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ビフォアコロナとウィズコロナでの恋愛観の変化について

付き合っていた人とお別れをして1ヵ月ほどが経った。

相手が憎くて別れるとき、その人のことはどうでも良いし思い返すことなんてない。
もちろん何かに書き起こしておこうなんて感じることもない。

ただ、今回は生まれてはじめて私は相手のことが好きなままで別れることになった。

別れるとき「傷が癒えたらTwitterとかでネタにするかもね」と冗談で言ったところ「名前を出さなければ良いよ」と事前に掲載許可をもらっている。

ほんの冗談のつもりだったのに、本気のリスクヘッジをした上で許可をもらってしまったのもあり、せっかくならこの機会に感じたことをまとめておこうと思った。(このタイミングを逃して数年後に書いたりしたら、逆に未練タラタラ感があって気持ち悪い気がする。)

実際、書いてみたところ思った以上に時世の変化により自分の価値観が変化していることにも気付いて「もっと自分を持って生きろよ!」とセルフツッコミしてしまった。

そんなツッコミどころ満載な文章に、ツッコミながら読んでいただけたらありがたい。

先の見えない遠距離恋愛が無理だった2月のビフォアコロナ

約1年半お付き合いしていた彼との別れのきっかけは、彼の異動が決まったことだった。

もともと異動の可能性があるかもしれない職場だとは聞いていたが、たまにそんな話をされたとき私は何と答えればよいか分からず「そうなんだ」くらいの返事をしていた。
(実際そのときどうするかという話をしたら、ふたりの関係がどう変わるのか分からなかったので、具体的な話は意図的に避けてしまっていたのかもしれない。)

2月後半に彼が会社から異動発表をされてから、実際の異動までの期間は1ヵ月もなかった。

彼は突然の異動で、仕事環境の変化や業務の引継ぎに関する不安、引っ越しに関する手続きの連絡で疲れを感じていたはずだ。
でも私は「彼が異動したら私と今後どうしていくつもりなのか?」ということばかりが気になって仕方なかった。

(今となれば彼は忙しい時期なんだし、そんなタイミングで決断を迫るのはかわいそうだというのはよくわかるのだが)私はどうしても白黒つけたくて「私との先のことまで考えてくれるのなら遠距離恋愛しよう」という条件付きの継続提案のパワポ資料を作成した。

で、彼の異動先の住まい探しについていった私は、朝のスタバで半分くらい頭がはたらいていないであろう彼に向けて逆プロポーズのようなプレゼンをした。

▼全12ページに渡るプレゼン資料の一部抜粋

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しかしその提案は受け入れられなかった。

まあ、無理だよね。
生活環境が変わり、これからどうなるかか分からない不安の中で「先を考えてくれないと無理」とか言うめんどくさい女なんてすぐ切るよね。

そんな彼の考えも今なら分かるのだが、やったこともない遠距離恋愛自体に抵抗がある私からしたら「先を考えないままで付き合い続けるほうが無理」という感情を相手にぶつけるのに必死だった。

だから、それでお別れすることになったのは仕方のないことだと思う。

誰とも会えないウィズコロナの環境下での気付き

彼が異動になる前の3月中旬、最後に会った。
(別れ話のとき、別れるのは仕方ないと納得してはいたものの、私はおそらく周りがヒくほど泣き腫らしていた。
そんなブサイクな私の姿が彼にとって最後の自分であるのが許せなかったのもあり、最後に面会を申し出たのだった。)

その翌週から東京をはじめとした関東エリアでコロナによる自粛要請が始まり、さらに翌週には不要不急の外出を控えるようテレビやネットでの注意喚起がなされた。

私はもともと2月末から在宅勤務で出社はしていなかったため、会社で働く同僚の方々にはオンラインでしか会えていないが、外出自粛要請により週末遊んでくれる友人にも会えなくなった。
4月には実家に帰る予定もあったが、万が一ウイルスを撒いたりもらったりする懸念から、既に帰るのを諦めている。

