怖いのはウィルスより人のパニック
首都圏のコロナウィルス感染拡大が起きている。メディアで買い占め報道がされる。かごいっぱいに食料を入れた人が10人も並んでいる映像が流れる。小池知事の会見よりも前のニュースで、だ。
「早いな…」
と思う。こうした行動は「パニックバイング」と言われるものだが、紙製品に続きついに食べ物までパニックバイングとなったのか…。311のときを思い出す。
私はこうした災害や緊急事態が起きると、いつもメディアが怖い。メディアに被災する。テレビで言っていたように、いつか1つも食べ物が流通しないか、店が閉店するような光景が多くの人の頭に浮かぶのだ。そして私もそうしたことが頭に浮かんでいる人の幻影をたくさん見る。こうした国の受難ときはいつもそれが怖い。恐怖心を持った人が怖い。恐怖心の想念の集合体のようなものに飲み込まれている自分が怖い。
夕方スーパーに行ってみたら、本当に冷凍食品が根こそぎ消えていた。パニックバイングは私の地域でも十分起きているようだ。
メディアはさらに追い討ちをかける。
「首都封鎖が近い、感染者は増える、若い世代でも死ぬ、医療崩壊する…」ああ私たちが作っているストーリーは人間の地獄を映すような光景になるばかり。ウィルスを飛び越えてどこまで自分の首を絞めるだろう…。
もしコロナが見つかっていなかったら私たちはどう行動していた?いつも通り行動していただろう。そして感染しても「風邪っぽいな」と家で寝ていたはずだ。毎年冬になると「今年の風邪は…」と私たちは語り合う。春になれば「季節の変わり目だから…」と語り、夏は「エアコンの寒暖差が…」と言ってまた風邪を引いて寝ている。
スーパーの帰り道、公園から笑い声が聞こえた。子供たちがサッカーをしていた。こんなとき賢いのはいつも子供。
彼らは今だけを見る。
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