【叶わなかった夏を思う】リモートワークの孤独とたたかう日記5/20
リモートワーク生活の日々の中、感じたことを日記にしている。
仕事とプライベートが一緒になっている状況で、パソコンを常にいじっていることもあり業務時間とプライベートの境界線も曖昧になっている。
そんな中でnoteを書く時間は「プライベート」と認識できるようになっているので、そういう点ではこのようなnoteを毎日書くのは何かしら意味があるのかもしれない。
叶わなかった夏を思う
今年の甲子園の中止が決定となった。
戦後初の出来事らしいが、そんな記録いらないからなんとか開催してほしかった。
とは思うが、今の状況下で実行できないか高野連も考えた末での決断なので仕方ない。
仕方ないのだが、甲子園を夢見た球児たちを思うと「仕方ない」で済ませるのがつらすぎる現実を悲しく感じる。
特に、3年生は最後の夏のはずだった。
1.2年生だって、今年のメンバーで甲子園に行けることはもう2度とない。
それを考えるだけで、もういたたまれないような気持ちになる。
それと同時に感じたのが「彼らはまだ子供で、大人たちがサポートしてあげる必要がある存在」だということだった。
甲子園の中止はもちろん球児ではなく、甲子園を開催する大人側の判断によるものだ。(もちろん高野連だって、通常通り開催したかったに決まっている。)
とはいえ、どこかの大人が自分たちの知らないところで会議をして決定した「甲子園中止」という判断を何もできずに受け入れるしかない球児たちからしたら、絶望感が大きいだろう。
ニュースでは「甲子園出場の夢を果たせなかった高校球児たちをまわりの大人がサポートすることが必要となる」と言っていた。
心のサポートはもちろんだが、彼らの進路はまだ必ずしも自分たちの力だけでは達成しえない部分も多いようだった。
プロ野球のスカウトマンはセンバツも甲子園もないためドラフトでオーダーする判断基準に影響が出る。
野球をやるために進学を希望する球児は大学推薦において、自身の成果を魅せることができない。
ある高校では、球児の大学推薦用のムービーを作成したり、いくつかのセンバツ出場予定校で試合を組んだり、と球児たちのために高校野球監督やその他の大人が動いているようだ。
球児たちは、自分ら自身で働きかけることが難しい部分も多いので、その気持ちを汲んで大人がサポートしなければならない。
今は身の回りの大人の支えにより、ただ野球が好きで、甲子園に出るのが夢だった彼らの心が救われるような「高校野球の終焉」を迎えられるように願う。
また甲子園の実施期間中に、熱闘甲子園を見て毎夜泣くだけのファンが何か支援できることがあれば、支援は惜しまない。
なんかできることはないんだろうか、と考えている。