ダヴィンチコードと天使と悪魔
モナリザのポストカードを買い、仕事用デスク周辺の壁にあえてちらっと視界に入るところに貼る。
「モナリザはすごい、モナリザは天才レオナルドダヴィンチが描いた!」
そんな先入観を持っている限り、この絵の良さは伝わってこないだろうな。
ヴェールをかぶったやさしい笑みをたたえる女性は、私のほうをただ静観している。
すべてがくすんだ茶色の中で、背景キャニオンや川、岩場はモナリザと対比的になんとなく尖った、不安なイメージだ。
母性というものは「静観」であり「地獄の世にある唯一の寛容」のようにも見えるモナリザのたたずまい。
さて、仕事でダヴィンチコード、天使と悪魔、インフェルノの映画レビューを描くことになった。
ダヴィンチコードは10年以上前の作品で1度見ている。天使と悪魔は昨日バイオレンスとサイコとグロに耐えながら昨日観た。
残すは、ダンテ神曲地獄篇から謎をとく2017年公開インフェルノ。
ダヴィンチコードを書くのは難しい。私はプロテスタントクリスチャンだからそこそこ話も分かるであろうと勝手にタカをくくってみたが、この3部作はいずれもカトリックがベースである。
「カトリックとプロテスタントの違いって何?」
というのはクリスチャンをやっていれば誰でも1度は受ける質問であろう。
「えーと、神父がカトリックで、牧師がプロテスタントで、結婚できるのは牧師だけだよ」
などの初級の答えでは到底理解が難しいのが本3部作なのだ。
はっきり言って、プロテスタントにもダヴィンチコード他2作を理解するのは難しい。
私もこれほどまでにカトリックとプロテスタントの違いを考えたことはなかったし、キリスト降誕以来のローマ帝国や迫害の歴史などの解釈もここまで違うものとは知らなかった。
もちろん私の教会の牧師さんはプロである。
洗礼を受ける前に聖書勉強会を10回ほど受講して、まず聖書理解を深めたが、ちょいちょいカトリックにネガティブな発言も出てくる。
否定はしないけど「信ずるものは救われる」のプロテスタントに対して、「カトリックは行いも大事になってくる」とか、そういった解説だ。
とはいえ対立を好まざる牧師であるから、それも知識として教えてくれるだけで、カトリックに対しそれ以上もそれ以下の評価もない。
私は12年間ゴスペルを歌っている。教会とは関係ない、プライベートなグループだ。
10年前、結成2年で私たちに初めて発表の場が与えられた。
メンバーはほぼノンクリスチャンであったが、1人、カトリックの女性がいた。(ちなみに当時私はまだノンクリスチャンだった)
発表当日の朝、歌わせていただく小さな教会に着いてからなぜか泣いていた。
何か嫌なことがあったんだろうか・・・?心配になったが話してくれない。
そこへ教会の信徒さんの長老が近づいて、彼女としばし話していた。
ようやく彼女は泣き止んだ。
彼女が泣いていた理由は
「カトリックの自分が、プロテスタントの舞台に立っていいのか?直前まで出るのを止めようかと思っていた。カトリックとプロテスタントは、ベースは同じだけど、全然違う。」
その悩みを教会の長老(65歳くらい)に打ち明けたところ
「そんなこと関係ない。今日は思い切り歌ってください」
と言って、まだひとしきり泣いて、涙が止まってステージに立てたのだそうだ。
ちなみにその長老は、「私たちメンバーに1人だけクリスチャンがいる」という情報しかなかったにも関わらず、
「あなたがクリスチャンですか?」
と見抜いて長老自ら彼女に話しかけたそうだ。
宗教ボンクラな当時の私がその話を聞いても「フーン」程度にしか思わなかったが、実際にプロテスタント教派で受洗して正式に信徒となった今、もし
「カトリック教会で歌を歌ってください」
と言われたら確かに躊躇する。「私…プロテスタントなんですけど、いいんでしょうか?」と悶々とするだろう。
明確に対立するということは私の周囲で明言する人はいないにせよ、なぜかそのようにもやもや感を掻き立てられるのは、いつどこで身に着けたことなんだろうか。
やっぱり、お互いがお互いの悪口をぽろっと言う場面を10年の間にちょっとずつちょっとずつ見てきた蓄積なんだろうな。
ただ、私の叔母は地元で唯一のクリスチャンでありしかもカトリックであった。彼女と対立するかって、それはない。これぞ信仰の神髄だ。
ダヴィンチコードは私がプロテスタントゆえに難しい。
カトリックは「あっち側」だ。バチカンもローマも修道会も十字軍もすべてカトリック。それにカトリックの都市伝説が加わったエンターテインメントなので、記事にするのにあまりに私の知識は乏しい。
両者の和解を求めているのではない。
ただ映画の話を99%以上がノンクリスチャンの日本人にどう伝えるか?に最も悶々としているだけなのだ。
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