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正気では生きてなどいられないから、ビールで日々の毒を一緒に飲み干してる



ハロー!志織です。


きたきた、ようやく木曜日の夜。


典型的なサラリーウーマン勤務のわたしは、21時に最寄りの駅に着いて、21時半ごろにお風呂、22時ごろにダラダラと食事をとって、そして23時すぎからが、唯一の自分だけの時間です。



そんな時間があるだけ贅沢、と言われるかもしれないけれど、1日の中での唯一の、心と体がほんの少し休まる一瞬です。


つい最近までは、動画を観たりしながら、なんとなくの時間を過ごしていましたが、最近はこの貴重な時間で本を読んだり、noteを書いて、あなたに言葉を届けています。



今日も、一生懸命がんばったあなたに、美しい物語や言葉が届いて、ほんのひとときでも、やさしい時間が流れますように。



そんなこんなで、本日のおすすめの本はこちら。



『ほろよい読書』です。

20代の頃、昼間にみんなでビールを飲みながら仕事をしていたことがありました🍻笑
(外資系企業で一時的に勤めていたとき)




昨日はパンで、今日は酒かい!

…と言われるかもしれませんが。




でもね、へろへろの木曜日。



本でお酒を楽しめたら、心がほどけてゆきそうな気がしませんか。


一緒にゆるみましょうよ、こんな夜更けくらいはね。





こちらは、昨日ご紹介したエッセイとは少し違って、お酒にまつわる「短篇小説集」なので、エッセイと比べるとほんのちょっとだけ、長いお話です。



それでも、しゅわしゅわの苦いビールや、キリッと辛口のハイボール、あまい果実酒、おしゃれできらきらのカクテル、かっこいい日本酒などにぴったりな本なので、お酒が好きな方はお手に取って、酒の肴にぜひどうぞ。



どの短編集も秀逸です。
なかでも、とくに坂井希久子『初恋ソーダ』、
柚木麻子『bar きりんぐみ』も最高に良くて、
うーん、うーん、どれをピックアップしようかなと悩んでいたら、ハイボールの缶が空っぽになってしまった。


……思うつぼ???



でも今日はこれ。
原田ひ香『定食屋「雑」』。



物語は、お酒のいただきかたと、ごはんの食べかたが原因のすれ違いが発端で、夫に出ていかれしまう、沙也加のお話です。



夫の健太郎は、ある日を境に、「定食屋 雑」に頻繁に通うようになり、次第に、自宅で沙也加の作る料理を食べなくなってゆきます。



お世辞にも、綺麗だとか洒落ているだとかは言えない定食屋に通う夫を怪しみながら、もしかしたらそこで働いている女性と不倫関係にあるのではないかと思い立ち、最初は客として、お店に偵察をしに行くのです。


その後も、離婚の話し合いを進めていく最中で、派遣の仕事だけでは食べてゆかれなくなった沙也加は、店の前に張り出された「店員急募」の張り紙を見て、なんとその店で働き始めます。



最初は夫の不貞を調べるために乗り込んだ店だったのに、次第にそこでの仕事にも慣れて愛着も沸き、それまで理解出来なかった夫の「ご飯と一緒にお酒を飲む」行為に理解を示し始めるのです。



だけど、理解ができるようになることと、自分が変われることとはまた別の話で…。



そんな、ビールみたいに少しほろ苦くて、だけど私たちの毎日で起きてる、切ないすれ違いと別れ、そして新たな出会いのお話です。



「もう、うんざり。
一緒に暮らしている相手にさげすまれながら生きるのは」
そう言って、健太郎は出て行った。
彼の方だけ書き込まれた離婚届を置いて。
彼がいなくなった後、試しにストロングゼロを飲んでみた。
薬品くさい、ケミカルな味だった。
最後には口の中に嫌な苦味が残り、とても飲めたものではない。
半分ほど胃に流し込んで、残りは流しに捨てた。

原田ひ香『定食屋「雑」』より引用



う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!!!


どちらの気持ちも!!!!!


