて下血をした。
5時間ほどのたうち回るような腹痛と下痢が続いた翌朝、ぎょっとするような鮮血が出たのだった。
慌てた私は外出していた夫に電話し、自力ではヘロヘロでとても病院に行けそうになかったので、車で連れて行ってもらうことを頼む。
その間も激痛と便器が真っ赤になるような下血が続く。脱水のせいか貧血なのかもうろうとしてくる。
『あー私、死ぬかもしれない…』
ベッドに横たわり目を閉じる。痛みでヒィー、ヒィーと呼吸をする。
意識レベルがふわ~と下がっていったとき、
(この人生で1番よかったのは、あの人と友達になれたことだなぁ)
と考えていたのだった。あの人とは、人を殺めた人である。
変な言い方だが、私はこの方を、人を殺めたからこそ好きだったのだ。興味本位とかそういう意味ではない。
考えてみよう、人は人を殺さずにはいられない生き物だ。私の人生38年で毎日毎日殺人のニュースは流れてきた。毎日これだけ飽き足らず情報が流れても人が人を殺すということは、人は人を殺す生き物なのだ。まずそのことを認めたほうがいい。対策を練るなら「人はふつう人を殺さない」という理想論を捨てたその次だ。
何十年も首を垂れて暗闇で生きる社会から忘れ去られた人の隣人になれたということは、どんな偉業をすることより誇らしいことのように感じた。
その人は私をとても心配してくれる。
「最近、物騒な事件が多いから、お子さんのこと気を付けてね。大事にしてね」
私の話を遮断することなく誰も言ってくれないような言葉で励ましてくれるのは、夫よりも友人よりも、なぜかいつも人を殺めたこの方なのであった。