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罪びと

私には、自分に罪なんてないと思っていた。
「You are already guilty(あなたは生まれながらに罪を犯してるんだよ)」
20代のころアメリカ人の友人にそう言われたけど
「はぁ??」
と思っていた。

キリスト教は罪罪罪罪・・・の世界だ。
「罪があるから神が救ってくれた」
そう考える世界。去年洗礼まで受けたくせに、私は自分にだけは何の罪があるのかわからなかったし、洗礼式で読む証(スピーチ)も罪に関してはほぼ言及しなかった。
私にはひどい罪など見当たらないと思っていたからだ。

昨日私は自分の「罪」を人生で最も深く自覚した。
三浦綾子さんがあれほど「人には原罪がある」と聖書の言葉を小説に託した意味がようやくわかる。

私の罪とは、「父を人間扱いしなかった罪」だろう。
私は父の人権なんてないと思っていた。子供のころから、ずっとずっと15年くらい。
この世には「いじめても良い人」がいて、「父は悪い人だから、どんな仕打ちをしてもいいのだ」と思っていた。

父はどんなに深く傷ついていただろう。
どんなに孤独だっただろう。

私は母と姉と結託していた。
「母の敵は自分の敵」
と思って、母が言う父の悪口にはいつも乗っかった。田舎で商店を営んでいた両親は、配達に出かけることも多かったが、父が車で出かけるたび
「交通事故に遭って死ねばいい」
という母と一緒に、私は父の死を願っていた。

無視もしたし、「ご飯に鼻くそ入れろ」と母に言われれば本当に入れた。
そんなことをしていい理由が一体どこにあるのか。

「今日は何も言わずに車で出かけていった。そうしないと、何言われるかわからないから。猫がいじめられるから、猫がいる部屋には鍵をかけて行った」
母はアイドルのコンサートに行くとき、朝から車を奪って目的も父に言わず、出かけていっていた。
「そうだよね」
と私は深く同意して、母がどこへ行ったともしれぬ父を想った。配達に車がない、いつ帰ってくるかもわからない…それでも父にはその仕打ちを受ける権利があると思っていたのだ。
「あいつは反社会人格だから、何するかわからない。私は殺されるかもしれないわ」
と言う母に「そうだそうだ!」と思っていた。

女3人で、一生懸命父をいじめていたあの頃。
そこにどんな理由、どんな大義名分があったというのか。
父は反社会人格などではなかった。警察沙汰にでもなったことが1度でもあったか?
どうして私はそこまで父を嫌って、母と姉とグルになって差別を続けたのか?
なぜ自分の頭で判断しなかったのか?

「あいつは大学を中退したからダメな奴だ」
「村八分にされてる、いい気味だ」
「おじいちゃんと喧嘩して、高校の時教科書全部焼いたらしいわよ」
「子供の時、おばあちゃんに椅子に縛り付けられるようなしつけをされたからああなってしまったんだわ」
「一生の誤算は結婚」
「世の中にあんな人がいると思わなかった、私の友達はいつも道を歩いても外側を歩いてくれる人ばっかりだった」
「コンピューターが使えない、レジ壊したのよ。アホね」
「あんなカクカクした字を書くのは、性格がとんがっていることをよく表してるわ」
「きっと殺される、だから鍵をかけて暮らす」
「私が『はいはい』って言ってた時はよかったのよ。そうじゃなくなってから、あんなに性格がひねくれたのよ」

・・・
これらは母が言っていた父の悪口の一部だが、私はこれらすべてを信じた自分を今明確に恥じる。

私ははっきりと罪を自覚している。
父をいじめた罪。

12年後結婚の挨拶で実家に帰り、父と再会したとき、父は私を怯えた目で見ていた。いや、チラチラとした目線を感じただけで私のほうをあまり見ようとしなかった。
父は夫にばかり話しかけ、私に話しかけることを避けていた。
(ごめんなさい)
これが私のしてきた罪の結果なのだ。
父は今宅配便で仕分けのアルバイトをしているそうだった。
「今何時ですか?」
と夫に聞く父は、「もう仕事やから」と去っていった。

父がいなくなると「よしきた!」と言わんばかりに、母が料理を運んできた。わざと父に会わないように、姉と姉の旦那も遅れてやってきた。
母はいまだに父を憎んでいるのだ。
母が父に言っていた悪口は、全部母自身のことではないだろうか?
「ダメな奴」「人格障害」「自分中心に世界が回っている」
母は「もう1人の私」を父に見つけていたのだろう。それは母の課題であって、他の家族3人が巻き添えになる意味もないことなのに。

「お父さん、大好きです。長生きしてね」
宅配便の会社で父に手紙を渡した。
父に手紙を渡すなんて何十年ぶりか、いや、初めてか・・・。
「大好き」と言うことには勇気があったし、本当に大好きか実はまだそのとき自信はなかった。でも父が私を怖がっていることのショックは計り知れなかった。
この15年以上もの確執を取り消すにはそれくらい強い言葉じゃないとだめだと思った。

それで父と私は完全に和解でき、電話やお中元・お歳暮などの交流が始まったが、そんな折母は失踪した。
母の失踪先は、東京の姉の家であった。
母の実家族にも言わず、完璧なまでの夜逃げだったそうだ。母は地元の友人らと何度も海外旅行に行くほど仲が良かったと思うが、それもすべて捨ててしまえるほどの仲だったのだろうか…。


母が失踪して、携帯電話を持たない父と私は逆に連絡が取りやすくなった。
実家は新幹線か飛行機でないといけない距離なので、結婚挨拶以来会ったのは去年だ。
これが父が初めて孫を見た瞬間。
娘は会う人会う人100%私に似ていると言われるのだが、父だけは
「似てないよ」
と行った。壁にはまだ、私が小学校の時の写真が飾られている。
孫を見せられたことで、私はようやく初めての親孝行にたどり着いた気がした。

母もいなくなった2階建ての一軒家はガランとしていて、ほとんど家財はない。
目立つものはただ1つ、祖母の遺影と仏壇。
祖母はおととし亡くなったが、長男の父の心の支えであったことは子供の時から知っている。
『父は誰もいないこの家で1人、毎日何を考えているのだろう』
独居老人とは父のような人を指すのだろう。
父が突然死んだら、誰が発見するのか。
父はお正月、何をして過ごすのか。
家族を作れなかった父は、今、幸せなのか…。


イエス・キリストは2000年前に生まれた。
世の罪を取り除くために生まれた。
昨日、ワンワン泣いた。

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