思い出す教師の言葉と、格差というやつと
「坂本さんな、福岡と大阪じゃ情報のスピードが10倍ちゃう。ほんで、大阪と東京じゃまた情報のスピードが10倍ちゃう。」
埼玉出身でありながら、どういった経緯か、福岡にいる。にも関わらず、これまたどういった経緯か、関西弁で話す不思議な化学の先生の言葉を、これまでの人生、幾度となく思い出している。
私から言えることはそれだけや。最終的には坂本さんが自分で決めたらええ。そう続けてくれたことも、もう10年前の記憶のはずなのにしっかり覚えているのは、合格した大学のうち最終的に東京と大阪とのどちらに行くか、10名の教員に相談したなかで「ネームバリューがあって、就活に強い(東京の)大学に行くべきだ」と進言してくれた8名に対すれば、埋もれない言葉だったからかもしれない。(ちなみにもう1名はただただ受験に対するねぎらいの言葉をかけてくれた。)
結局、東京の私立大学には行かず、関西の公立大学への進学を決めたのは、「ネームバリューじゃなくてちゃんと目の前の人間を見ろ!」などという若気の至りでもあったし、「逆張り」という意味のわからない天の邪鬼でもあったし、「東京で一人暮らしで、それで私立大学ってね、卒業するまでに◯千万円かかるんよ!そんだけかける価値があんたにあるんか!」と半分罵倒のような電話を姉からもらったからでもあったし、どうにかチケットを手に入れたホークスの開幕戦と、東京の大学の入学者オリエンテーションが被っていて、野球観戦を優先したからでもある。
姉の言葉も教員の言葉も、私や周りの人の未来がより安泰で健やかに過ごせるようにと願っての、精いっぱいの言葉だったと、今になって思えていることは付け加えておきたい。
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さて、冒頭の言葉を思い出す機会は、大学在学中から、いままで度々あったわけであるが、ほんの些細なことが始まりだった。
東京でパンケーキが流行って数ヶ月後、大阪にもパンケーキ屋ができた。
月日が経って、フレンチトーストが大阪で流行っているころ、地元福岡に帰ればパンケーキ屋ができ始め、大阪でポップコーンが流行り、廃り始めるころには、福岡では、フレンチトーストのお店に長蛇の列ができていた。
「情報のスピードが違う」という言葉に「おお!じゃあ10倍ネット検索して、情報を掴むようにしたらいいんだきっと!なんて名案なんだ!」と本気で思っていた高校生のときの自分の浅はかさを強く感じた。
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「講義以外の時間で、長期のインターンシップや学生団体、いろんな活動を行うことで、やりたいことや得意なこと、どんな環境で働きたいかのヒントが見える」
そんな考え方が身の回りでは当たり前で、何より私にとっては面白いことも多く、大学在学時は、学生団体での活動にのめり込んでいた。
一方、地元に帰れば、変わった子扱いで「なんかいろいろやってるよね!あれなに?」と聞いてくれる同級生の質問に「学生団体でこんなことしてて!」と答えれば「へえ。学生団体?なにそれ?あ、昨日パルコ行ったんだ〜。」と話題が転換していった。
東京に行けば、もう学生団体の活動は落ち着きを見せていて「学生起業」というものが流行り始めている、と友人は話し、私が大学を卒業する頃には関西でも学生起業がちらほらと選択肢に上がっていたように思う。
就職活動が終盤に近づいた時期に、福岡で高校のクラスの同窓会に出席すれば「これから就職活動、どんなとこ受ける?もうスーツとか買った?」という話題で持ち越しだった。
ああ、こういうことか。と、言葉の意味を噛みしめるような場面に、九州を飛び出したことで自ずと気づくようになってしまった。
もちろん、どちらが良くて、どちらが悪い、というわけではないと思っている。私が九州で過ごし続けていれば、きっと学生団体なんて言葉は知らずにいただろうし、東京で過ごしていれば、間違えて起業でもしていたかもしれない。
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どちらが良い、悪いではないから。
そう思っていたし、いまもそう思っているから、これが「地方格差」であり「教育格差」と呼ぶこともできるということを知ったのは、社会人になって数年経ってのことだった。
先に上げた話は、格差とは少し形が違うかもしれない。東京から何かが始まって、時間を経て都市圏から順にムーブメントや文化として何かが広まっていく。それは極めて自然なことだ。
一方で、「地方にいるから」という理由で、自分のやりたいこと・合うもの・どんな生活をしていきたいかということに気づくチャンスに出会う機会が極めて少ないこと、それによって、幸せに生きるということが難しくなること、あるいはキャリア(ここでは経歴ではなく、生き方やあり方を指している)の実現を外部要因によって大きく阻まれるというのは、自然であり仕方のないこととは、なかなか思うことができない。
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新卒で東京の企業に就職し数年が経った。紆余曲折あって、熊本の山と川しかないような地域の高校の敷地内に塾をつくるという仕事に転職することになった。転職を決めたときには、現地で過ごす人々のあり方、目の前の高校生の想いを尊重しつつ、大阪や東京で過ごしたことで得られた経験や、ひととの繋がりを還元して、一緒に目標や大切にしたいことを見つけられたら、そう思っていた。
