【オンライン帰省に感じていた違和感の謎】リモートワークの孤独とたたかう日記5/29
リモートワーク生活の日々の出来事を日記にしている。
緊急事態宣言も解除されたし、今週でこの日記を書くのは終わりにしようかと思っていたのだが、昨日の日記が私の書く100本目のnoteとなったことを知り、できるところまでもう少し書いてみようかなと思い始めた。
これからリモート然とした組織となることもあり、そうなると毎日書くことになるのでは?と思ったりもしたが、まあそこは流れに任せることにする。
オンライン帰省に感じていた違和感の謎
外出自粛要請の中、突如生まれた「オンライン帰省」という言葉。
はじめて聞いたときは、違和感しかなかった。
オンライン帰省とは遠くに住む家族と、電話やビデオ通話などを使って連絡を取り合うこと。
参考:LINEを使ったオンライン帰省のやり方
「え、それってただの電話とビデオ通話では…?」と思っていたのだが、テレビなどではわりとキャッチ―な言葉として使われるようになったこともあり、今ではあまり深く考えずにコロナが生んだ造語のひとつとして受け入れられるようになってきた。
実際ゴールデンウィークには、多くの人がオンライン帰省をしたのではないだろうか?
とはいえ、私自身は普段から頻繁に家族へ電話で連絡をするような習慣はないのもあり、特に家族に電話やビデオ通話で近況報告をすることはなくゴールデンウィークを過ごした。
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先日、妹と電話をした。
普段はLINEのメッセージでやり取りをしているのだが、その日は相当急いでいたのか突然電話がかかってきたのだった。
私はパソコン作業中だったのもあり、スピーカーにして要件を聞き、そのままなんとなく繋ぎっぱなしにしていた。
その間、妹が勝手に何か喋っているのを聞きながら作業を進めたり、実家の犬がそばにいると聞き話しかけてみるが無視されたり、母が会話に横入りしてくるなどした。
後日、そのときの電話について妹が下記のようにLINEで送ってきた。
「ただただ通話つないだ状況で、詩織作業してて、こっちは好き勝手喋ってるみたいなときふつうに家にいるみたいじゃなかった?感覚的に」
「あれはオンライン帰省じゃないの?」
「対面で話すだけが帰省じゃないよね」
確かに、と納得した。
帰省するときに楽しむのは、(もちろんそれが主目的ではあると思うが)家族の顔を見ることや話をすることだけではない。
また実際に帰省したからといって、家族と一緒にべったりと過ごすというわけではないのでは?とも思う。(少なくとも私はそうだ。)
何か話をするわけでもなく同じ空間で同じ時間をただなんとなく過ごすというのも帰省の醍醐味だ。
思えば私が「オンライン帰省」という言葉に感じる違和感は、電話や画面越しの会話だけで帰省の疑似体験ができると決めつけられているような押しつけがましさにあるのかもしれないと思った。
家族と必ずしも対面で何かを話すような少々窮屈な時間は、自然な帰省の形にはなりえない。
でも実際のところ、オンライン帰省は、やり方次第ではまるで本当に帰省しているような気分を味わえるのではないかと思えてきた。
ただ電話でゆるく繋がっているだけで、都心を少し外れた小さな部屋にいながら、少しだけ実家に帰ったような感覚にもなれるようだ。
少し話はズレるが今どきの若者は、恋人と電話をずっと繋ぎっぱなしにして特に話はせずに時間を過ごすことが多い、と若者のトレンドの調査結果で見た。
最初に話を聞いたときは「何が楽しいんだろう」と思っていたが、家族や恋人といった近しい間柄の相手と、変に改まった形で顔を合わせるビデオ通話をするよりも「なんとなく繋がっている」状態を演出できるし、自然に一緒にいられる感覚になれて心地良いのだろうなとその気持ちが分かる気がした。
■おわりに
ちなみにオンライン帰省について語り出して、気付きを与えてきた妹は実家暮らしだ。
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LINEみんなのものがたりで 「#オンラインを楽しもう」のテーマのnoteを募集していたので書いてみた。