見出し画像

死ぬ場所が居場所

さて、物騒なタイトルになってしまいましたけれども。

自分はどうしてこんなにも「住む場所」へのこだわりが強いのかってことを考えた。

地に足がついていない

正直、生きるなら都会がいい。
いま東京近郊に住んでいるし、
毎日がキラキラしていてなにをするにも贅沢な、刺激的な、それでいて無干渉な、そんな街を好きになった。

でも、なにをしていても、消えない孤独感ってものがある。
不思議なんだよね。
友達と話していても、私はいまここにいるけど、居場所じゃない、って感じる。

住んでいるけど、地に足がついていない。

この"地に足がついていない"感覚こそが、住む場所を考える原因になっているんだと思う。

骨を埋める場所

もう一つ、とても感覚的だけど
「私の骨は関東には埋まらない」と
どこかで思っている。

この感覚がいわゆる直感ってやつで、
馬鹿げているかもしれないけど
割と譲れない気持ちでもある。

多分この感覚が、
"地に足がついていない"と思わせる原因になっていて、
つまり私は、どこかのタイミングで関東とさよならをすると思う。

そしてそのタイミングが、きっと今なんだよね。

死ぬ場所が居場所

今までずっと、「生きている場所が居場所だ」と感じたことがあまりなかった。
そこに住む意味を、「これがやりたいから」という理由だけで落ち着かせていた。

けれど、今日のこの深掘りでようやくわかった。

きっと私にとって、
「死ぬ場所」というのが居場所となり、
生きる場所になるんだ。

だから、死ぬ場所を見つけたら、最期の時を迎えるまで
とことんその地を愛して、知って、伝えてゆきたい。

自分の居場所がわからなかったから、
住む場所へのこだわりも強くなっていたんだね。

みんなにとっても
素敵な居場所が見つかりますように。

私の記事が少しでも癒しになればいいな。
こんな物騒なこと書いてるけど。

今日も見つけてくれてありがとう。
おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?