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フィリピンと日本の自殺者の特徴の差

契約社員の友達がコロナ禍で契約切りとなり、無職となってしまった、ということを英会話をオンラインで習っているフィリピン在住の先生に言ってみた。
「しおりはその友達に、お金をあげたの?」
と言われて驚く。
「フィリピンだったらそういう困った友達に会うと、すぐにお金をあげるよ」
と。私は、
「何もしてないよ。日本では現金をあげることは失礼になるの」
と結局何もしてあげられていないことを自分で自分に確認するように話して、何か心にひゅるりとすきま風が吹いた。

フィリピンとは言うまでもなくキリスト教国だ。
日替わりで違う先生と話している感じ、8割がカトリック、2割がプロテスタントという印象を受ける。
キリスト教の基盤がある国が強いと思うのは、フィリピンは日本より強い統制力で1年近くほぼロックダウン状態がを続いているなか、そして教会に行くこともできないなか、同じ家に住む家族で集まったり、近所に住む家族と会ったりしてバイブルスタディ(家庭礼拝)を続けていることだ。
ある先生のお宅では、週1回ファシリテーターを家族からひとり選び、その人を中心に聖書箇所を読み、聖書理解を深め、霊的なエネルギーを補充し、癒しと健康の祈りをしているという。
何事も自力でやらんか!という霊的基盤の希薄な日本は、今どのようにして魂の水をちゃぷちゃぷと潤せばよいのだろう?
できるだけメディアを見ないとか、これまでと変わらない生活をできるだけ送るとか、とりあえず好きなことやってみるとか、一過性の連続で乗り切っている人が多い気がする。

だがフィリピンでも自殺の増加は社会問題になっているそうだ。しかしその性質は日本とは違う。
日本では成人女性の自殺が増加した。フィリピンはティーンエイジャーの自殺が増加しているそうだ。何もかもがオンライン化する昨今、山岳地帯や小さな島に居住するティーンは通信環境の不整備や金銭問題で学校の課題がこなせず、教育を受けられないことから将来を悲観して自ら命を絶つ若者が多いらしい。授業はオンラインで、週に1回課題を提出する、ということがスタンダードになりつつあるフィリピン中部でも、そうした子供たちは課題を出せる環境にない。ゆえに、死を選んでしまうらしい。

フィリピンは長子が親を金銭的にサポートする伝統がまだ踏襲されている。男でも女でも第一子には大きなプレッシャーがあるそうだ。そうしたことも、ティーンの自殺に拍車をかけているのだろうと話を聞きながら思った。

コロナで亡くなる者、自殺で亡くなる者、日本で圧倒的に多いのは後者である。希望や光という言葉をほとんど聞かなかった2020年もあと1ヶ月。もしオリンピックがあったら、日本は希望や光という言葉に浮かれ踊った一年になっていたことだろう。
ところがそれもまた、一過性なのだ。何か日本も苦難を乗り切るために力を与えてくれる、大きな基盤が必要であるように思う。苦難のない人生はないし苦難のない地球はない。人智を越えた知恵に因り頼まなければいけない。身を委ねるように、引っぱられていくように、あとはその叡知にフォローすればいいだけ。
神の視点では2020年という区切りはない。永遠のなかに今という時が最良の形で進行しているだけ。大いなる視点から自分を俯瞰してみることは、恵みだ。

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