それらが現実を知らない人間が描いた理想だと気づけたのは、
「こんな町でやりたいことが見つかるわけないじゃないすか。」
「僕が普通の家庭に生まれて育っていたら、お金のことを心配せずに、大学に行きたいって言えたんですかね?」
と、高校生たちがわたしに話してくれたからであると思う。
「こんな町で〜」と話してくれた学生は、責任感が強く、いつも真っ当で、心を配って、気を遣えるところがあったので、先輩にも、同級生にも、後輩にも慕われていた。どんな問いを投げてみても、まずは自分の頭で考えて、意見を述べようとする姿勢に、いつも自分の気が引き締まった。
どんな文脈で話していたかは忘れていたが、いつものようにわやわやとこれからの話をしていたときに出てきたように思う。
その言葉をもらったとき、たしかに、と頷く以外になかった。
極端な例かもしれないが、もし生まれてから音楽を聞いたことがなく、楽器の名前も知らずに生きている人がピアニストになりたいと思うことはないはずである。
関わっている学生たちに、知っている職業を思いつくだけたくさん教えてほしい、と伝えたときに出てきたのは
先生、公務員、郵便局員、電気工事士、解体工といった並びだった。
身近にいる大人の職業が連なるという点は、地球のどこに暮らしていようがきっと変わらないと思うが、ともすれば出会えるひとの数、機会の数で選択肢の数が変わってしまうということである。
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やりたいことが見つかるわけがないと言ってくれた学生は、公務員への就職を強く希望していた。それは家庭の経済事情を鑑みて、早く就職した方が親のためになるという想いだった。
大学に行くには大変なお金がかかる。いくらアルバイトをしても親に負担をかけることになる。
それはたしかにそのとおりであるが、門戸は狭くとも給付型奨学金もこの世にあること、家庭の経済事情によっては学費自体が多少抑えられる可能性もあることを告げ、一緒に調べ物をした。
わたしが大学に行って良かったと思った点、行かなくてもよかったかもしれないと思った点、私以外に大学進学をしていたひとの話、大学には関係なくいろんな職業人の話を聴く機会を何度か設けた。大学に行くことで社会的にどんなチャンスを手に入れられそうで、逃していきそうか、一緒に考えた。
進学しようがしまいが、精神的にも身体的にも健康に生きてくれるのであればなんでもよいが、ほんの少しでも実現したいと思ったことがあるのであれば、いくらでもその方法は探す。そう伝えた。
半年ほどたって「大学に行って、勉強やいろんな経験をしたいです。就きたい職業も探してみたい。何から始めたらいいかな?」と告げてくれた。それがその学生にとってよかったことなのかはわからないが、明確に意志を込めて話してくれたように記憶している。
その学生の周りで大学に進学した身近な人物は学校の先生と私や塾の教員以外におらず、受験には前期と後期、推薦やAO入試など様々な方式があることを伝えることから始めた。
この世の受験生がどんな熱量で、どんな方法で、どれくらいの時間勉強しているかも見えないなかで、努力することは容易でなかったと思う。ほんのちょっとだけ甘い自己採点の「今日はもう十分がんばったから終わり!」に学校の先生も私もヒヤヒヤしながら、 とにかく発破をかけていた。
ある日学生に「なんか…昨日から…急に…鬼じゃん…」と言われたことは、この先も忘れることがないだろうと思う。
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私の関わりが正解だったかはわからないし、いまでもときに思い返して悩むこともある。
選択肢が多ければ幸せだ、というわけではないこと、知らないままのほうがずっと幸せなこともあること、は、きっと共感してもらえるひともいるのではと思う。
世の中全てが平等に、公平になるとは思わないけれども、
地方在住だから受けたい試験を受けることができない
経済的に厳しいから進学を諦めなければならない
地方在住だから自分のやりたいことを応援してもらえない
機会の格差によってそんな状況に置かれているひとがいることに、私が耐えられないのは、経済合理性でも、平等性を謳う人間だからでもなく、ただ、「こんな町でやりたいことが見つかるわけないじゃないすか。」と言った彼の、かすかに諦めを仄めかすような声色が、表情が、どうにも記憶から離れないからだろうと思う。
■対処療法かもしれないけれど、イベントを行います
地方格差を乗り越えて自分自身の未来を開拓していった松本杏奈さんをゲストに、私が現在所属しているBRIDGE KUMAMOTOが主催となって、トークイベントを実施する運びになりました。
もう残り日数の少ないところでのお知らせですが、未来を見つけ実現していくためのヒントに、あるいは周りの学生が未来を見つけるための関わり方のヒントになるような時間にしたいと思っているので、ぜひ来てほしいです。
売上の一部は、教育格差に取り組む団体への寄付となります。よければ寄付つきチケットで参加いただけるととても嬉しいです。
まあ、これを読んでいるあなたが、精神的にも身体的にも健康に生きてくれるのであればなんでもよいのですが。