ずっと家にいるしかないし、ライブも舞台も野球もディズニーも行く予定だったのに、私のありとあらゆる楽しみを奪っていったコロナはまじで許さない。

それはそれとして、ふと感じたのが「今の状況下、もし彼の異動がなくて付き合っていたとしても外出自粛要請出ている限り会えてないじゃん」ということだった。

おそらく現状5月くらいまでこの生活は続くのではないだろうかと言われている。
コロナにかかりたくないし人にもうつしたくない私は誰とも会わないと思う。

たとえ恋人だったとしても。
というか、恋人だからこそ。

で、そこから自分の思考を振り返った。

彼とお別れしたときの私は

遠距離恋愛=会えないからつらい
⇒会えない不安を払拭するために「先を考えてくれる」という保証がないと関係性を継続できない

という発想になっていた。
しかし、さすがに今のコロナの状況下では会えないのがつらいから「先を考えてくれないと無理」とは言わないだろう。

そうなると、そもそも会えなくなることってそんなに不安視することだったんだろうか?
コロナで会えないのも遠距離で会えないのも、そんなに大差なくない?

考えてみたところ、結局大事だったのはお互いの思いやりの心だった。
たとえ会えなくなっても、ちゃんと相手と想い合えれば感じられる愛があったのではないだろうか?

そう思ったら「先を考えてくれなかったら遠距離恋愛できない」と主張した私は、なんと浅はかな考えだったんだろうかと自分の幼さに笑ってしまう。

私は憎きコロナを通じて、ひとつ大人になってしまったわけだ。

「会わない愛」はコロナに限らず恋愛にも当てはまる

…と、コロナが流行して社会情勢が変わる前後での自分の心境の変化を書いてみた。

コロナを通じたニュースはネガティブな感情になることばかりだが「大切な人と会えないことを不安視する必要はない」という考え方は、唯一このタイミングのコロナの流行で得られたポジティブな価値観だと思う。

Twitterでも「(コロナを大切な人ににうつさないために)会わない愛があると知った」と呟いている人を見て、これは会いたくても会えない状況の恋愛にも当てはまるのではないか、と妙に納得してしまった。

だからといって、この考えを身につけた上でお別れした彼ともう一度ヨリを戻したい、とかいう未練タラタラな後悔を書き綴るnoteではない。(そんな気持ち悪いnoteだったらそもそも投稿するのを控える。)

結局、今回は私が相手の事情を考えず自分の気持ちばかりを押し付けてしまったためにお別れすることになった(と少なくとも私は解釈している)。

自分の感情をぶつけて相手を傷つけたという事実は、たとえ相手が許してくれたとしても消えないものだ。

私に未熟な部分があって別れることになったので、お別れすることで、これ以上自分が相手を傷つけたり困らせたりすることがないという点でホッとしている。

逆に自分の感情をぶつけて、相手を傷つける行為をしておきながら自分の心変わりにより「私が悪かったの!まだ一緒にいて欲しい!」とすがるようなマネをするのは、相手からすると「どういう風の吹き回し?」などと思うだろうし、恐怖でしかないだろう。

だからこの1ヵ月の間に私の考えが変わったところで、彼を再びつらい目に合わせるリスクを負ってまで彼とやり直したいとは思わない。
もしかしたら、これも「会わない愛」のひとつなのかもしれない。

ということで今回のお別れの件は、自分の幼さに気付くのが1ヵ月ほど遅かったな〜、残念!くらいの感覚である。

次に出会える人がいるのかどうかは分からないが、もし出会えるのであれば、また同じような悲しいお別れを繰り返さないように、今回のことを教訓にしようと思う。

そして新たな出会いなどには限らず、感染リスクなど気にせずいつでも多くの人と出会える当たり前の日常が戻るように、早くコロナが収束してほしい。

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