ヨハネの黙示録を読まなきゃわからないよ!聖書のラスト「神の裁きと愛」
キリストの救いとはなんであろう。
受洗して2年が経とうとしている。求道から数えたら15年も経つのに、私は「キリストの救い」がいまいち理解できていなかった。それはあの膨大な聖書の世界観を知らなかったことも大きい。
聖書は66巻に分かれている。このうち65巻までは過去のものだ。すでに終わったもの。成就されている。この65巻までの最初から最後までが編纂されるまで2000~3000年もの時を隔てている。この数千年のときの間に、預言されていたことが鳥肌が立つほど忠実に成就されいった。それが神の言葉というものだ。
66巻は「ヨハネの黙示録」。
聖書のうち、ここだけが今現在、まだ実現されていない。未来の話だ。
私はどうもこのヨハネの黙示録を読むのが苦手だった。恥ずかしながら読んだことがなかった。最初から燭台やらなんやらのことが書いてあるのだけど、意味が分からない。
ところが一昨日急に読めるようになった。どうしてだろう。
ヨハネの黙示録に書いてあることはすなわち、この世の終わりである。最後の審判。この世が始まったように、この世は終わる。
私たちが正式な裁きにあうのはこのときだ。最後の審判にかけられたとき、イエスを心に受け入れたものは永遠の天国に行くことができ、受け入れていない者は永遠の滅びとなる。つまり永遠に焼き滅ぼされる地獄に行く。
げっ。こわっ。
救いというものは、イエスが我らの弁護士のように罪を代わりに覆ってくれることにある。私が証言台に立った時、
「ちょっと待ってください!」
と横から走り出て、有罪判決を「私がすべて負います」と言ってくださるのがこのお方である。
それがキリストを信じる極意。イエスが2000年前十字架にかかったとき、このイエスの弁護が正式に決められた。私のような一般ピーポーも、この弁護士を信じることで無条件にぴゅんと天国へ行ってしまうのだ。
ヨハネの黙示録を読んだとき、あ、やっぱこの世って終わるんだなと深く心に響いた。聖書を読んでピリピリした、なんだか不穏な気持ちになったのは初めてである。毎日英会話レッスンで話しているフィリピン在住の先生など(フィリピンはカトリック教国である)、コロナという疫病が始まって以来「世の終わりが怖い」とよく言っていた(聖書には世界の終わりの兆候に、疫病を挙げている)。私はそんな先生たちを鼻で笑っていたと思う。
もしこの世の終わりが来たとしても、クリスチャンなんだからいいじゃない、何を恐れることがあるのって。
この世が終わった後は、イエスが再臨し新しい王国が建て上げられる。それは誰も想像しえぬ世界で、裁きがあってもなくても未知というだけで怖いではないか。
信仰というのは地上の生涯の一発勝負だ。魂を有する人間には自由意志が与えられ、イエスを心に受け入れるかどうかを問われる。あの木の実を食ったアダムとエバのせいでな!と言ってもいいのかわからないが、とにかくエデンを追放され、罪ある性質の世界に放り込まれた。
それでも自ら神のほうを向けば神の祝宴に入ることができ、向かなければ地獄で永遠に火で焼かれる。罪から救われるというのはイエスを心に受け入れるというこのシンプルな作業に過ぎない。
これまで同じ教会の人で熱心に伝道活動している人を見ていても、私はどっかで冷めていた。何でそこまで真剣になるのだろう、押し付けがましくないか、ツボを売りつけるやつと何が違うのか、神の戦士という名の自己満じゃねーのか?と冷めた目で見ていた。
うちの夫はクリスチャンではないが、そういった方々は夫がクリスチャンになることをよく祈ってくれる。
「別にいいよ、本人にやる気がないんですし。そんなもの個人の気持ちの問題でしょう」
程度に鼻くそをほじっていた私だが、これは失礼極まりない態度であったおとを、ヨハネの黙示録が教えてくれた。ヨハネの黙示録は短いが、そのように罪深き私を凌駕したのだ。本当に世界は終わり、裁きが起こる。そのことを体験としてようやく獲得した。
キリストの愛がわかる、ということは、世の終わりを認めなければいけない。今まで私はキリストの愛などわかっていなかったのかもしれない。イエスの十字架と自分と、いったいぜんたい何の関係があるんっすか?とわかった気分でいながら本質的なことはわかっていなかったのだろう。それは私が100%裁きにあうということがわかっていなかったから、あの十字架の意味が分からなかったのだ。100%裁きにあうことを信じたら、こんなわしがマジでタダで天国で行けることの壮大さと尊さに感動せずにはいられないではないか。
使徒パウロは自分を「罪びとの頭(かしら)です」と言った。
然り。
私も密かに罪びとの頭だと思っている。私ほど罪深き人生を歩んだ者もそういまい。そんな私の前に天国の門が開かれた。あっぱれではないか。
あなたも、あなたも、そう、入ってほしいのです。この、天国の門に。
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