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自分の目で見たものを、かく

「一生に一度は映画館でジブリを」のキャンペーンをきっかけに「風の谷のナウシカ」と「もののけ姫」を観に行った。映画館に行くのなんて、かなり久しぶりの経験だった。

「風の谷のナウシカ」はどっぷりと映画の世界観に引きずり込まれた。ストーリーも知っているし、なんなら漫画も全部読んだから映画はちょっと物足りないだろうと踏んでいたけれど、いい意味で期待を裏切られた。

そういえば、最後に観たのは小学生くらいだったか。20年近く前なわけだ。子どもの頃はナウシカの良さがまったくわからなかった。

大人になって観ると、まるで別の作品だった。こんなに暴力と死に溢れた世界だったのかと愕然とした。武力行使で国を制圧されて人質を取られたり、追い詰められた末に生物兵器を使ったりとかなり血生臭い話だった。命を選別しているのも伝わってきた。

わたしがどれだけ言葉を重ねたところで軽くなってしまうだけだから、このあたりにしておこう。

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ただ、「もののけ姫」を観に行く前にたくさんの制作秘話とかインタビューを読んだのは、ちょっと失敗だったかもしれない。

映画を観ながらも「あ、このシーンは…」と本に書かれていた豆知識がよみがえり、ちっとも集中できないのだ。頭の中は雑念だらけ。インタビューの発言を思い出したり、自分でも変な分析をしようとしたりしてしまった。

それはそれで楽しくはあるけれど、没頭できなかった。あくまでも「映画を観ている自分」の存在を意識してしまったと言えば伝わるだろうか。「こう観るべき」というのが頭の中にありすぎると、ただの答え合わせのようになってしまうのだ。

インタビュー集そのものがかなり面白かったので、後悔はしていないけれど。

「知らないことについて調べるのは役に立つのかな」と疑問に思ってしまった。知らないのに、知った気になってしまうことや、まっさらな目で見ることができなくなるのは、ある意味で弊害だ。

自分で全部試すわけにはいかないから、他の人からの情報をもとに判断することもある。それでも、頭と心と体がバラバラにならないようにしないと。

それは他の人であって、わたしの言葉じゃないんだ。

“いや、ほんとに。デジタルに侵されているんですよね。自分の見たものではなくて、とにかくビデオカメラか、携帯か、なんかで撮った画像で世界を見てる。”『続・風の帰る場所』宮崎駿p.181
“みんな作業脳で描いてますからね。作業脳と絵を描く能力は違うんですよ。両方を持たなきゃいけないんだけど、大抵作業脳だけになっちゃうんです。線を引いても、磨り減ってる。そうじゃないのもいたんですけどね、ことごとくいなくなりました(笑)。俺が使い潰しちゃったのか……死んじゃった奴もいるし。“p.183 同上

今日の一冊:『続・風の道 映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか』宮崎駿(聞き手・渋谷陽一)rokin' on 

本のサイト「よりみち」より転載

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