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書くことについて/日記

 「本日は、書くことについてお話ししていこうと思います。」
ぼくの大好きなラジオ番組をしているDJの野村訓市さんがいつかの放送で語っていたものだ。DJであり、文筆家であり、一人旅を生きがいとし、交友関係のとても広い、音楽のセンスが最高なおっちゃんである。
 野村訓市さんはこの放送回で「文章は、書いたら書いた分だけ上達するので、皆さんも書くことを続けてみてください(個人の解釈)」と語っていたので、1年で最も短い月である2月に、1か月間だけnote日記を始めてみようと思う。日記というか雑文というか。
ひと月で客観視した文章がかけることを願って1日目を書いていく。

雑誌・POPEYE的には、今日は「ニオイの日」らしい。

 雑誌・POPEYE的には、2月1日はニオイの日らしい。由来は2月=「に」、01日=「おい」からきているのだとか。ニオイの日だからといって、ニオイを嗅ぐとか、新しいニオイの概念を作るとかはしないけど、ちょっとだけ昔の夢語りでもしておこうか。

 ある日道ですれ違った人に、香水の香りが綺麗な人がいた。ニオイを綺麗と表すのはどうなのかと言われてしまいそうだが、本当にニオイの綺麗な人がいた。思い出は、近場の風景として写真には記録されているが、ニオイというものは一瞬で思い出す術がない。
 ぼくのいう写真とは、空気は記録してくれるものだけど、ニオイまでは再現できない。愛がないのか、記憶力がないのか、五感に弱いのか。そんなニオイを集めるお店を開きたいと思っていた。

 ニオイを記録できたなら、どんなにいいことだろう。あの頃のニオイのかぎたさで写真に収めることもなくなり、見えないけれど心にはものすごく鮮明に記録されるので、唯一無二の体験・経験として残すことができる。
 いつかに出会ったニオイの綺麗な人も記録されるし、家族といった唯一の旅行だって、我が子が生まれてきた時の神聖な(新鮮な)ニオイも全部全部。

 かつて、ニオイで泣いたことがあるだろうか。ぼくは未だない。五感のうち、他の4つの視・聴・味・触感では泣けるかもしれないが、五感の中でも突起して見えないものである嗅覚だけでは形容詞的な感情と繋がることはそう頻繁にあるものではない。だからこそ、見てみたいし、ニオイを集める場所(売り買いのできるお店)が欲しかったのだと思う。今でもたまに、ごくたまに思うことがある。

 見えないもの(ニオイを含む)は、よくいえば最も記憶に残る。しかし、悪くいえば見えないからこそ、記録として残せないからこそ「あの頃は良かったなあ」となりやすいものでもある。
 そうはなりたくない。なんて思ったとしても、思う瞬間は一瞬ぐらいはあるだろう。今この一瞬を大切に、ニオイを思い出せるような人でありたいとつくづく思う。そんな日はいつになった来るのでしょうか。

 日記らしいことを一文字も書いていない。ちなみに今日は映画「ボクたちはみんな大人になれなかった」を視聴して今を生きる大切さに気付かされ、なれない手つきでドリップコーヒーをドリップした一日だった。
 明日は日記になるだろうか。自分の文章の硬さに気付かされる今日。

おわり

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