ぼくの世界には来ないんだね/日記

世界がある。この世界と、ぼくだけの世界。
人は、現実の生きている未知だらけのこの世界と、自分の心の中にある世界の2つを持ち合わせているのではないだろうか。

天使と悪魔が、ぼくの心の中に語りかけてくるというのも、自分の心の中だけにある、世界での現象だ。
そんなぼくの心の中の世界は「せかい」と名付けている世界が存在する。
この世界は、現実と同じように、地球や宇宙や、国や町の形をしている。
家→町→国→地球→宇宙の順番で、世界が作られている。

最も大切な人や物などの存在は、ぼくの家にいる。空想で合鍵を渡していて、いつでも開けることしめることができる。だいたい空いている。
そして、その家が建てられている町には、大切な存在だけど家族と名づけるにはどうも烏滸がましいというような存在がいる。友人と遊びに行くような感覚だ。
その町がある国には、その次に大切なものがある。例えば、今少し気になっている物や存在がいる。大体のものがどうでも良かったりする。
その国がある地球には、だいたいどうでもいい存在がいる。一度話した、ちょっと記憶にある人や、クラスの端っこにいるようなクラスメイトなど。
そして、その地球という惑星がある宇宙には、今までの記憶が全てある。
このように、ヒエラルキーじゃないけれど、現時点では世界が存在する。町以外は大体がどうでもいいものである。

世界は実は適当なもので、昨年度、適当に「世界」という言葉を使って自分の心の中を表現してみたら、それが一番の有力候補になってしまったのだ。
ぼくの家にいる人は、人生の指標であるピカソと、スティーブ・ジョブズと、ゲルハルト・リヒターを含めて、7.5人ぐらいだろう。前はしっかりと10人ほどいたが、どんどんいなくなったり、半分だけになったりと変動して、今は7.5人である。
この世界の悪いところは、良くも悪くも影響されやすいということだ。大好きな展覧会を見て感動してしまえば、関わりがなくとも巨匠である芸術家が家にいたり、友人に恋人ができれば、意図せず家に来客が来てしまう。
喧嘩をしていても、一時不仲になっても家にいる人は世界の重要核なので離れたり消したりすることができない。
そして、自分が「話したい」と思う相手でなければ、家に入れてあげることができないのだ。

ぼくには、ぼくをものすごく好いてくれている人がいる。家に呼びたいほど嬉しいことだけれど、どこか入れたくない思いがあるのか、なかなか入れてあげられないし、その人も入ってくれない。
多分そこまで思いが強くないからだ。
今まで、恋人という存在ができたことが何度か合ったが、今思えば愛していると言えるほどの恋人であっても家に入ったことはないような気がする。なんなら町すらも怪しいほどだ。
存在を強く意識してしまって、人間を見れなかったのだと思う。
ぼくが好きになった人であっても、熱い思いがあっても、やはり町止まりだ。そこには何があるんだろうか、と思って考えている。

家に呼びたい人が、これから増えるだろうか。増えなくとも、減って1人になったとしてもそれこそ本望というか、素敵だなあと思う。
核にしたいものは愛情なのか友情なのか、占領心理のような気持ちの悪い存在なのか。席あという簡単な指標がるからこそ楽しみであり、恐ろしくもある。
ぼくが誰かの家のような村座になれる日が来ればいいと思う。
今日この頃。

最近はイライラしていて、なかなk思考したり対話をする時間が取れていない。髪を抜いてしまうとか、足が痛むとか、胸が痛いとか、体に影響が出ているので、今週末ぐらいはぼくの日常にも春が来ればいいと願うことにする。
よし、もう一息頑張って、おやすみなさい。

おわり。

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