痛いほどにわかる!!!!!!!!!!!!!



一生懸命つくったごはんを、何かよくわからない体に悪そうな液体で飲み干して欲しくない。
(江國香織さんのフレンチトーストのエッセイで言うところの、差し出した愛を、噛み締めることもなく、流し込まれる感覚なんだろう。)


日々の仕事が苦しくて、果たしてそのお酒が美味しいのか美味しくないのかは本当はよく分からないけれど、とにかくグッと流し込んでしまわないと、正気を保てない。



どちらの気持ちもわかるし、どちらかがだけが悪いとは、言えない。




「離婚したい本当の理由ってなんだったの?」
「え?」
「実は私、あの店で今、働いてるの。あなたが通ってた」
「え、『雑』で?」
「そう」
沙也加は店に行くようになった経緯を話した。
「……少し、わかってきたような気がする。お店でご飯を食べながら、お酒を飲んでる人を見て。ぞうさんに料理も習ってるし。今なら、あなたのことを許せる。あの店に行きたければ行ってもいいし、良ければ私も一緒に行きたい。
うちでご飯を食べながらお酒を飲んでもいいよ。
何より、あそこで働いて、いろんな人がいるんだってことがわかった」
健太郎はしばらく考えていた。
そして、やっと口を開いた。
「許せるか……」
「うん」
「……沙也加にとって好ましい食べ方があるように、俺や他のやつにだってあるんだよ。どっちが許すとかじゃない。どうして、自分だけが正しいって思えるんだろうな」
「え」
「……ごめん、もう、遅い。申し訳ないけど、もう、気持ちが離れてしまったんだ。沙也加から。」
泣きそうになった。でも、ぐっと涙をこらえた。

原田ひ香『定食屋「雑」』より引用



このやり取りのあと、沙也加は気づきます。


ただ、自分が良いと思っていることを夫にもわかってほしかっただけだったこと。

でも、それはもしかしたら、押し付けてばかりだったのかもしれないこと。

同時に、理解はできるものの、自分がこうやってずっと生きてきた以上、簡単に変われるとは思えないこと。




はあ、切ないね。

わかってほしいのは、相手を愛してるからなんだよね。

自分を理解してほしい、受け止めてほしい。

私が思うに、特に食においては、「生きる」ことに直結するからなおさら、食べること飲むことに対する信念は、もはや生きる上での価値観ですらあるかもしれない。

だからこそ、わかってほしかった。

でもこの夫婦はお互いの「わかってほしい」を、じょうずに出来なかっただけなんだと思います。


だけどもしかしたら、健太郎は、「正しいか、正しくないか」の社会における二項対立に晒されるなかで、毎日裁判にかけられる思いで、そこから逃げ出したい一心で、お酒で苦い思いを一緒に飲み干していたのかもしれません。




私も、今では大好きなビールも、最初は苦いと感じていたなあ。



だけど今では、美味しい美味しいと飲み干してしまう。

生きていく上での、遣る瀬無い、寂しさや虚しさを一緒に飲み込んで。



コーヒーも少し似ていると思うのだけれど、ビールやコーヒーを美味しいと思えるようになるのは、生きていく中で、「苦さ」も一緒に併せ飲まなければいけなくなってゆくからなのかな。



物語の後半で、最初は「ご飯とお酒は別」にいただくのがモットーだった沙也加が、ごはんを食べながら苦いビールを飲めるようになったのは、ある種、清濁を飲み合わせる体験を経たからなのかな、などと、アルコールの回った頭で、ぼーっと考えています。



どちらも正しくて、どちらも間違いじゃない。



そこの狭間を探り当てて、揺れながら、混ざりながら生きてゆくのが、誰かとともに生きてゆくことなのだろうな、と感じました。





それでは、本日は、このあたりで。
あと1日がんばればお休みだね。
明日も、なんとか生き延びようね。
そして、また本を片手にお会いしましょう。
アデュー!


最近飲んだ台湾ビール🍺めちゃ美味しかった‼️

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