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【モノの貸し借りの話】リモートワークの孤独とたたかう日記6/15

リモートワークの日々を日記にしている。

暑い中エアコンをつけて過ごすと電気代が心配なので、扇風機かサーキュレーターを買おうかしばらく悩んでいるが、その間に既に気温が上がってきている。
まだしばらく買う決断ができないので、その間に夏が終わってしまうんじゃないかと思っている。

モノの貸し借りの話

昨夜ふと「あの人に貸したままのアレ、もう二度と戻ってこないんだろうか?」と思い出して急に気になってきた。

昔からモノの貸し借りが苦手だ。
正確にはモノを貸すのが苦手だ。

私が何かを貸すと、貸す相手が悪いのか5回に1回は戻ってこない。

小学生の頃には、お気に入りの本を貸したら知らないうちに直接話したことのない隣のクラスの子にまで又貸しされていた。
戻ってきた本にはポテチの油とカスが詰まっていて悲しくなった。

私が当てたコンサートのチケットの料金をなかなか払ってくれない子もいた。
その子がSNSで「金欠だけど、○○買った~✨」と投稿するたび、それにお金を出す前に早くコンサートの費用を払ってくれないかなとモヤモヤした。(その後何度か催促の連絡をして返してもらった)

ヤキモキしながらも返してもらったモノ、未だに返って来ていないモノ、いろいろあるがまだ何かしら接点のある人が相手ならば返してもらえる可能性があるので良い。

問題は疎遠になった人に貸しているモノだ。

疎遠になった人にモノを返してもらうとき、ほぼ相手からアクションしてくる可能性はないため「返してほしい」と私からアクションをしなくてはいけない。

さらに疎遠になっているわけだから、普段から会う間柄ではない。
何かのついでに返してもらう、ということはできないので相手に返してもらうための特別なアクションを促すことになる。

「そこまでして返してほしいモノなのか?」と聞かれると別にそういうわけではないのだが、疎遠になった相手の家に自分のモノが存在していると考えるだけで、なんだか心持ちが良くない。

相手にもモノにも未練があるわけではないのに、自分のモノが相手の家にあるかもしれないだけでモヤモヤするし、別に私の手元に戻ってこなくてもいいから、相手の手元にも私のモノがない状態であってほしい。

自分が貸したモノのはずなのに「返して」の一言はどうしてこんなに重いんだろう。

モノの貸し借りのトラウマを抜け出すために、連絡をしてみようか。
やっぱりやめておこうか。

そんなことに悩むのも嫌なので貸したモノの存在を記憶から抹消するか、何も考えず「返して」と主張できれば良いのに。

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